Monday, February 18, 2013

おいしい話 No. 70 「アメリカンスタイル」


 
子供の頃、アメリカやヨーロピアン スタイルに憧れていた。ジョン ウエインやクリント イーストウッドの西武劇映画にはまっていた。クリスチャンでもないのに、食事の前に十字を切り、お祈りをするフリをした。なんでもかんでも ナイフとフォークで食事をした。

玄関で靴を脱いで家に入り、正座をしてちゃぶ台で食事をし、畳に布団を敷いて寝る文化に育った私にとって、映画の中の風景は別世界だった。

大人になった私は 西部劇映画から卒業し、もっとモダンなアメリカンスタイルに傾倒した。NHKで放送していたBeverley Hills, 90210」(「ビバリーヒルズ 青春白書」)。

高校生なのに あのセクシーなファッション、車での通学、家で行われるパーティー、毎日が恋愛問題で明け暮れ、性に先進したカラフルで自由なライフスタイル。制服着てチャリンコで通学し、恋愛には全くオクテの私は、おとぎ話を楽しむ子供のように この番組にハマっていた。

そして数年後、私は ブラウン管をまたぎ、アメリカの地に降り立ち、アパートの中で 靴を履いたままカーペットを歩く生活をしていた。

Beverley Hills」ヨロシク当時付き合っていたボーイフレンドと 同棲をしていたアパートには、いろんなアメリカンボーイが遊びに来た。「What’s up, Bro」「what’s up, Dog」と挨拶を交わし、ボーイフレンドと男友達は 手を握り合いながらハグをする。リビングルームに入ると、カウチにずしーんと座り、靴を履いたその足を コーヒーテーブルに乗っける。会話の途中で立ち上がり、キッチンに行って 冷蔵庫を開け、ソーダやビールを取り出し、カチっと栓を開けごくごくと飲み出す。「カジュアル」というか、勝手知ったる他人の家状態の振舞。あのドラマで見たシーンに、自分がいる。

ある日、ボーイフレンドのおばあちゃんを訪ねた。

当時70代後半だったおばあちゃんは、旦那さんが随分前に亡くなっていて、一軒家一で人暮らしをしていた。これまた ドラマで見たアメリカの家だった。リビングルームには 暖炉があり、花柄プリントのソファーとリクライニングシートの椅子が並び、テーブルとランプがその両脇に設置されている。暖炉の上や、壁や、サイドテーブルに 家族の写真が飾られていた。

訪ねた時間は夕方の4時頃。もうカクテルアワーは始まっていた。

おばあちゃんは ジントニックを片手にソファーで寛いでいた。

「あんたたちも何か飲みたいものを持っていらっしゃい。」

ボーイフレンドがキッチンに行き、冷蔵庫や収納扉を開けながら 私に何が飲みたいか聞く。「Beer, please!」とキッチンに向かって叫んだ後、おばあちゃんの向かいの椅子に腰を下ろす。「Hi」、「Hello」。 欧米のばあさんの生活は見たこともなく、アメリカに来て一番ドギマギした場面だった。

このアメリカンスタイルばあさんは、70歳後半にして、かなり独立した、粋なおばあちゃんである。家での寛ぎはジントニック、十数年通う馴染みのレストランでは レモン ツイストのジンマティーニ、車も古いキャデラック並みの大きな車を自分で運転し、買い物にも 美容院にも行く。飼っている猫が失態をすると、鋭いCurseが飛び出す。一人で生活をする意志を曲げず、子供たちの家で世話になることを頑として断る。

これが一般なのか。日本では見ない、新しい年寄り像だ。

Grandma」の家には しょっちゅう遊びに行った。野球が好きでマリナーズのゲームをよく見ていた。ここでも時折Curseが飛び出す。

テレビ用個人折り畳みテーブルもカルチャーショックだった。それを各自の前に広げて、リビングでテレビを見ながら食事をするのだ。綺麗なダイニングルームはただの飾り。アメリカのおばあちゃんは ピザやフライドチキンやハンバーガーも食べる。

