Friday, December 23, 2011

おいしい話 No. 41「クチコミの威力」

ポートランドでは わかりやすい繁華街の中や、ヒップで注目のエリアでなく、「こんなところに??」と思うような場所に レストランや バーを見つけることが多々ある。住宅街の中に一件ぽつんと看板を出していたり、ここは立地条件悪いでしょ、と思うような忙しい、または全く忙しくない交差点付近に小さなドアを構えていたり。まさに「クチコミ」という伝がないかぎり、商売なりたたないように見える場所にある。
そういうお店は、たいがい、その存在感もはっきりせず、通りから中の様子がわからない作りになっている。営業しているのか、していないのか。客が入っているのかいないのか。中の様子が外からでは まるでイメージできない。ドアを押して 一歩踏み入れるのはとても勇気のいることで、ガラ空きで従業員が退屈していたり、居心地の悪い客層だったりしたら、もうどうしようもなくなってしまう。それゆえ、誰か もうすでに行ったことのある人の推薦状と、その推薦者本人同伴でないと、なかなか行きにくいのである。
しかし、しかし、こういう、ビジネスをするには立地条件の悪そうなところにあるお店は、ユニークで個性的な特徴を持っていることが多い。店の小さな表構えとは対照的に奥行きが広かったり、かわいらしいガーデンパティオが裏庭にあったり。どうしてまた こんなに沢山の客がこの店のことを知っているのだろう、と不思議に思うほど店内が賑わっていたり。おしゃれでセンス溢れる内装だったり。 表からはまったく想像がつかない、いきいきとした雰囲気がクリエイトされていたりするのだ。一種の隠れ家的な要素と、他に知られていない、という優越感が、一度来た客の心を掴むのだろか。

NEのMLK通りにある「ALU」もそんなお店のひとつ。交通量の多い直線の道路の脇に立ち並ぶ建物の中に ある日突然看板が立った。車で通り過ぎる際に目をやっても、「ALU」という文字だけで、何のビジネスかは、わかりにくかった。人の出入りを見ることもなく、中の様子が見て取れるわけでもなかったので、少しの興味はあるものの、毎日の通勤で 目をやるだけで終わっていた。
そんな時、クチコミが私のところにも回ってきた。実はワインバーらしく、ワインにあったしゃれた料理も出す、とか。すでに何回か行ったことのある友人が、一緒に行こうと誘ってくれた。同伴者獲得!ということで ある日の夕方訪れてみた。
私の車窓から見たイメージでは、外に階段があり、それを上がった二階に入り口がある、と思いこんでいた。店の前で待ち合わせをした友人が、「さて、階段は、と、、、」と、どこかに行こうとしている私を引きとめ、「ここから入るのよ」と、ずーっと ガレージの入り口だと思っていたグレーのシャッターを指差した。そしてそのシャッターはガラガラと上に引き上げる戸ではなく、映画などで、隠し部屋に入る時に見る仕掛け扉のように、その戸を押すと回転して開くのだ。何回か来たことのあるこの友人がいなければ、入店は不可能だったと言い切れる。
一歩踏み入れると、美しいインテリアで施されていた内装が、外の世界を瞬間に忘れさせる。古いヨーロッパ調のソファーとテープルがゆったりと並べられ、落ち着いた照明がそれらを照らし、ビロードの朱色がきらめいていた。
二階に続く階段を上がると、カジュアルだけど落ち着いたダイニングエリアが広がる。バーを横切り、裏口にある扉を抜けると、パラソルとテーブルを並べた ガーデンパティオがあった。
誰があのシャッターの奥に、こんな世界が広がっていると想像するだろうか。
こうやって 賑やかにパティオでワイングラスを傾けて楽しんでいる人達も、クチコミ、同伴がなければ、ここの存在を知る由がない。

ここで私の関心が向けられたのは、一見レストランやバーとしては利益を得られそうにない物件を選び、設備投資をするオーナー達だ。彼らのビジネスに対する決断力と大金をつぎ込む肝っ玉の太さである。このオーナー達が、20代後半や30代前半だったりするから、もっと驚く。そして それが彼らのクールなところなのか、決して飲み放題の旗を振ることもなく、派手な電飾を外装のいたるところに施すこともなく、あくまでも ひっそり感をキープしている。

