Saturday, April 23, 2011

おいしい話 NO.13「家庭料理」

子供の頃、うちの家庭で出る食事は きゅうりの酢和えや山芋のおろし、ナスや大根の煮物、鰤の煮付けや 鯵の塩焼きなど、地味な一品ばかりで、友達のハイカラ料理を作る若いハイカラママが羨ましかった。ハンバーグステーキや魚のムニエルなどの「洋風料理」は 小学校や中学校の家庭科の時間に習った私が台所に立って再現しない限り 食卓に見られることはなかった。
自分が作らないと 精進料理みたいなものしか食べられない、と悟った私は 料理の本を買い込み、美味しそうなホワイトソースがかかったチキンや、チーズがとろけているパスタ料理などの写真のページを広げては、じっくりその作り方を学んだ。(今でも私は仕上がり写真のない料理の本を参考にすることができない。)
忙しい母親を助けるという前提で、お金を貰い、スーパーに買い物に行き、幼い私の(といってもすでに中学生)洋風料理が出る家庭実現計画が始まった。
自分にとって未知の世界である味を、本に書かれている手順と共に作り、限りなく写真に近い見た目に仕上げていく、というプロセスは失敗を繰り替えしながらも 継続されていった。お陰で基本調味料「さ、し、す、せ、そ」以外のカタカナ系調味料やスパイスの種類も台所のキャビネットの中に並び始め、それらをどういう料理にどれくらい使う、という知識も増えていった。高校を卒業するころには、得意料理は そのシミだらけでぼろぼろになった料理の本を参考にすることもなく、作れるようになった。
毎日料理をしていると、いちいち計量カップで計らなくても「目安」で味付けができるようになってくる。うちの母親が酢の物や煮物を作る時と同じで、長年の腕と舌が味を利き分けるのだ。私の場合、いつしか料理の本からも遠ざかり、年を経る毎に、そして忙しさのせいで料理が面倒くさい、という感覚になる度に、料理をする頻度も減り、「目安」が「適当」料理に変わっていった。

あんなに洋食に憧れていた幼少の頃であったが、ほとんど洋食に囲まれている今は、あっさりとした和食、あの母親の素朴なシンプル料理が恋しくなってきた。(もしくは歳のせい?) 今でこそオーガニック野菜とかケージフリー卵とか取り上げられているけれども、当時は当たり前に八百屋に並べられていたもんだ。母親の家庭料理は実はとっても健康的な料理だったのだのに、私の洋風家庭実現計画がハイコレステロールの原因を作り出していたようだ。

先日ハビーの両親が食事にやって来る事になった時、ウン十年ぶりに料理の本を取り出してみた。日本人の私から「Authentic」な日本食を自然に期待する彼らだったが、日本食から離れていた私は ものすごいプレッシャーを感じ、料理の本を見ないと日本人としての信頼感を失いかねないという恐れがあった。
色あせた料理の本の 如何にも古い写真をめくりながら品目を選び、味醂大さじ何倍、お醤油半カップなどときっちり書き留めていった。
そのディナーの準備をきっかけに 私の料理への情熱に再度火がついた。今度は日本食に対する情熱。母親の素朴な和食を思わせる料理、生まれ育った家庭料理、私の原点に戻る料理。
料理の本がインターネットのページへと移行していった現在、ラップトップをキッチンのカウンターにおいて、スクロールダウンしながら、計量分量や手順を参考にしていく。ちゃんと計るとなるほど 確かにおいしい。そして 気のせいか、なにやら体の調子も最近良いではないか。
こうやって またいつか 和食料理も馴れてくると、味覚と個性が加わって、私なりの「目安」で作る家庭料理ができあがっていくのかもしれないな。そして それが、今から私が作る、私の家庭の味になっていくんだね。