4年前、Grandma90歳のサプライズパーティーが あるゴルフクラブ行われた。家族や知人友人、ご近所さんまで、200人の招待客が集まった。私も 当時のボーイフレンドとはとっくの昔に別れていたにも関わらす、このパーティの招待を受けた。娘のLindaが司会進行をしながら、スライドを流したり、来賓によるメッセージを送ったり、Grandmaの実際の服を使用したファッションショーを行ったり、パーティーは盛大に行われた。

アメリカンスタイルはやることの規模が違う。許容範囲が違う。楽観的観念の度合いが違う。テーブルでそのパーティーのシーンを鑑賞しながら思った。私はどこまで アメリカンな生活や生き方ができるのだろうか。恰好を真似るだけじゃなく、基本のポジティブエッセンスみたいなものを吸収して、アタシっていう人間にプラスになる生き方。まあ 平気でハビーを連れて行ったところが、かなりアメリカンかもしれないが、、、。

 
Kiki

 
 
Posted on 夕焼け新聞 2013年2月号

おいしい話 No. 69 「アートの島」

 

日本に住んでいたら、日本に帰国する機会があれば、是非訪れてほしい美術館がある。今回8年ぶりの帰省を果たし、友人に一泊温泉旅行計画を押し付けなければ、私は この美術館の存在を知ることはなかった。

「地中美術館」。ここを訪れる事無く、人間として100%充実した人生を送っているとは言い切れない! 新たな美術館体験した私は、そう思わずにはいられなかった。アートに触れて、アートが作る空間に身を置いて、それを五感を通して鑑賞し、同時に 自分という存在を見つめる。感動が心にいっぱい膨れ上がり、揺さぶられるような、そんな体験は これまでの美術館めぐりでは得られなかった、、。得られようとも想像しなかった新たなものだった。

友人が温泉旅計画の概要を説明してくれる。温泉旅館は 香川県琴平町の金毘羅さん付近で予約してあるよ。酔っぱらって浴衣の前がはだけてきても平気なように 夕食はお部屋食で頼んでるからね。で、日中は直島っていうところに行きたいのよ。高松からフェリーに乗って行くんだけど。この島には世界的に有名な美術館があるから 是非ともそこに行きたいの。

「チチュウ美術館」  美術館めぐりか。ま、それも いいでしょ、たまには。

高松港から 約1時間ほど フェリーに乗り、直島に向かった。もうここから旅の情緒が始まる。ゆったりと走るフェリーの両側に 瀬戸内海の海が広がり、そこに雄大な島々が浮かぶのが見える。直島の港に到着すると、そこから 町の小さなバスに乗りこむ。島の古い民家や町役場を通り抜け、ランドセルを背負った小学生達を見下ろしながら小道を走る。海岸線に出て 数分ほどで 目的の美術館に到着。

世界的に有名な日本の建築家、安藤忠雄の設計により建設された美術館。入場券を買う列に、数人の外国人がいた。本当に有名なのね、この建築家の方。世界中の人々が、わざわざこんな小さな島まで この美術館を一目見ようと来ているのに、昨日の今日までその存在を知らなかった私。日本人としてちょっと恥ずかしくなった。

「瀬戸内海の美しい景観を損ねないよう 建物全体が地中に埋設された美術館」、、、、チチュウ。地中。地面の中、って そういうことなのね! 本当に パンフレットにある上空からの写真では、屋根にあたる所のデザインが丘の上に見えるだけだった。

撮影禁止と注意され、中に入る。暗い通路から パッと明るい空間に出る。コンクリートの壁が空に向かって真っすぐに開き、光を迎え入れている。同時に植えられた植物がその光を浴びて ピンと立っている。いきなり言葉にに表現できない何かが胸にぐっときた。

電球を使わず、唯一の入り口である天井から 計算されたデザインによって 光を有効に取り入れている。クロード モネの油絵「睡蓮の池」シリーズも 見事にその和かい自然光を浴び、美しい色どりを打ち出していた。係り員の人によると、自然光だから その日に訪れる時間帯や、外の天気の状況によって 絵の色が 表情を変えるそうだ。朝の睡蓮の池と、夕方の睡蓮の池。快晴の日と雨の日。印象が強くなる色のコントラストが微妙に変化する。