こういうタイプの店は、人々の話題にならず、半年や1年以内で消えていくのも多いが、クチコミ効果が高まり、雑誌に取り上げられるようにまでなり、さらに商売繁盛に繋がっている店もある。
なんにせよ、結論は、「お客様は神様です」。良いお口で語ってもらうには、店も人間も内側のプレゼンテーションが大事ということなのね。


Kiki

Alu Wine Bar and lounge
2831 NE ML King Jr. Blvd.
Portland, OR 97212
(503) 262-9463



Posted on 夕焼け新聞 2010年8月号

Sunday, December 11, 2011

おいしい話 No. 40「アメリカ食文化」

アメリカに来るまで 味わうことのなかった食べ物、飲み物というのが沢山ある。元彼が野球観戦の時に必ず手にしていた「ドクターペッパー」と「チリドッグ」、ホストのママに持たされたとクラスメートがランチとして持って来たた「ピーナッツバター アンド ジェリーサンドイッチ」、風邪を引くと魔法の薬のように出された「キャンベル チキンヌードルスープ」に、誰かの誕生日に呼ばれると必ず並べられている チョイスなしバタークリームのみ、カラフル カップケーキ。そして サンクススギビングのターキーに添えて出される「クランベリーソース」。あるお宅に呼ばれ、それが缶詰めから盛られたジェリー状の物だった時は 完全にデザートだと思っていた。

私にとっては、数々の衝撃的な出会いだったわけだが、アメリカ人の日常生活に普通に存在しているそれらの食品は、子供から大人まで愛され、アメリカの食文化となっている。その大雑把で、ストレートで、単一の味。一口トライする前にためらいの数秒、覚悟を決める数秒が必要だった。まあ 瞬間的に拒否反応を起こし、「あまり好みませぬ」という判定を下してきたわけだが、そんな大味食品の中でも「マカロニ アンド チーズ」は違っていた。
チーズ大好き人間の私は妙にハマってしまったのだ。あの Kraft ブランド Safeway価格1箱99セントに。マカロニと粉チーズのパウチが入っており、チーズをミルクとバターで溶かし、茹でたマカロニを混ぜるという代物。チーズ大好き人間と言いながらも、このチーズが 全くチーズと言いがたいほど粘りや糸引き感がない。ミルクをちょっと少なめに入れたり、バターを多く入れたりして「Thick」感を出そうと苦戦した。
たまに3箱で1ドルなどという激安セールに当たると、3箱買い、1箱分のマカロニに対して 2袋のチーズを贅沢に使ったりしたもんだ。
ベビーシッターをしていた7歳の男の子が、このチーズに たっぷりのミルクを入れてスープのようにして食べるのが好きなのを見た時は、眉をしかめずにはいられなかった。

ある日、元彼のステップマザー宅のBBQパーティーに呼ばれた時、そこで出されたホームメード マカロニ アンド チーズにえらく感動した。まず、Kraftブランドを使わず、ホームメードが出来ることに驚き、そしてその2種類のチーズをたっぷりと使い 粘りも濃さもよろしくできた味わいに、日本人ながらも家庭の温かみを感じた。
ESL中盤レベルの英語力で、レシピの説明の理解があやふやだったが、Safewayのチーズ売り場で、マカロニ アンド チーズが簡単にできるチーズのブロック売りを見つけた時は、ステップマザーはこれを使ったに違いない、と喜んだ。これもKraftブランドだったかは覚えていなが、3ドルくらいで、白と黄色の二種類のチェダー チーズがマーブル状に入り混じった塊。要するに バターとミルクで溶かせば あら不思議、簡単にマカロニ アンド チーズができる、という代物だった。チーズ好きの私は、小さいパウチの粉チーズをせこせこ使うレベルから グレードアップして、このチーズを惜しみなく使い、自分好みのどろどろの一品を作った。ホームメードの物とは程遠く、明らかに「Craft」な味がしたが、なぜか この大味にハマってしまった。
今はもうそれほど頻繁に食べることはないが、時々懐かしくなって食べたくなることがある。そんな気持ちになるのは、マカロニ アンド チーズをレストランなどのメニューでみる時だ。名前には懐かしさを感じるが、それを7ドル、8ドルで売っていることに対しては、いささか納得がいかない。
この間 行った 少々お高めのイタリアンレストランで10ドルの値段がついているのには目が点になった。が、身分不相応にもそんなところに行ってしまったものだから、頼みは 一番安いこの10ドルのマカロニ アンド チーズしかなく、小さい小山に上品に盛られたマカロニを、一つ一つ不甲斐無い思いで食べた。
ハビーに 断然Kraftより味が優れていてランクが上、と紹介された1箱3ドルのAnniesブランドが、懐かしい大味を楽しみたい時のレスキュー商品となっている。1箱茹でると、ボール二つの大盛りマカロニ アンド チーズができる。それをスプーンでごそっとすくって もぐもぐと食べる。ああ、私もすっかりアメリカの食文化に染まってしまったのね、と感じる一時。

Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2010年7月号

Friday, December 9, 2011

おいしい話 No. 39「カルパッチョ」

南国の海を目の前にして育った私は 新鮮な刺身を あたりまえのように週に3日は夕食で食べていた。どちらかというと焼き魚より 刺身を好む。生好きは 魚介類に限らない。社会に出て初めて連れて行ってもらった カウンターの回らない寿司屋で食べた新鮮生牛肉の握り寿司や、焼肉屋で食べたユッケは、魔法の食べ物のように私を虜にした。もう2度食べるチャンスはないと思われる鯨の刺身や馬刺しも、遠慮なく頂いたもんだ。生肉にまったく抵抗がない私は、焼肉も あんまり焼かない派で、ステーキも限りなくレアに近いミディアムレアを好む。
地元には似つかわない、とってもおしゃれなイタリアンレストランがオープンした時、「カルパッチョ」なる生肉料理があることを知った。それはフグ刺しよりも薄いのではないかと思われる薄さにスライスされた生肉を、フグ刺しのようにお皿に敷き詰めて、オリーブオイル、レモン汁、塩コショウなどでシンプルに味付けされた一品である。私の中で その美味しさは ユッケに続く衝撃があり、あれっきりのカルパッチョ、と心に残ったままだった。
シアトルの「Machiavelli」というイタリアンレストランで 数年ぶりにカルパッチョとご対面をした。カルビ二切れ分に相当するのではないかと思われるほとの薄切り肉が皿に広げられているわけだが、お値段はカルビ二切れ分なわけはなく、その当時、一皿9ドルから12ドルくらいした。そんなわけで、友達とシェアなんかすると、あっという間に消えてなくなる。本当は、自分だけに一品注文して まるでフグ刺しを豪快に食べる人のように、皿の上にフォークを走らせ、肉をかき集めて食べたいところなのだが。
それから後に、「Wasabi Bistro」で ハマチやマグロなどの和風カルパッチョを味わった。刺身用に切られた自分のチョイスの魚を ポン酢ベースのソースで頂く。軽くハラピーニョのみじん切りが振られていて ニンニクやわさびと違うピリ辛感があり、これまた虜になった。ここもまた 一品12ドルほどしたように思う。大きくなって 出世したら 一品まるまる自分で食べるんだあ!と 心に誓ったものだ。

