Sunday, September 18, 2011

おいしい話 No. 29「居酒屋ドリーム」

長らく日本に里帰りしていない私は、時おり日本に帰りたいなあーと思いをはせる。そんな時、頭の横にぽわーんと浮かんでくるのは、懐かしい家族や友人の親しみ深い顔ではなく、居酒屋の誘い込むような赤のれんと情熱の赤チョウチンの絵なのである。

のれんをくぐり、引き戸を開けて入ると、「らっしゃーい!」という元気のいい板前のオヤジの掛け声と、ネクタイを緩めたサラリーマンのおっちゃん達のご機嫌な会話が どどーっと狭い店内に響き渡る。カウンターの向こうから、炭火焼の煙がむくむくと立ち上り、香ばしい鳥の匂いが私の歩みを中へと促す。背中ごしに引き戸を閉めると、日常から別世界へと忍び込んだような感覚になり、瞬時に周りを観察。それでも 沸き上がる心の弾みは隠しきれず、にわかに笑みがこぼれそうになり、オヤジへの会釈へとごまかす。椅子に腰を下ろし、熱いお絞りで手を拭っていると、「今日は旨い鰹が入ってるよ」なんてオヤジがカウンター越しに声をかけてくる。厚い切り身の鰹の刺身をニンニクと醤油で頂きながら、冷酒できゅっといく。白子の網焼きや、ウニの紫蘇上げ、イイダコの酢の物に、桜海老の味噌和えなど、夜は長しとばかりに、酒の肴が選ばれていく。ほろ酔い加減も良く、人生について充分熱く語った後は、ネギトロと梅シソの細巻きで、ほんのひと時 静かに自分と向き合う。のれんを分けて表の通りに出ると、現実の世界に引き戻されたような感覚にはっとしながらも、「がんばるぞー」なんてこぶしをあげながら、千鳥足で信号3つ先の家路に向かう。

この手の妄想が日本を恋しいと思う度におこる。やっていること全てが中断され、よだればかり垂らして、全く能率が悪い。最近では背景の描写も細かく、ドラマ仕立てになってきた。
ポートランドにも居酒屋と呼ばれる店はいろいろあるじゃないか、というところだが、何かひとつしっくりとこない。味だったり、値段だったり、美味しいんだけれど「例の店ね」と 飽きずに通いたい店ではなかったり。
いや、正直、また来たい、おいしい!と思う店は数件ある。が、しかし いつも決まって問題なのは、位置的に、大決心しないと腰が上がらないような距離が私の家からある、ということだ。
私の妄想の最後の部分に注意を払ってほしい。「千鳥足で信号3つ先の家路に向かう」。まさにこれが、美味い居酒屋はさることながら、近所に居酒屋を持つご賞味なのだ。誰が 居酒屋に車で15分、20分かけて行き、帰りの運転を心配しながら、酒を飲める? 誰がわざわざ日本酒や焼酎と合う居酒屋ならではの料理を食べながら、ビール一杯で止めることが出来る? それは とっても酷というもんです!
先日のカナダ バンクーバーの旅は最高に楽しかった。ハビーと私、まさにグルメの旅を満喫したのだけど、特に最高に幸せだったのが、ホテルから徒歩3分の所に一軒の居酒屋を発見したこと。ダウンタウンにしゃれた居酒屋が何軒もあるのに驚いたが、私たちが入った店は私の妄想の絵に限りなく近い、「近所の居酒屋」感を出していた。
そして そこには 私の大好物の牛の刺身と酢牡蠣があった。欧米人のくせに私と同じものを好物とするハビーと そのレアな一品一品を争いながら食べた。カナダの大陸と比例して、旅の心も膨張し、焼酎オンザロックのお変わりも何ら躊躇無し。だって家路のホテルは 千鳥足3分のところなんだもの。

日本の居酒屋が恋しいというよりも、家の3ブロック先に居酒屋がないのが悲しいと言った方が、早いのかもしれない。探せばあるのに、ただ、近所にない、というのが たまらなく不満なのだと思う。
おいしい居酒屋は 遥かかなたにいつもある。日本だったり、カナダだったり、ヒルスボロだったり。ほろ酔い気分で ふらりふらりとベッドにたどり着ける距離にはない。
うちの大家がAlberta通り沿いに 新しい物件を買う度に、居酒屋をやれとせまる私。いくらAlberta通りも昨今賑やかになってきたとはいえ、借り手が見つからず空テナントとなっている物件や、閉業してしまった物件などがまだまだある。近所に一軒でいいから居酒屋ができてくれれば、私の日本を懐かしむ思いは 完全に家族と友人の愛くるしい顔ぶれにとってかわられるはず。


Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2009年8月号

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