モネの絵が一番美しく展示されている美術館ではないだろうか。

ジェームス タレルや、ウォルター デ マリアのアートも 設計の段階から 安藤氏と入念にデザインを練り、個々の作品の、完璧な展示スペースを作りあげたようだ。とにかく ここの美術鑑賞は 数時間では まったくもって足りない。

この島には ルイビトンとのコラボレーションでバックのデザインにかかわった草間彌生のかぼちゃのオブジェを含み、島中の至るところに 様々なアーティストのオブジェが立っている。直島は まさにアートの島だ。

フェリーでふらりとやってきて、自転車で島を回り、夜は 安藤忠雄が設計したホテルに泊まる。なんて素敵な旅だろうか。出会った数人の外国人の方々のように、一人旅もかなりいいと思う。そして もしそれが傷心旅行になるとしても、この島の陽の風とエネルギーが必ず癒してくれるはず。

日本にいたら、とか、日本にお帰りの際には、とか言っていたけど、本当は わざわざポートランドから計画を立てて行ってほしいと 思っている。

高松まで行かなくても、岡山からもフェリーで行けるから、東京、大阪から新幹線で乗り着ける。以外に簡単なのだ。

今回の日本帰省は、日本や日本人の素晴らしさを 改めて見直して 非常に感動した旅だったけど、アートの島、直島と「地中美術館」は、大ハイライトのひとつよ。

 

Kiki

 

ベネッセアートサイト直島


 

地中美術館


 

 Posted on 夕焼け新聞 2013年1月号

Sunday, January 13, 2013

おいしし話 2012年12月号 ~お休み~

おいしい話 No. 68 「日本人はすごい」



Hood Riverに住む知人Danが、発起人となって Hood River発の 映画祭を開催した。Mt Hood Independent Film Festival。アメリカ国内だけなく、世界中から応募作品が送られてきた。170作品。その中で77作品が選ばれ 3日間 3箇所、4つのシアターで上映された。

この映画祭には Hubbyが製作したDocumentaryも上映されるし、DanHubbyが製作した映画も上映されるということで、この10月最後の週末はHood Riverに移住することになっていた。

そんなFestival開催の一週間前、Danから電話があった。

I need your help!

選ばれた作品の中に、日本からの応募作品があった。「父の愛人」-My Father’s Mistress。その監督と主演女優が わざわざこのFestivalに日本から来る、という。「どうやら彼らは 彼らの映画が選ばれたことでかなり興奮しているようで、とにかくHood Riverに来るというんだよ。それはいいんだが、問題は 彼らは英語がしゃべれないらしい。映画上映の後で、Q&Aがあるが、彼らのために 君に通訳をしてもらいたいんだ、やってくれるかい?」

 

10月の初めに、アメリカ人の友人に紹介され コンサートに行った。日本人4人のアーティストから結成されたバンド、「Mono」。ギター、ベース、キーボード、ドラムのインストルメントで 静と動が波打つ、壮大なスケールの演奏で、体と心に浸透していく音を出す。詩はなく、言葉の替わりに その音だけで メッセージを送る。懐かしいような、ふるさとを思うような、そんな気持ちが沸きあがってきた。

興奮した勢いで ショーの後 メンバーの一人であるTakaさんに声をかけた。

アンダーグランドのミュージシャンを探して 紹介するブログを運営しているこの友人が、Monoのインタビューを彼のブログに載せたいという。君にコンタクトを取ってほしい、と、どこから調べたのか Monoのマネージャーの連絡先を送ってきた。

そんな経緯で、Monoにコンタクトを取り、Email上でインタビューを行うことを承諾してもらった。Takaさんの答えには、日本を、日本人であることを大事にし、それを表現したいという気持ちがこもっていた。

 

日本からわざわざ この小さな町の 小さな映画祭に来る。なんか 彼らの興奮状態がわかるような気がした。「Of course, Dan.I am glad to help them!」同郷であることのセンチメンタルな気持ちが こうやってがんばっている日本人を目にする度に湧き上がり、応援したい、と思う。

 