Kiki




Posted on 夕焼け新聞 2008年4月号

Saturday, April 16, 2011

おいしい話 NO.12「日本酒」


一年ほど前に 近所に酒バーができたと聞きつけ、そんなに日本酒が大好きなわけでもないのに、新しい物好きということで オープン初日にハビーと友人の3人で覘いてみた。小さな入り口の看板にはカタカナで「ジラ」と書いてあり、どういう意味かはわからないが、日本びいきが 感じ取られた。
黒をメインにしたモダンですっきりとした内装。薄暗い照明の中で 塗り立ての壁やバーカウンターが漆のようにピカピカと照り返していた。小さな店内だけど 開店の宣伝が不十分だったのか あまり客がいなく、がらんとした雰囲気だった。日本酒なんか 子供のころ宴会で自分の父親を含み 親戚や近所のおじさん達が顔を真っ赤にして大声で騒ぎながら お互いに注ぎあい、白い割烹着を着た母親とそれぞれの奥方たちが台所でせっせせっせと追加のとっくりを鍋で沸かしているという光景によって、大人の飲み物、または おやじの飲み物、と私の中で分別化されていた。アメリカで「酒バー」なんてしゃれた事言い出すのは 本当の日本酒の飲み方をしらない奴だ、と思っていた。
宴会の現場で狂った親父たちを見て育ったため、日本酒はたしなむ程度で、どの種類がどうで、なんて薀蓄をいえるような教育はうけていない。実際、純米酒だの吟醸酒だのという種類の違いを、こっちの寿司屋で働いて初めて学んだという逸話付き。そんな私だが、ここは 転んでも日本人、ひとつセレクションの批評をしてやろうではないか、と棚に並ぶビンに目をやった。
漢字やひらがなで達筆に書かれた一升瓶がこれ見よがしに並んでいたが 量的に物足りない感じがした。メニューに目をやるとそれぞれの種類にきちんと説明が書かれていたが やっぱり「酒バー」だと言い切れる種類が揃っているように思えなかった。と偉そうに言ってみたが 苦学生には輸入された日本酒は 一杯の値段が持ち合わせと見合わず、結局オレゴン産の桃川を頂くことに。
暖簾をくぐって入った高架下の飲み屋でなく、アメリカのモダンなデザインのバーで白人のお兄ちゃんたち(ハビーとその友達)と肩を並べながら、酒をちびちびと飲み、“spicy ika” つまり 裂きイカをもそもそと食べる心境はちょっとヘンテコリンな感じだった。

あのオープン以来一度も立ち寄ることもなく、まだやってんのかしらん、という程度の気に掛け方だったが、日本人の友達が来たということで紹介がてらちょっと行ってみることにした。再度「ジラ」の看板の下をくぐり、小さなドアを開けて中に入ると、第一印象の殺風景な内装からは随分ちがった心地よさを感じた。ブースやカウンターにはゆったりと腰を落ち着けた客達が ちょうど行われていたライブショーを楽しげに聞き入っていた。壁に置かれた酒の種類も冷蔵されている酒の種類も気のせいか増えているように見えた。装飾が加わったせいなのか、壁やカウンターが酒の匂いや毎日やってくる客達の風でいい味を出し始めてきたせいなのか、カウンターの中で働いている人がこなれた立ち回り方をしているせいなのか、一年前とは変わって 居心地のいい雰囲気を出していた。

基本的にはメニューは変わっていないが、しっかり数えてみると50種類ほどの酒がリストされていた。ハビーはオープンの時からこれくらいの種類はあったと、私の記憶力の悪さを指摘。こんなにあるなら、ちゃんと日本産のよりどころの酒を飲まなければ、ということで11ドルのサンプラーを注文した。バーテンのお姉さんが全国3箇所の酒造を選んでそれぞれのカップになみなみと注いでくれ、それとあわせて名称のカードも添えてくれた。
ちょうどその時、このお姉さんが師匠と崇める男性が声を掛けてきた。マーカスと名乗るこの男性がどうやら日本酒の仕入れ人のようで しょっちゅう日本に行っては酒蔵まわりをしているとか。流暢な日本語で私の前におかれた3種類の酒の説明をしてくれた。
ひとつは広島県の今田酒造産の富久長「月川」、ここでは「Moon on the Water」。ちょっとミントのようなさわやかな味が舌に残る感じで、癖があるかな、と思ったけど、飲んでいるうちにその軽やかさが口当たりよくなってくる。次は 滋賀県の冨田酒造純米「七本槍」。これも樽の匂いというか、なにかスモーキーな匂いが鼻と舌にきて個性をみせたが、一番飲みが進んだ。そして最後は岡山県丸本酒造の竹林「かろやか」。とってもフルーティで甘みがある。辛口好きの私としては 最後まで残ってしまったけど 一般的にはこの三種では一番飲みやすい種じゃないかなと思った。
こんな風にじっくりと腰を据えて、寿司や鍋を囲むでもなく、こんな形で日本酒を飲んだのは初めてかもしれない。そして、まさかアメリカ人に日本語でお酒や酒造に使われる米や水の説明をしてもらうとは思ってもみなかった。なんだか常連になりたくなってしまった。
皆さんも偏見なしで 覗いてみてください。そして 私が酒に酔いしれて聞きそびれた「ジラ」の由来を探ってみてください。