あれから 数年、すっかり大きくなって、出世した私は、ふと舌がカルパッチョを求めていることに気がついた。イタリアンレストランに行く度に、前菜あたりでカルパッチョ、正しくはCarpaccio、を探したが、以外になかなか作っている店がないことに気が付いた。イタリアンレストランと名を出しておいて、カルパッチョを置いてないとは、どういうことだ、と憤慨していた。魚バージョンでもぜんぜんいいのに、と思っていたが、フュージョン系の店や寿司屋でも見ることがなかった。
友達とハッピーアワーに行こうよ、と話しているその電話口でぐずった。「カルパッチョが食べたい。」
友達が「あそこは?ここは?」と知ってる限りのポートランドのイタリアンレストランの名を挙げた。カチャカチャとコンピューターのキーボードを叩き、検索をしたが、掲載しているメニューでCarpaccioの文字を見つけることはなかった。私のクズリ度が高まる。
困り果てた友達が、「“カルパッチョ”で検索しなよ」と一言。まさに盲点をついた名案だ。興奮するその勢いでカルパッチョの綴りを叩いた。
出てきた、出てきた。ポートランドダウンタウンエリアでカルパッチョが食べられる店3軒が現れた。
その中の一件一件のメニューをチェックしていた私の心が躍った。Bastas Italian Restaurantはカルパッチョがハッピーアワーのメニューにあり、なんと5ドルではないか! しかも平日で5時から11時までという、型破りなハッピーアワー。5時に仕事が終わって、5時半にはお店に着いて、6時半のハッピーアワー終了までに しっかり注文するぞ、という通常のあせった体勢ではなく、余裕で臨めるわけだ。

テーブルに着いた私は、メニューを手に友達に一言、「カルパッチョ、一皿 一人でいかせてもらいます。」やっと念願の日が来た。一人でフグ刺しをさらうようにカルパッチョを食べられる日が。5ドルという値段が私の心から罪悪感を消してくれる、というのが実情の出世街道を行く私。少々薄っぺらではあるが、味のあるカルパッチョに魅せられている今日この頃だ。


Kiki



Bastas Trattoria
Italian Restaurant & Bar
410 Northwest 21st Avenue
Portland, OR 97209-1104
(503) 274-1572



Posted on 夕焼け新聞 2010年6月号

Thursday, December 8, 2011

おいしい話 No. 38「メキシコ家族旅行」

ここ数年、年に一回、ハビーの両親と弟と一緒にメキシコに家族旅行に行くのが恒例になってきた。私が一番最初に参加したのは 付き合い始めて半年、まだ結婚などの話が出る前で、ハビーの両親には1回しか会ったことがなかった。つまり2回目のご対面で、いきなり家族旅行に参加してしまったわけ。さすが、アメリカ人の心の大きさは大陸の大きさのようです。
カルチャーの違いというか、1回しか会ったことないのに、もう家族旅行に参加してしまった私は 緊張して、どういう行動に出てよいものかと、いつもドギマギしていた。プラス、初めてのメキシコ旅行で 言葉も土地感覚も全くなかった私は、ただひたすら、自分が何をしたいと言うこともなく、皆の意見にすべて同意しながら、後をついて回っていた。

今年のメキシコ家族旅行は、私にとって あの初参加依来2回目の、Puerto Vallartaという市が選ばれた。頻繁に会うことができない距離に住んでいるから、家族で一緒に過ごす時間を作るための家族旅行、が趣旨なわけで、ホテル代など主な費用はこの御両親様から出ていることを考えると、あんまり自分勝手な行動はとれない。が、自分達の意志で行動し、自分達なりに楽しめる日を1日持ってもいいじゃないか、ということで、数日滞在する中の1日はハビーと二人だけで過ごすことになった。
そこで 二人が選んだのはダウンタウン。Puerto Vallartaはメキシコの西海岸にある市で、ダウンタウンは海に面した海岸にある。最初の旅行で来た時に 強く印象に残っていたのが、ビーチ通り沿いに転々と設置されていたオブジェ達。どこの芸術家の作品なのかわからないが、何か宗教的で、宇宙的で、未来的で、強い願いや希望を表現していた。
もう1度あのオブジェ達を見たい、今度こそは写真に収めたい、という私の不完全燃焼から来た思いが ふつふつと沸き起こる。なぜ不完全燃焼なのかというと、つきあって間もない彼氏の一家について回ってた最初の旅では、カバンからカメラを出すことさえもできなかったほどのドギマギ状態だったのだ。なんてウブな私! 今回、このオブジェ達をまた見ることができた喜びで、私は写真を何枚も撮った。これでもか、と言わんばかりに。