「父の愛人」が上映される当日、助監督の舟木俊作さんと主演女優の河野知美さんに会った。監督の迫田公介さんは お父上が突然病気になられて 已む無くキャンセルということになった。

映画のストーリーは 静かで、激しく、奥が深く、悲しく、そして それらはすべて、「生きる」という事と、「人間」ということを表現していた。とても 隣に座っている若者達が 作り上げたとは思えないほど 成熟していた。映像も美しく、編集もプロフェッショナルだった。

Q&Aで 舟木さんと河野さんが、満席のアメリカ人の観客の前に立ち、彼らの質問に誠実に答える。一生懸命 自分達の日本人としての思いを伝えようとする。それが 私にも伝わってくる。外国の人々に日本を伝えたい思い。通訳する私は、日本人として 大いなる任務を感じた。

 

パンフレットに 監督の迫田さんが鬱病になり 3年間療養した後に この「父の愛人」を製作したとあった。10枚にも渡る手紙を出し 出演の交渉し、浅丘めぐみを口説き落としたというエピソードを聞くと、鬱病だったなんて信じられない。迫田さんからはパッションしか感じられない。何十人ものスタッフを集め、プロダクションを作り、ひとつの作品を完成させた彼には エネルギーしか感じない。私なんかより よっぽど心に力があるじゃない!と思った。

映画に描写されているその繊細さが、彼の強さの裏側にある 敏感な感性から生まれているということなのかな。

 

「日本人はすごいよ! 日本人のアーティストは マジすごいよ!」

ひさびさに集まった酒の席で、日本人の女友達に 熱く語る私。

日本人はすごい、アメリカにいて 改めて日本の事を考える事って めったにないど、この日本の若者の アーティスティックな才能を見たら そう思わずにはいられなかった。アメリカに居ながら、同郷の勇姿に感動を与えてもらっているよ。

 

Kiki

 

Mono


 

「父の愛人」- My Father’s Mistress


 

Mr. Hood Independent film Festival


 
 
Posted on 夕焼け新聞 2012年11号

おいしい話 No. 67 「男の出る幕」


「バーベキュー」となると なぜ日常台所に立つことのない夫達が、裏庭に現れ、火をおこし始めるのだろう。普通のSunday BBQでも、Holiday BBQでも、キャンプでのBBQでも、普段消えている男たちが わさわさと動き始める。これはアメリカンカルチャーなのか。どこから 発生して、こんなに どこの家庭でも見られる現象となったのか。なぜ、いつも食事の準備をする妻達が 外でも腕を振るわないのだろうか。

たまに天気のいい休日は、妻達にゆっくりしてもらいたい、という労いの気持ちなのか。ゴウゴウと燃え立てる火を操るのは、女には危険過ぎるという保護の気持ちか、BBQ台の前に立ち、腕の袖を捲くり上げ、熱と奮闘しながら 肉の塊を焼く姿が、Masculineに見えるからなのか。

BBQに拘る夫達は、普段料理はしなくとも、自分があみ出した自前のBBQソースや、肉を漬け込むマリネソースがあったりする。このソースの旨味を生かした焼き方をするのは、自分しかいない。

アメリカンカルチャーとおぼしきや、似たような光景が、日本の鍋の宴でも 見られるような。鍋奉行と呼ばれる鍋通が、拘りのダシから具から 鍋を作り上げていく。横入れは禁物。「出来た」というゴーサインが出るまで、神妙に待つしかない。この鍋奉行、かなり高い確率で 男が多い。

 

ハビーの実家も、週末のBBQは パパが動く。裏庭に設置された 銀色に輝くガス仕様のBBQ台のカバーが取られると、そこから 彼の小さな世界が 開かれる。ハンバーガーの時もあるし、ステーキの時もある。チキンのモモ肉や、サーモンの時もある。脂が落ちる度に ガガーっと激しく火が立ち上がる。煙がもくもくと昇り、視界を一瞬消す。蓋を下ろして蒸し焼きにする。ころあいよく蓋を開けると、熱気の盛りあがりと共に 香ばしい匂いが庭中に広がる。豪快さを感じるけれど、実は とっても シンプルに思われる、BBQ料理って。 男が率先する根本の理由はナンなのだろう。

火の調節とか、焼き時間とか、妻にはわからぬ微妙な加減度があるのか?

