Thursday, March 10, 2011

おいしい話 NO.8「お弁当」


ダウンタウンで仕事をしていると、ランチの選択は沢山ある。モールのフードコートに行けば 10種類ほどのレストランが軒を連ねているし、ファーストフード店やポートランドならではのフードカートもあちらこちらに見られる。ちょっとリッチにゆっくりとランチを取りたいと思うなら おしゃれなカフェやレストランで白いクロスをかけたテーブルに席を着いて食事もできる。
毎日違うお店に行って 色々なメニューを試したい、とか、行きつけのお店を見つけて 常連となり おまけを時々は付けて貰えるようになりたい、とか、「お買い上げ毎にスタンプサービス」を早く貯めて タダで一食分を頂きたい、とか、誘惑はたくさんあって 楽しいもんだ。
が、それを暫くしていると 安月給が付いていかないことに 遅かれ早かれ気が付くものだ。
毎日 毎日 外でお昼を取っていると 例え一回に5、6ドルのランチでも、飲み物付けて、7、8ドル、おまけにチップを付けるとなると10ドルコースに平気で突入してしまう。
これを週5日、一ヶ月続けていると とんでもない金額に昇り上がってしまう。(実際の計算は怖いのでしません。)
もったいないからと 安くて腹持ちしないような物を買っても、持ち上がる空腹感が 午後からの仕事の大いなる妨げとなって 話しにならない。結局は財布を片手に小走りに外に出かけ、余分に何か買って来て、最終的にもっとお金を使ってしまったという結果になる。

そんな時、同僚がランチ時にさりげなくカバンの中からタッパーを取り出しているのを目撃して、目から鱗が落ちた体験をした。それは 正しく彼女の手作りの「お弁当」だったのだ。
朝炊いたご飯にふりかけ、昨日の夕食の残りのおかずに さっさっと焼いた玉子焼き、と簡単なものだが、それは立派なお弁当であった。
私は、今まで すっかり弁当という存在を忘れきっていた事にはっとしてしまった。
次の日 彼女はおむすびとインスタントのお味噌汁を持ってきていた。ちゃんと海苔は別に包んで、食べる時にさっとおむすびに巻いて食べる。そうすると海苔のパリパリ感を楽しむことができる。日本のコンビニのおむすびと同じアイデアだ。
すごいねー、と横から覗き込みながら感嘆の声を上げる私。
そして また次の日、彼女は食パンとスライスしたチーズ、ハム、トマトやレタスを別々に包んで持参。職場の休憩室でフレッシュなサンドイッチを作り始めた。大袈裟に関心する私に ただ挟んで食べるだけだから簡単よ、と答える彼女。すべては ランチ代節約から来ている行動なわけだ。
そうか お弁当を持ってくるというアイデアがあったんだ!そういえば、フードコートでも、フードカートでも 最近は「Bento」という物を販売しているサインが出ているぐらいだから、アメリカでも弁当の価値というものが見出されているのかもしれないし、また 日本を離れた日本人にその良さをもう一度アピールしているのかもしれない。
同僚の 涼しい顔して弁当を持って来ている姿に関心し、私も明日から弁当だなと思ったものの、そこには どうしても乗り越えられない難関があった。私のぐーたら癖。きちんと早めに朝起きて、もしくは前の晩におかずの用意をして、ということが、かれこれ 決意の日から数日立つが、一回もできないのだ。あれだけ 威勢良く家に帰り、ハビーにどんなにお弁当が素晴らしいものかを語り、厚焼き玉子とタコのウィンナー、そしてほうれん草の御浸しの入った日の丸弁当を作ってやると 吹聴したにもかかわらず、ハビーどころか自分にさえも作れていない。
唯一できたのは 炊いたご飯をタッパーに詰め、ごま塩をふりかける、ということだけ。結局おかずはフードコートで購入してしまった。

実家の母親にいまさらながらに感謝の気持ちで じーん。よくもまあ、毎朝せっせと、違うメニューのお弁当を彩りと栄養を考えて ぐーたら娘のために作ってくれたもんだ。
今はすっかり独り立ちしたとふんずりかえる私だが、お弁当の一つもしっかり作れないで、安月給を湯水のように毎日ランチに注ぎ込んでいては、賢い大人とは言えないのではないか。 
まず 私がしなければいけないことは、食料の買出しに行って 空っぽの冷蔵庫を埋めること、朝 お弁当を作る時間を計って目覚めること、そして 「明日から、明日から」と言い続けることを止めること!

Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2007年11月号

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