ビーチ通りをさらに歩き続けると、砂浜にロマンチックに赤いクロスのテーブルを出し、藁のパラソルを立てたレストランが見えた。あら素敵なお店じゃないの、と近づいていくとその隣にも、またその隣にも、ロマンチックなレストランが並んでいるのが見えた。前に来た時には、ここまで足を延ばさなかったので気がつかなかったが、主に観光客を対象としたレストランがビーチ上にぎっしり並んでおり、それぞれが広げたテーブルとパラソルで 訪れる人々を呼び込んでいた。
すっかり雰囲気に呑まれたハビーと私はここで夕食を取ろうというこになった。そこまでの決断はよかったが、ハビーが鯛の丸焼きをレモンとバターとガーリックで頂く料理を食べたい、と言い出した。それに対して私が、新鮮な白身魚、海老などを使ったメキシコ風シーフードサラダのCebicheを食べたい、と言い出す。お互いをハッピーにするために、その両方を、おいしく、安く食べられる店をみつけなければならなくなった。
一件一件外に掛けているメニューを覘きながら、レストランの立ち並ぶビーチを、上ったり下ったり。鯛はあるがCebicheがない。Cebicheはあるが鯛がない。Cebicheも鯛もあるが、鯛が切り身で姿焼きじゃない、などと決めかねているうちに、気が付いたら太陽が水平線にどんどん傾き始めた。そして、ビーチに並ぶテーブルにはキャンドルが飾られ、松明に火が灯され始めた。
とうとう陽がすっかり落ちてしい、決断できない自分達に嫌気がさしてきた頃に、やっと無理矢理1件の店に入った。そこはビーチ沿いでもなければ、鯛もCebicheも置いておらず、それは特大マルガリータと、マリアッチの陽気なおじさんたちの演奏にとってかわる、という、私たちに非常に有り勝ちな結末となった。
私たちが 何故かクラムチャウダーなどをすすっているその頃、ハビーの両親と弟は、どこかで鯛の丸焼きを食べていたと翌日判明。自分の意志がどうだとか、ワケのわからないことを行って別行動などするものではない。家族旅行では 家族と共に行動し、両親の意見に素直に同意して後を付いて回る事。途中どうであれ、結果、美味しい物を逃す事はない。家族と一緒に過ごす時間はとっても大事なのです。特にこんな優柔不断な二人には。

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年5月号

Tuesday, November 22, 2011

おいしい話 No. 37「ある一定の年齢に達すると、、、」

ある一定の年齢に達してしまうと、いろんな意味で 野心が失せて行くものだなあと、ある一定の年齢に達してしまった私は思う。美しさを追求するあまり トリートメントにパックにマッサージと1時間風呂を重ねる毎日。殿方に好まれたいと化粧に30分、ブローに30分、洋服選びに1時間かけていたあのエネルギーにあふれていた若き頃。脱いだらスゴイのイメージを頭に、高いスポーツクラブの会員になり、週に3回のジム通いを欠かさなかった闘魂の日々。
私の中での「野心」というのは まあ モテタイということに直結していたわけだけど、近頃の私は、10分のクイックシャワーに、5分のダッシュメークに、濡れた髪は自然乾燥の毎日。下腹の肉を掴みながら、これはどこからやってきたのだろうと他人事のように疑問に思い、吸引で脂肪を取るのはいくらかかるのだろうかと、安易な道を思案している。
まったく 野心のボルテージはゼロ地点まで下がってしまっているわけだ。
いったいナゼ。
「ハニー、またバスタブの排水溝が君の髪の毛で詰まっているよ!!」とハビーの怒り声が風呂場から飛んでくる。そうだ、このぬるま湯のように心地よい既婚生活が、私から緊張感を取り去っているわけだ。スイートなハビーに大切に守られている、婚活というものをもう2度としなくていい、という安泰感が、精神のゆるみ、身体のゆるみに繋がっているようだ。
でも ここからどうやって 若い頃のような緊張感のある生活に戻すことができるのかしら。こんなに優しいハビーがいるのに、外に向かって モテタイ野心を掻き立てるのもおかしな話だし、第一、世間の男たちは 既婚者と解ると 後ずさりし、そそくさと会話を終了に持っていこうとするではないか。プラス、ある一定の年齢に達すると、どんなにごまかそうとがんばっても、ごまかしきれない現実が、シワの間から滲みでてくるものなのだ。
結果、パジャマのままのカウチポテトなわけである。