 

先日ハビーの家族がうちに遊びに来た。

丁度 留守番を頼まれた知人宅にBBQセットがあるから、今日のDinnerは その家の庭でBBQをしよう、ということになった。

簡単に New Seasonsで すでにマリネされているShish Kabobsを数本と、チキンの胸肉を購入。下準備はグリル用の野菜を切るだけ。火さえ点けば、あとは 焼くだけでいい。

 

知人宅に着いて、台所で買い物袋を広げている間に、パパの姿が消えた、と思ったら、バタン!と裏庭に続く網戸の閉まる音がした。ヒョイっとキッチンの窓に目をやると、すでにBBQセットの前に立ち、チェックをしているパパがいた。蓋を開けたり締めたり、ガスのボンベの場所を確認したり、カチャカチャと点火ダイアルを回したり。そこに今度はハビーが 参加する。BBQセットの裏側に回ったり、下から覗いたり。どこの家庭のBBQセットも似たり寄ったりだと思うが、人んちのとなると勝手が違うのか。火が点かないなんていわないでよ。

 

We got it」 数分後、点火成功に満足気な男たちがキッチンに戻ってきた。渡したビールの味わいもそこそこに、パパが手際良く 買ってきた肉たちをトレイに載せ、また外に出て行った。切った野菜のトレイを外に持って行くと、もうジューという 肉の脂が飛び散る音と共に、グリルが始まっていた。

 

ふと 思った。

なぜ、パパが焼いているのか。

なぜ、彼がBBQ担当になっているのか。お願いしたわけでも、役割分担したわけでも、オファーされたわけでもないのに。その率先した、責任感のような、あたりまえのような、暗黙の了解のような彼の行動は いったい何なのだろう。

今まで何度も家族でBBQをして、そんな疑問を持ったことはなかったのに、なぜ あえて今日、そう不思議に感じてしまったのか。他人の家の 他人のBBQセットでも 自然に動く、同じ反応のパパを見たからだろうか。

 

「うちのダンナのBBQポークリブは最高なのよ。」 普段夫に気を留める事のない女友達が、BBQパーティになると 夫の料理の腕ぶりを褒める。妻からめったに褒められることのない夫が、唯一褒められるところ、しかも妻の友人が臨席する中で。BBQセットの前で、がぜんはりきる友人の夫を思い出した。

 

バーベキューと 男の出番。アメリカンカルチャーか、男らしさの投影の場か。

この絵、実に不可解だ。

 

Kiki
 
 
 
Posted on 夕焼け新聞 2012年 10月号

おいしい話 No. 66 「Bagby Hot Springs」


“Hot Spring”、と聞くと“温泉”、と解釈したくなる。

“温泉”と聞くと、日本の旅館のお風呂場を思い浮かべる。

“露天風呂”と聞くと、日本の旅館の露天風呂を思い浮かべる。

 

BagbyHot Springに行こう。山の中だからちょっとハイキングして登らなきゃいけないけどね。露天風呂もあるみたいだよ。」

というハビーの誘いを聞いた時、オレゴンの山奥にある“温泉場”をどう想像していいか わからなかった。

ちょっと古民家みたいな旅館風建物のしゃれた温泉場ではないだろうし、着替えをする小屋などなく、石で作られた天然風呂が殺風景な林の中にあるのかしら。そこに見知らぬ者同士が水着で入る。まさか混浴のヌード、なんてことはないよね。

居酒屋の次に日本を恋しく思うのが 温泉。 ザブン!と入り、ザバ~とお湯が 湯船からまけ出る音を聞きながら、ハア~ いい湯だね、アハハンと、肩までゆっくり浸かる。至福の時だ。

 

まあ 天然のお湯であることは間違いないようだから、それに浸かるのも悪くないだろう。日本の温泉みたいにお肌がすべすべになるかもしれないし。

 

