Monday, February 18, 2013

おいしい話 No. 70 「アメリカンスタイル」


 
子供の頃、アメリカやヨーロピアン スタイルに憧れていた。ジョン ウエインやクリント イーストウッドの西武劇映画にはまっていた。クリスチャンでもないのに、食事の前に十字を切り、お祈りをするフリをした。なんでもかんでも ナイフとフォークで食事をした。

玄関で靴を脱いで家に入り、正座をしてちゃぶ台で食事をし、畳に布団を敷いて寝る文化に育った私にとって、映画の中の風景は別世界だった。

大人になった私は 西部劇映画から卒業し、もっとモダンなアメリカンスタイルに傾倒した。NHKで放送していたBeverley Hills, 90210」(「ビバリーヒルズ 青春白書」)。

高校生なのに あのセクシーなファッション、車での通学、家で行われるパーティー、毎日が恋愛問題で明け暮れ、性に先進したカラフルで自由なライフスタイル。制服着てチャリンコで通学し、恋愛には全くオクテの私は、おとぎ話を楽しむ子供のように この番組にハマっていた。

そして数年後、私は ブラウン管をまたぎ、アメリカの地に降り立ち、アパートの中で 靴を履いたままカーペットを歩く生活をしていた。

Beverley Hills」ヨロシク当時付き合っていたボーイフレンドと 同棲をしていたアパートには、いろんなアメリカンボーイが遊びに来た。「What’s up, Bro」「what’s up, Dog」と挨拶を交わし、ボーイフレンドと男友達は 手を握り合いながらハグをする。リビングルームに入ると、カウチにずしーんと座り、靴を履いたその足を コーヒーテーブルに乗っける。会話の途中で立ち上がり、キッチンに行って 冷蔵庫を開け、ソーダやビールを取り出し、カチっと栓を開けごくごくと飲み出す。「カジュアル」というか、勝手知ったる他人の家状態の振舞。あのドラマで見たシーンに、自分がいる。

ある日、ボーイフレンドのおばあちゃんを訪ねた。

当時70代後半だったおばあちゃんは、旦那さんが随分前に亡くなっていて、一軒家一で人暮らしをしていた。これまた ドラマで見たアメリカの家だった。リビングルームには 暖炉があり、花柄プリントのソファーとリクライニングシートの椅子が並び、テーブルとランプがその両脇に設置されている。暖炉の上や、壁や、サイドテーブルに 家族の写真が飾られていた。

訪ねた時間は夕方の4時頃。もうカクテルアワーは始まっていた。

おばあちゃんは ジントニックを片手にソファーで寛いでいた。

「あんたたちも何か飲みたいものを持っていらっしゃい。」

ボーイフレンドがキッチンに行き、冷蔵庫や収納扉を開けながら 私に何が飲みたいか聞く。「Beer, please!」とキッチンに向かって叫んだ後、おばあちゃんの向かいの椅子に腰を下ろす。「Hi」、「Hello」。 欧米のばあさんの生活は見たこともなく、アメリカに来て一番ドギマギした場面だった。

このアメリカンスタイルばあさんは、70歳後半にして、かなり独立した、粋なおばあちゃんである。家での寛ぎはジントニック、十数年通う馴染みのレストランでは レモン ツイストのジンマティーニ、車も古いキャデラック並みの大きな車を自分で運転し、買い物にも 美容院にも行く。飼っている猫が失態をすると、鋭いCurseが飛び出す。一人で生活をする意志を曲げず、子供たちの家で世話になることを頑として断る。

これが一般なのか。日本では見ない、新しい年寄り像だ。

Grandma」の家には しょっちゅう遊びに行った。野球が好きでマリナーズのゲームをよく見ていた。ここでも時折Curseが飛び出す。

テレビ用個人折り畳みテーブルもカルチャーショックだった。それを各自の前に広げて、リビングでテレビを見ながら食事をするのだ。綺麗なダイニングルームはただの飾り。アメリカのおばあちゃんは ピザやフライドチキンやハンバーガーも食べる。

4年前、Grandma90歳のサプライズパーティーが あるゴルフクラブ行われた。家族や知人友人、ご近所さんまで、200人の招待客が集まった。私も 当時のボーイフレンドとはとっくの昔に別れていたにも関わらす、このパーティの招待を受けた。娘のLindaが司会進行をしながら、スライドを流したり、来賓によるメッセージを送ったり、Grandmaの実際の服を使用したファッションショーを行ったり、パーティーは盛大に行われた。

アメリカンスタイルはやることの規模が違う。許容範囲が違う。楽観的観念の度合いが違う。テーブルでそのパーティーのシーンを鑑賞しながら思った。私はどこまで アメリカンな生活や生き方ができるのだろうか。恰好を真似るだけじゃなく、基本のポジティブエッセンスみたいなものを吸収して、アタシっていう人間にプラスになる生き方。まあ 平気でハビーを連れて行ったところが、かなりアメリカンかもしれないが、、、。