そんなある日、気分を変えるに限る!と、とうとう重い腰をあげ、パジャマから 久しぶりに丹念に選んだ服に着替え、女友達と夜の街へと繰り出した。
年齢を聞かれても「二十、、、才!」と堂々と答えれた独身の頃は、バーで自分の財布を取り出す必要など全くなかった(という記憶)。今では 友達も私も年齢を聞かれると聞こえない振りをしたり、見た目と苦しいギャップが出ないところで年齢をごまかしたりする事を、全くに自然に行うようになった。それでも、私の薬指に 人の目を突き刺すように光る100キャラットの指輪(本人検証)を見ると、バーに群がるハンター達も 3メートル以内に近寄ってくる事はない。
ということで女友達と、もちろん二人きり、あるバーのテーブルで ひたすらしゃべる事に集中していた。会話にポーズが入るのはワインをすすっている時だけで、アルコールが補給されると、さらに勢いがつき、誰も間に割り込めない状態だった。
そこにウエイターが、突然、躊躇なく割り込んできた。「あの、あちらのカウンターの男性が、お嬢様方に何か御飲み物を買われたいとおっしゃっているのですが。」私たちのBullet Trainに急ブレーキがかかった。疑いの目でそのウエイターを見上げる私たち。頭が一生懸命、何が起こっているのか理解しようと奮闘している。ぽかんと口を開けたまま返事をしない私たちに ウエイターが再度、ゆっくり丁寧に同じセリフを言って聞かせた。
「あちらの方」と示された方に体を傾け、目を細めてその紳士を探す。微笑を浮かべ、軽く指先だけで合図を送ってくる 頭の禿げた50過ぎの男がいた。友達としばし顔を見合わせる。「それじゃあ 同じワインを頂くわ」と注文し、私達の会話は再起動された。
今度は 痺れを切らしたその男が自ら、私達の会話を中断しに来た! 薬指のサインもノープロレム。すっかり私達の席に居を構え、自分がどんなにサクセスフルかをアピールし始めた。友達が私の視線をその男の手に促す。さっき取ったであろう指輪の後がくっきりと薬指に残っていた。この男、秘めた目的を水面下に、しゃべりの「技」をフル使用。次のお酒も奢ると言って聞かない。遠慮なく、一番高いシャンパンを注文してみた。
ある一定の年齢に達すると、こういう状況を冷静に捉え、頂けるものは しっかり頂いて、上手にお暇することができるようになる。

家に帰るや否や、即座にパジャマに着替え、コメディショーを見ているハビーの横にぴたりと寄り添う。やっぱり、ある一定の年齢に達すると、これくらいの湯加減が、一番健康的である、という結論を出した。


Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年4月号

Sunday, November 20, 2011

おいしい話 No. 36「女一人、バーにて。」

私もポートランドに暮らし始めて もう数年が経ち、お金が有る無しにかかわらず、様々なレストランやバーに出没して、行った事ない場所なんかない、かのようだけれど、やっぱり まだまだ甘ちゃんのようだ。毎日新しい店がオープンしているんじゃないかと思われるこの街の レストラン、バーの多さには 全く追いつけていない。
その大半の「行ったことのないレストラン、バー」というのが ホテル内で営業している店たち、ということに最近気が付いた。ホテルには大概 しゃれたバーや レストランがあるものだけど、いつも選択肢に入ってこない。なぜいつも「忘れて」しまうのだろう。
ひとつの理由はたぶん 7、8年前、最後に日本に帰った時に泊まったホテルのラウンジで カクテル1杯に1500円取られたことが、トラウマ的ダメージを私に脳に与えているのだと思う。ホテルのバー イコール 高い、という理由で自動消去されているようだ。
でも、最近 私の中で、レストランはさておき、ホテルのバーを見直そうブームが起きている。
ホテルのレストランの 高くて気取っているだけで、料理はまずい、という偏見はしっかり健在しており、それを覆す経験はまだしていないので、今だ評価の格上げはない。しかし、ここポートランドでは、どこで飲んでも基本的にバーのビール、ワイン、カクテルの味や値段に さほど変わりがないので、他の要素が評価の重要ポイントになるのだ。
ホテルは 旅のお客さんをもてなすために、落ち着いた、寛ぎのある雰囲気をコンセプトに造られているので、バーエリアも ゆったりとした空間を基本に壁の色調や 照明がデザインされている。そして 一回ズバっと座ってしまうと 旅で疲れた体をすっかり癒してくれる あのクッションの効いた贅沢なカウチたち。旅で秒刻みに走り回る客達も、バーエリアに入ると 時計がゆっくり回っているように感じられる。同じ場所を共有する他の客人たちも、騒がしいガキんちょ達でなく、場所をわきまえたアダルトな方々ばかり。カクテルサーバーたちも やんややんやと煩く、5分毎にやってきたりしない。ちゃんと時を計らって、ほっといてくれるのだ。
そして なんといってもホテルのバーのご賞味は、一人で何の引け目もなく飲めることだ。私ぐらいの大人な女になると 一人で行く 行きつけのバーのひとやふたつ持っていたいものだ。普通の飲み屋だと「寂しい女」「孤独な女」に映るところが、ホテルのバーだと違う。いや、日本のホテルのバーは情事の密会の場所というイメージがあるが(テレビの見すぎ?)、外国のホテルのバーだと、一人で飲んでいても、「タフな商談を取りまとめ、はーっと 一息つきに来たデキル女」だったり、「遅いフライトまで時間があるから その時間を使って仕事から暫し自分に戻っているデキル女」に映るわけだ。例え寂しい一人旅をしている女に見えても、「傷心」でありながら「燐」とした姿に見えるから 決してDesperateではないわけだ(これも かなりテレビの見すぎ?)。
ま、結論から言うと ホテルのバーはこういう妄想劇をかきたててくれて、一人でバーで飲んでいるという状況を 自分の中で 正当化できるわけ。これは場末のTavernじゃ無理な心理作業なのよ。
そんなわけで、近頃の私は Riverplace Hotelのバー、Three DegreesでWillamette Riverを窓越しに見つめながら、「商談で来たポートランド。ここに住んでいる友人と約束しているDinnerの時間まで、シャドネーを片手に、寛ぎながらも、今日の仕事を振り返っているデキル女」になっていたり、Hotel deLuxeのバー、The Driftwood roomで、マティーニのグラスを傾けながら、「今日が最後のビジネストリップ。部屋に上がる前に、バーテンダーと談話を楽しみにきたデキル女」になったりしている。
実際、現実として 私がどう世間様に移っているかは 不明であるが、ま、それはあえて気にせず、一人でバーに行ってみたい、でもちょっとその勇気がなーい、という女性にはホテルのバーがお勧めです。私のように 自分の妄想劇のテーマを持って行くことは あくまでも補足ですが、適用される場合は それに合わせて ワードローブを決めるのも楽しいでしょう。でも 間違っても、ホテル側に勘違いされて 追い出されるようなカッコウはしないように。

Kiki


Riverplace Hotel
1510 Southwest Harbor Way
Portland, OR 97201

Hotel deLuxe
729 SW 15th Ave.
Portland, OR 97205


Posted on 夕焼け新聞 2010年3月号

Sunday, November 6, 2011

おいしい話 No. 35「キーワードはコミュニティー」

先日、1月16日に行われた、Yuuyake Shimbun主催の「コミュニティー新年会」に行ってきた。2010年の新年会ということで、集まった人たちが一緒に映画を見て楽しむ、という趣向。なにやら入場料はタダ、スナックや飲み物もタダというわけで、普段 腰の非常に重い私も、簡単にお誘いにノッてしまった。