Kiki



Zilla Sake House

1806 NE Alberta
Portland, OR 97211
(503) 336-4104


Posted on 夕焼け新聞 2008年3月号

Sunday, April 10, 2011

おいしい話 NO.11「嬉しいみつけもの」

ある週末、ハビーと私には珍しく お昼ごろ すでに外に出ていた。たまにはどこかで美味しい朝食を食べたい、と話していても、実際なかなかシャキっと起きられない二人は あんまり朝から元気に出かけることはない。なぜか 食べ物が理由ではなく(!)、私の車のバッテリー交換という目的のために その日の行動が早くから始まっていた。
バッテリー交換なんか自分で簡単にできるよ、と軽く言い切ったハビーを信じて 最寄のRadioShackを訪れた。適応する商品を確認するためと、リサイクルの理由で古いバッテリーを持ち込もうと考えていたにも関わらず、駐車場がなかったのか なんなのか、不思議な事に 3,4ブロック離れた所にハビーの車を停めた私たち。いやー 車のバッテリーって結構重いのね。たくましいハビーに抱えてもらい 店までその数ブロックを歩いた。
新しいバッテリーを抱えて店から出てきたハビーが、額に汗を掻きながら近道を提案してきた。これはある意味 運命だったのかもしれない。来た道とは違う道を通ろうとある角を曲がり、その一角の通りを歩いていると 非常に美味しい匂いに突入した。
朝からなんにも食べていない二人は ちょっぴり狂乱状態で 頭をぐるぐる回しながら匂いの出所を探した。いったいこの美味しい匂いはどこから来ているの!? 結構殺風景で味気ない建物が並んでいるこの界隈にレストランらしきものは見当たらない。一件だけ 目にはいったレストランがあったが、閉店中。どこかのお家のお昼ご飯か?と思ってもそれらしき住宅もない。
警察犬よろしく鼻の穴を全開に広げ、フンフンと音を立てながらその匂いを辿っていくと、古いアパートのような 廃業になったホテルのような建物に行き着いた。その建物の入り口であろう両開きドアの片面だけが通りに向かって開かれており、美味しい匂いはそこから流れて来ていた。
看板もないし、まったくレストランがあるように見えないこの建物を調査するために、二人揃って汚れたガラス窓に顔を押し付けて覗き見行為に入った。私たちがそこで見たものは、地下室のような場所で たくさんの人々がテーブルを囲んで楽しそうに食事を楽しんでいる光景だった。宴会?寄り合い?共同食堂? これはもうこのまま帰ることはできないぞ。
開かれたドアから中に入り、階段を2、3段下りて 廊下を奥に入っていく。飾り気のない白い壁にがらんとした廊下。相変わらずサインなど何もない。右に曲がると奥からがやがやと賑やかな音が聞こえて来る。こっちだ。バッテリーを抱えたままのハビーの額から更なる汗が滲む。
まるで迷路に迷い込んだ後に、不思議の国の広場に行きついたかのように、私たちの目の前に色鮮やかな週末のフィーストが広がった。それはまさにシークレットを発見してしまった、という感じだった。
お皿を運んでいる人を呼び止めて、一般公開されているレストランなのか、と尋ねてみると、金、土、日の週末しかオープンしておらず、日曜日はブランチのみ、ディナーは予約のみで営業しているとの返答が。すっかり興奮しきっているハビーと私の心は一つ。さっそくテーブルをとってもらった。
ほとんどが、6人から10人用の大きな長方形のテーブルで、少人数の客達は 同じテーブルに一緒に座ることになるのだが、客層なのか、店内の雰囲気なのか、不思議なことに 見ず知らずの人とテーブルを共にすることが気にならない。
店内の賑やかさの一旦を担っていたのは今流行りのオープンキッチン。それもいいとこで キッチンとテーブルのあるフロアとの間に仕切りというものがまったくない。廃業になったホテルの(勝手な想像です)元調理場を再利用しているかのようの大きなキッチン。そこで料理をしている人はもちろん、そこに置いてある物が 床から天井まですべて丸見え。ここはキッチンの中にあるレストランだ、と言ったほうが当たっているかも。
地元の農家から仕入れたオーガニックの野菜や新鮮な肉に卵を使った料理は繊細だけれども ボリューム有り。私が注文した「フライドチキンとワッフル」のワッフルは外が香ばしく、中がふんわりとしていて、季節の果物のソースと共に頂き、最高に美味しかった。
Emailアドレスを入り口の紙に書いておくと、シェフから毎回違った週末のディナーメニューが送られてくる。それを見て メールや電話なりで その週末の予約をする、というのがこのレストランのシステムのようだ。人々が、文字通りアンダーグラウンドで、毎週こっそり集まっては美味しいものを食べていたのだ。
Simpatica、偶然にも、すっかり匂いに誘われて、思いもよらない素晴らしい発見をしてしまった。シークレット同盟の一員に加わったような特別感が沸いて来ると共に、誰かにすぐに教えたくなるような喜びも抑えられない。迷路も入って見ると 面白いことがあるもんだ。

