子供の頃、アメリカやヨーロピアン スタイルに憧れていた。ジョン ウエインやクリント イーストウッドの西武劇映画にはまっていた。クリスチャンでもないのに、食事の前に十字を切り、お祈りをするフリをした。なんでもかんでも ナイフとフォークで食事をした。
玄関で靴を脱いで家に入り、正座をしてちゃぶ台で食事をし、畳に布団を敷いて寝る文化に育った私にとって、映画の中の風景は別世界だった。
大人になった私は 西部劇映画から卒業し、もっとモダンなアメリカンスタイルに傾倒した。NHKで放送していた「Beverley Hills, 90210」(「ビバリーヒルズ 青春白書」)。
高校生なのに あのセクシーなファッション、車での通学、家で行われるパーティー、毎日が恋愛問題で明け暮れ、性に先進したカラフルで自由なライフスタイル。制服着てチャリンコで通学し、恋愛には全くオクテの私は、おとぎ話を楽しむ子供のように この番組にハマっていた。
そして数年後、私は ブラウン管をまたぎ、アメリカの地に降り立ち、アパートの中で 靴を履いたままカーペットを歩く生活をしていた。
「Beverley Hills」ヨロシク当時付き合っていたボーイフレンドと 同棲をしていたアパートには、いろんなアメリカンボーイが遊びに来た。「What’s up, Bro」「what’s up, Dog」と挨拶を交わし、ボーイフレンドと男友達は 手を握り合いながらハグをする。リビングルームに入ると、カウチにずしーんと座り、靴を履いたその足を コーヒーテーブルに乗っける。会話の途中で立ち上がり、キッチンに行って 冷蔵庫を開け、ソーダやビールを取り出し、カチっと栓を開けごくごくと飲み出す。「カジュアル」というか、勝手知ったる他人の家状態の振舞。あのドラマで見たシーンに、自分がいる。
ある日、ボーイフレンドのおばあちゃんを訪ねた。
当時70代後半だったおばあちゃんは、旦那さんが随分前に亡くなっていて、一軒家一で人暮らしをしていた。これまた ドラマで見たアメリカの家だった。リビングルームには 暖炉があり、花柄プリントのソファーとリクライニングシートの椅子が並び、テーブルとランプがその両脇に設置されている。暖炉の上や、壁や、サイドテーブルに 家族の写真が飾られていた。
訪ねた時間は夕方の4時頃。もうカクテルアワーは始まっていた。
おばあちゃんは ジントニックを片手にソファーで寛いでいた。
「あんたたちも何か飲みたいものを持っていらっしゃい。」
ボーイフレンドがキッチンに行き、冷蔵庫や収納扉を開けながら 私に何が飲みたいか聞く。「Beer, please!」とキッチンに向かって叫んだ後、おばあちゃんの向かいの椅子に腰を下ろす。「Hi」、「Hello」。 欧米のばあさんの生活は見たこともなく、アメリカに来て一番ドギマギした場面だった。
このアメリカンスタイルばあさんは、70歳後半にして、かなり独立した、粋なおばあちゃんである。家での寛ぎはジントニック、十数年通う馴染みのレストランでは レモン ツイストのジンマティーニ、車も古いキャデラック並みの大きな車を自分で運転し、買い物にも 美容院にも行く。飼っている猫が失態をすると、鋭いCurseが飛び出す。一人で生活をする意志を曲げず、子供たちの家で世話になることを頑として断る。
これが一般なのか。日本では見ない、新しい年寄り像だ。
「Grandma」の家には しょっちゅう遊びに行った。野球が好きでマリナーズのゲームをよく見ていた。ここでも時折Curseが飛び出す。
テレビ用個人折り畳みテーブルもカルチャーショックだった。それを各自の前に広げて、リビングでテレビを見ながら食事をするのだ。綺麗なダイニングルームはただの飾り。アメリカのおばあちゃんは ピザやフライドチキンやハンバーガーも食べる。
4年前、Grandmaの90歳のサプライズパーティーが あるゴルフクラブ行われた。家族や知人友人、ご近所さんまで、200人の招待客が集まった。私も 当時のボーイフレンドとはとっくの昔に別れていたにも関わらす、このパーティの招待を受けた。娘のLindaが司会進行をしながら、スライドを流したり、来賓によるメッセージを送ったり、Grandmaの実際の服を使用したファッションショーを行ったり、パーティーは盛大に行われた。
アメリカンスタイルはやることの規模が違う。許容範囲が違う。楽観的観念の度合いが違う。テーブルでそのパーティーのシーンを鑑賞しながら思った。私はどこまで アメリカンな生活や生き方ができるのだろうか。恰好を真似るだけじゃなく、基本のポジティブエッセンスみたいなものを吸収して、アタシっていう人間にプラスになる生き方。まあ 平気でハビーを連れて行ったところが、かなりアメリカンかもしれないが、、、。
Kiki