Bagby Hot Springは Estacadaという市にあり、Clackamas Riverに沿って延びるHwy224を車で上っていく。ある地点で曲がり、今度はCollawash Riverを沿って走る。目的地は“Nohorn Campground”の近くにある“Bagby Trailhead”という登山口。駐車場の先のハイキングトレールの入り口にテントを張ったおじさんがいて、Bagby温泉入浴料を回収している。一人5ドル。手首に巻かれる黄色いテープが支払い証明書。

 

ここから入浴場まで約30-45分ほどのトレールが始まる。きちんと舗装されているので過酷な登山というのとは違う。この舗装されている感じ、案外温泉場も綺麗な設備になっているのかも。

 

という期待感は、温泉場に着いた時に、風にさらわれた帽子のように 飛んでいった。美しいCollawash Riverをまたぐ橋を渡ると、その川岸には立つのはボロボロの掘建て小屋だった。

 

ちょっと引き気味の私。

 

ハビーの言っていた、「知らない人でも一緒に入れるような風呂が外にあってぇ、」というのは、木の板でできた丸桶で、それが3台、掘建て小屋の裏側にある、Lower Deckと呼ばれる場所にあった。一つの桶にはすでに先着組みが寛いでいた。あとの二つの桶は 空っぽ。お湯が入っていない。 温泉で桶にお湯が入っていないって、どういうこと?入れないじゃないの!

他の風呂場を探しにUpper Deckへと、掘建て小屋の階段を上がると、賑やかな声が 閉じられた戸の向こうから聞こえてくる。どうやら ここがハビーの言っていた「戸をちゃんと閉められる個室」らしい。5つの個室は満室。下のあの風呂桶に他人と入るのは ちょっと、、、と行き場のないハビーと私。

すると、ひとつの個室から入浴の終わったカップルが出てきた。すぐさまその部屋を陣取る。そこにはカヌーように内側を削った半分の丸太が横たわっていた。しかもまた お湯が入っていない、、、。

つまりは 一回使用したお湯は、終わった際に流して、次の利用者が改めてお湯を張る、ということらしい。まあこの施設の状態だったら、衛生上もっともな話しだ。その辺に転がっている木の栓を、風呂の底に開けられた排水口に詰める。木で造られた湯道は、何本かの枝切れで栓詰めしてある。それを抜くと、ドドーッとお湯が丸太風呂に落ち始めた。

日本の温泉ではないので 加減のいいお湯が注がれるわけではない。

天然湯、この熱湯を自分で丁度いい温度にしなければならいのだ。無造作に置いてあるプラスティックのバケツには 意味があったのだ。外にある水道の水をバケツで風呂場まで運び、桶に足していくのだ。これをタクマシイうちのハビーが5回往復した。こんな楽でない温泉旅行は初めて。

やっとほどよい温度と溜め具合になり、丸太風呂に入る。いくら大木とはいえ、肩まで浸かれる深さではない。ウチの風呂のタブと同じく、ごろ~んと横倒しならないと肩にお湯が触れない。入浴態勢が家と同じなんて、「温泉」感が出ないではないか。オレゴンの山奥のHot Spring、で充分だ。

 

でもね、天然のお湯は天然のお湯。それを楽しめるのは贅沢なこと。ハビーのバックパックから 用意周到に持ってきたビールを取り出し、喉を潤す。お湯に浸かりながら 冷たいビール、最高。これよ、ここでは日本の温泉ではできない、こんな事ができるのよ!

(注意:Bagby Hot Springsでは アルコール禁止となっています。)

 