 
Kiki

 
 
Posted on 夕焼け新聞 2013年2月号

おいしい話 No. 69 「アートの島」

 

日本に住んでいたら、日本に帰国する機会があれば、是非訪れてほしい美術館がある。今回8年ぶりの帰省を果たし、友人に一泊温泉旅行計画を押し付けなければ、私は この美術館の存在を知ることはなかった。

「地中美術館」。ここを訪れる事無く、人間として100%充実した人生を送っているとは言い切れない! 新たな美術館体験した私は、そう思わずにはいられなかった。アートに触れて、アートが作る空間に身を置いて、それを五感を通して鑑賞し、同時に 自分という存在を見つめる。感動が心にいっぱい膨れ上がり、揺さぶられるような、そんな体験は これまでの美術館めぐりでは得られなかった、、。得られようとも想像しなかった新たなものだった。

友人が温泉旅計画の概要を説明してくれる。温泉旅館は 香川県琴平町の金毘羅さん付近で予約してあるよ。酔っぱらって浴衣の前がはだけてきても平気なように 夕食はお部屋食で頼んでるからね。で、日中は直島っていうところに行きたいのよ。高松からフェリーに乗って行くんだけど。この島には世界的に有名な美術館があるから 是非ともそこに行きたいの。

「チチュウ美術館」  美術館めぐりか。ま、それも いいでしょ、たまには。

高松港から 約1時間ほど フェリーに乗り、直島に向かった。もうここから旅の情緒が始まる。ゆったりと走るフェリーの両側に 瀬戸内海の海が広がり、そこに雄大な島々が浮かぶのが見える。直島の港に到着すると、そこから 町の小さなバスに乗りこむ。島の古い民家や町役場を通り抜け、ランドセルを背負った小学生達を見下ろしながら小道を走る。海岸線に出て 数分ほどで 目的の美術館に到着。

世界的に有名な日本の建築家、安藤忠雄の設計により建設された美術館。入場券を買う列に、数人の外国人がいた。本当に有名なのね、この建築家の方。世界中の人々が、わざわざこんな小さな島まで この美術館を一目見ようと来ているのに、昨日の今日までその存在を知らなかった私。日本人としてちょっと恥ずかしくなった。

「瀬戸内海の美しい景観を損ねないよう 建物全体が地中に埋設された美術館」、、、、チチュウ。地中。地面の中、って そういうことなのね! 本当に パンフレットにある上空からの写真では、屋根にあたる所のデザインが丘の上に見えるだけだった。

撮影禁止と注意され、中に入る。暗い通路から パッと明るい空間に出る。コンクリートの壁が空に向かって真っすぐに開き、光を迎え入れている。同時に植えられた植物がその光を浴びて ピンと立っている。いきなり言葉にに表現できない何かが胸にぐっときた。

電球を使わず、唯一の入り口である天井から 計算されたデザインによって 光を有効に取り入れている。クロード モネの油絵「睡蓮の池」シリーズも 見事にその和かい自然光を浴び、美しい色どりを打ち出していた。係り員の人によると、自然光だから その日に訪れる時間帯や、外の天気の状況によって 絵の色が 表情を変えるそうだ。朝の睡蓮の池と、夕方の睡蓮の池。快晴の日と雨の日。印象が強くなる色のコントラストが微妙に変化する。

モネの絵が一番美しく展示されている美術館ではないだろうか。

ジェームス タレルや、ウォルター デ マリアのアートも 設計の段階から 安藤氏と入念にデザインを練り、個々の作品の、完璧な展示スペースを作りあげたようだ。とにかく ここの美術鑑賞は 数時間では まったくもって足りない。

この島には ルイビトンとのコラボレーションでバックのデザインにかかわった草間彌生のかぼちゃのオブジェを含み、島中の至るところに 様々なアーティストのオブジェが立っている。直島は まさにアートの島だ。

フェリーでふらりとやってきて、自転車で島を回り、夜は 安藤忠雄が設計したホテルに泊まる。なんて素敵な旅だろうか。出会った数人の外国人の方々のように、一人旅もかなりいいと思う。そして もしそれが傷心旅行になるとしても、この島の陽の風とエネルギーが必ず癒してくれるはず。

日本にいたら、とか、日本にお帰りの際には、とか言っていたけど、本当は わざわざポートランドから計画を立てて行ってほしいと 思っている。

高松まで行かなくても、岡山からもフェリーで行けるから、東京、大阪から新幹線で乗り着ける。以外に簡単なのだ。

今回の日本帰省は、日本や日本人の素晴らしさを 改めて見直して 非常に感動した旅だったけど、アートの島、直島と「地中美術館」は、大ハイライトのひとつよ。

 

Kiki

 

ベネッセアートサイト直島


 

地中美術館


 

 Posted on 夕焼け新聞 2013年1月号