先月シアトルに住む日本人の友人が家に遊びに来た。彼女は私がシアトル在住時代からの数年に渡っての良き親友であり、お互い相談しあったり、慰めあったり、尻を叩き合ったりしながら、いろんな荒波を乗り越えて来た良き同士でもある。
シトシトと冷たい雨が降るシアトルの冬を、イヴェントが多く独身には非常にキツイその季節を、深刻な鬱病にかかりそうな危機から乗り越えられたのは、彼女とおこなった「二人焼肉」があったからではないだろうか。
丁度 私の地元から友人が遊びに来た時に お土産として 出身県特産品の一つである私の大好物の焼肉のタレを2本リクエストしていた。“土佐郡大川村の焼肉のタレ、「謝肉祭」”。日本の実家で焼肉をする時は 必ずその焼肉のタレを近くのスーパーで購入していたものだけれど、ここアメリカで日本の小さな村の特産品など売っているわけもなく、大会社のエバラとかの焼肉のタレしか手に入らない。何が物足りないって 「謝肉祭」が打ち出す、あの擂った玉葱やリンゴやニンニクなどがたっぷり入り、じっくり熟されているんだろうなあ、と思わせる ドロっとしたコクのある食感が、サラサラ系のエバラのタレでは得られない、ということ。
めったに地元から人が訪ねてくることもない私は、この機をいいことにその友人に それしか思い浮かびませんとばかりに、そのタレを土産にしてもらうことを願った。
さて、念願の特別な焼肉のタレが手に入ったものの、その喜びを分かち合い、その美味しさに一緒に唸りをあげる家族や恋人がいなかった私。時期が悪いことに、ちょうどサンクスギヴィングやクリスマス、そして正月などのホリデーシーズンを迎えようとしている時で、よけいに 盛り上がりに欠けたというか、独り身の辛さを必要以上に実感してしまった。
やはり こういう時は、当然、同じく独り身で放浪している女友達に声をかけることになる。幻のタレが手に入ったという振れ込みで この親友をノセ、私の小さなアパートのベランダで、二人でBBQセットを囲んでの焼肉パーティーを開くことにした。
私の大袈裟なタレの前評価に親友の期待は高まるばかり。油でジュウジュウと音を立てる一切れのカルビをこのタレに付け、それを口にした時の彼女の第一声は まさに“喜声”であった。「うまーい!」
私も久しぶりの懐かしの味に恍惚感を味わった。「やっぱり これよ!」こってりと深みのある味で、とにかく 食が進むばかりで 止められないのだ。
肉、タレ、ビールのローテーションで 「うまい、うまい」という喜声を飛び交しながら 宴が酣となっていった。
というわけで どこの家庭のディナーに呼ばれることもなく、ロマンチックなデートの約束も取り付けられないまま、この親友と私は、その冬のすべてのホリデーに集合を掛け合い、2本のタレが無くなるまで、二人焼肉の宴をベランダで開き続けた。
あれから早くも数年が経ち、二人の状況は大きく変わっていったけれども、漂うニンニク臭と もくもくとする灰色の煙の中で分かち合った友情は、私がポートランドに移り住んだ今でも変わることがない。
今回彼女が遊びに来た時に、久しぶりに懐かしの焼肉をしよう!ということになった。問題は例の幻のタレがない、ということ。あれっきり 地元から誰も訪問者を迎えていない私は あの大好物の焼肉のタレ、「謝肉祭」を入手する手段もなく、焼肉をすること自体からも遠のいていた。
すっかり焼肉モードに入ってしまった二人は、この際、エバラでもしょうがないか、ということで意見がまとまったものの、「あの焼肉のたれはうまかった」という名残りの一言を口にせずにはいられなかった。
私のハビーを交え三人焼肉となった今回、親友が茶目っ気いっぱいに「私たち二人、コレで厳しい独身の冬を乗り越えたのよ」と彼に一言。ひきつるハビー。腹をかかえる彼女と私。今では笑い話になっているけども、いや、当時からすでに笑い話ではあったけれども、彼女の一言にそんな時期もありました、と ちょっぴりしんみり。
あの2メートル四方のベランダから 芝生の生えた裏庭へとロケーションが変わっても、三人、そして いつか四人焼肉へと状況が変わっていっても、そこに焼肉のたれがある限り、彼女との友情と二人焼肉の思い出は いつまでも消えることがないだろう。
Kiki
焼肉のたれ 「謝肉祭」
Posted on 夕焼け新聞 2007年9月号
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