Kiki


Bagby Hot Springs

http://www.bagbyhotsprings.org/index.htm


Posted on 夕焼け新聞 2012年9月号

Sunday, September 2, 2012

おいしい話 No. 65「寿司やのカウンターにて」


私の小さい時から考えたら、お寿司って 随分身近な食べ物になったものね。
そりゃあ 贅沢で特別であるという価値観は変わらないけど、その機会に接する距離が短くなった。特に大人になって会社に勤めるまで、寿司やに行ったことがなかった私にしてみたら、驚くべき進歩を遂げている。
私は、本当の寿司の美味さをずーっと知らなかった、と言っていいだろう。誕生日やクリスマスなど特別のお祝いの日は「小僧寿し」。それがどんなに贅沢で、楽しみだったことか。郷土料理「皿鉢(サワチ)料理」が出される親戚の宴会も、特別だった。仕出屋から取ったその料理に含まれた握り寿司が、なんとウマカッタことか。
19歳の時に、当時勤めていた会社の社長と営業の男たちに連れられて、初めて寿司やののれんを潜った。「エイ ラッシャーイ!」という元気な職人のおっちゃんの声に迎えられたわけだけど、突風の圧力を身体で受けたような感じだった。カウンター席しかない。緊張が走る。イカツイ顔の職人の前に 恐る恐る座る。お絞りで手を吹きながらキョロキョロと他の客を観察。木札に書かれたネタに、値段がない。
右隣の社長と左隣の営業のお兄ちゃんを 交互に真似ながら、同じネタを注文する。時々寿司用語が飛び交い、身が縮こまる思いをしたが、「同じ物で」で 逃げ切った。
この「同じもので」作戦が良かった。寿司や慣れし、値段を気にしない男達が、ただ純粋に好きな物、として注文した握りは 今までに食べた事のない味がした。ネタの色や艶が違う。シャリの温度と食感が違う。新鮮そのものだった。
「美味い、、、。」心の中で じっくりと確信。男たちと同じ調子で、何貫食べたか。
天国気分でいたものの、やはり何か落ち着かない。怖くて職人と目が合わせられない。蚊細い声の私に気がつかない。「あの、た、たまご、、。たまご、、ください。あの、たまご、、。」  職人とかみ合うタイミングの取り方って、難しい、、。ましてや、合間合間に、彼らと気さくな会話をするなんて とんでもないワザである。

そんなウブな初体験から ウン十年。East sideにある寿司や「北西」のカウンターに座る私は、すっかり違う人間になっていた。待ち合わせをしていた女友達が登場するまで、とりあえずビールを頼み、こんにちは、と前に立つ日本人らしき職人に挨拶をする。「あ、どうも」とフレンドリーな返事が返ってきた。良くある職人のイカツサがない。
出された突き出しのタコ料理に、舌鼓を打つ。「美味しいですね、これ。とっても新鮮です。」「あ、それですか、それはですねえ、」と 仕入所と、調理の説明が続く。19歳の私には始まらない会話である。登場した女友達も加わり、会話も弾む。突っ込んだ質問の結果、彼が あの有名なカリフォルニアのNobuMatsuhisaで働いた経験のある ヘッドシェフ石井さんであることがわかった。これは信頼できる。いや、あえて その腕前を見せてもらおうじゃないの。と、いうことで10貫の「おまかせ」を頂くことにした。
私達の食べる速度に合わせて、一貫、一貫、丁寧に握って出してくれた握りは、 あの寿司初体験を思い出す 感動の味だった。なるだけ 日本の近海で取れた魚を出すようにしている、と言う。絶品の茶碗蒸しがさらに懐かしさを深める。
久しぶりに 美味しい寿司を食べたという満足感。アメリカに来て、寿司がカジュアルになり、簡単に食べられられるようになったけれど、この「美味しい寿司を食べた」という感動は、そうそう得られるものじゃない。
石井さんも、素敵な女性達が目の前で 楽しそうに食事をしているのをみれば、おまけの一つや二つしないわけにはいかない。ちょこっと、「これ どうぞ」なんて頼んでもいない小皿を出してくれる。市場価格となっている「おまかせ」も、美女特別価格?と、勝手に解釈したくなるほど、お安くすんだ。
私も いつの間にか、寿司やでのワザを修得してしまったようだ
これからは カウンターで石井さん前よ。

そういえば Seattleの「Kisaku」は テーブルの予約はしちゃだめ。カウンター席で、中野さんの前よ、とか、Shiro’s Sushi最近ダメだけど、時々シローさんが握っているからカウンターに座ると美味しいらしい、とかっていうのを聞く。
アメリカで いかに 美味しい寿司にありつくか。 皆、苦労しているのね。


Kiki



Hokusei
4246 SE Belmont Street
East Portland, OR 97215
(971) 279-2161


Posted on 夕焼け新聞 2012年8月号