会場は 宇和島屋の近くにあるKyokushin Karate Dojo。お隣でIto Clinicを開業している伊藤さんが、この道場で空手を教えているとか。練習を終えたばかりなのか、胴着を着たちびっ子達が 他のちびっ子達と交って走りまわっている。親御さんたちや Yuuyake Shimbunの広告を見て集まった人達が 賑やかに交流をしている中に 私も飛び入りでおじゃました。

今夜のメインイベントは 映画鑑賞。あの有名な宮崎駿監督の「ハウルの動く城」が上映される。子供の頃は 世界名作劇場(元カルピスこども劇場)の「赤毛のアン」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などお馴染みのアニメを毎日くらいつくように見ていたのに、大人になってからは あまり興味を持たなくなってしまった。映画館に足を踏み入れることもなく、DVDを自ら借りることもなく、アニメから すっかり遠のいていたので、こういう機会はとても新鮮に思えた。

上映前に 歓談している参加者を中央に集め、伊藤さんから コミュニティー代表としてのスピーチがあった。地域で活躍しているビジネスがスポンサーとなり、こういう企画を考案、実行し、地域の人々の交流、絆をどんどん深めて行きたい、というのが本来の目的とおっしゃる。そういう希望に溢れる意志に、私はちょっと驚いた。日本に居たって 地域の交流を、なんて言ってる所は少ないのに。ましてや 個人主義のここアメリカにバラバラに住んでいる日本人の間で、そういう意識を強く持って 実際に行動を起こしているなんて。

プロジェクターの光が 道場の白い壁に映し出された。いよいよ上映が始まるようだ。興奮したちびっ子達に混じって私も スクリーンの前に陣取る。そして 茶色い紙袋に入ったスナックが参加者全員に配られた。「あら わたくしにも頂けるなんて?」と 大人ぶってみたものの、一旦その紙袋を手にすると、子供の頃に感じた「嬉しい」気持ちがグッと沸いて来て、にんまり笑いを抑えることは出来なかった。

部屋の電気が落とされ、いよいよ映画が始まった。待っていられない子供達がさっそく袋をガザゴソと開けて ボリボリとスナックをかじる音が響く。私も暗闇をいいことに こっそり自分の袋を開いて 中身を確かめる。おせんべいに「うまい棒」に「チュッパチャップス」(知ってます??)、そして小分けにジップロックに入れられた「かっぱえびせん」などバラエティーにとんだお菓子が入っていた。それを見て私は更にグググッときてしまった。なんて子供心をくすぐるおやつ袋なんだろう! 大人のはずの私も すっかりくすぐられてしまった。
マットレスで敷き詰めれられた道場の床に体育座りし、スクリーンのアニメを食い入るように見ながらも、お菓子を口に持っていく手は休まない。私は自分の子供時代にタイムスリップしたような気がした。
私の子供のころは 近所に公民館があり、地域の交流の場としてよく利用されていた。新年会、節分、ひな祭りに、子供の日、七夕祭りに、お月見、そしてクリスマス会と、地区会の会長を筆頭に親達が計画を立て、年中行事がそこで行われていた。それらの行事を通して、小学校のクラスで会わない同地区の友達と遊べたり、PTAとは違う親達の交流が深められる機会となった。ゲームをしたり、歌を歌ったり、演劇をしたり、もちろんおやつもしっかり与えられて、本当に楽しくって みんなが仲良かった思い出。そういうものを この道場から本格的に作り上げていこうとしているんだな、と思った。

「ハウルのナントカ」っていうのは 聞いたことあったけど、私には ああいう宮崎駿の独特でストレンジな世界にはついていけない、と思っていたら なんと、映画の終わりで からっぽのお菓子の袋を握り締め、感動してぽーっとしている自分がいた。戦争も争いもダメ。世界人類仲良く暮らさなければ。小さい事からコツコツと。自分が居るコミュニティーから作り上げて行く事が大事なのです!
悟ったように大きな気分になって帰って来た私。興奮してハビーに話すと、「Haul’s Moving Castleだろ?もちろん 観てるさ。あったりまえだろ。あんなCoolな映画、君は今まで観た事なかったワケ???」と見下げるように言われた。「コミュニティー新年会」、参加してよかったです、、、。

Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2010年2月号