ところでハニー、あなたの車どこに停めてあるか覚えてる?

隣の床に座らせているバッテリーをじっと睨むハビーの額にまた汗が光った。

Kiki

Simpatica Catering & Simpatica Dining Hall
828 SE Ash st.
503-235-1600



Posted on 夕焼け新聞 2008年2月号

Monday, April 4, 2011

おいしい話 NO.10 「ワインの価値」


私の場合、冬になると赤ワインの消費飲量が多くなる。暖炉の傍に腰掛ながら ゆっくりとワインをすすると 心も体も暖かくなっていくような気分になるし、リラックス効果となって ほんわかと息がつける。
コーヒーやビールと同じで いつしか 大人になるにつれ 苦味や渋味が美味しいと思えるようになってきた。誰かが赤ワインは体にいいなんて言うもんだから、後ろめたい思いもなく量が増えていく。薬も過ぐれば毒となる、とはもちろん後の祭り。

忘れもしない、あれはクリスマスイブ。女友達3人でご飯を作って、プレゼント交換をしようと集まった夜、テーブルの上に白ワインが一本置いてあるのが目に入った。友達の一人がその夜のために買ってきたのだ。おうちで食事しながらワインを飲むなんて! ワインなど飲んだこともなく、そんなしゃれたアイデアも浮かんだこともなかった私は密かに「やられた!」と思いながらも 興奮を抑えきれなかった。ドライでちょっと渋味もある中 ほのかな甘さが口の中に広がるあの感じはキラキラとした映像効果と共に今でも鮮明に覚えている。
そのトキメキの体験から ワインといえばフランス産でしょ、という観念でワインの世界に入門した私。ワインを飲む頻度が高まる中、しだいにドイツ、イタリア、スペインなど体験範囲を広げていき、あらゆるヨーロッパ産のワインを ラベルは読めないがデザインがいい、ということで購入していった。当時でだいたい1500円くらいが相場だった。
そのうち日本でもワイン作りが盛んに行われていることを知り、東北の方のワイン協会みたいなといころと購買契約をし、毎月地方のワイン6種類セット8000円を6ヶ月送ってもらって飲んだこともあった。日本のワイン農家もなかなかやるではないか、と関心した記憶がある。
オーストラリアに会社の慰安旅行で行った時に オーストラリア産もいける!となぜか感動した。特に白ワインが新鮮な魚介類と合って 飲食が止まらない勢いだった。チリ産のこってりとした赤ワインを飲んだ時も 同じ反応だった。おそらく それらの国で ワインが製造されているという“イメージ”がなかったためだろう。しかし外国の空の下、違う空気の中で飲むワインは格別に美味しかった。
アメリカに渡って初めてワイナリーを訪れた。製造の過程をツアーで見せてもらったり、ブドウ畑のど真ん中で苗の品質についてや、成長した実の良し悪しについて オーナー直々説明してもらったりもした。正しい試飲の仕方を教えてくれた時は目から鱗がおちた。大きなグラスに1/5ほど注いだワインをぐるぐると回して空気に触れさせると グラス中に香りと味が膨張する! ワイン自身が最大限にその熟された味を主張している感じ。これはただの気取った行為ではなくて ちゃんと意味があったのね。さっそく大きなワイングラスを購入しに走った。
どんなに家庭の経済が悪くとも、ワインをこよなく愛する気持ちは抑えることができないもので、Safewayで5ドル前後の赤い値札を付けて一番下の棚に並んでいるワインを手にする。当たり外れはあるものの、結構イケるもので、庶民に優しい味の利き手になったつもりで、10ドル以下ワインのジャーナルを1ヶ月ちょっと書いてみたりもした。
最近ワインの教室に通い始めた飲めない友人が教養をつけるために、2545ドルくらいの高いワインばかりに目をつけている。たまには高いワインを飲まないと味の違いがわからないからね、という彼女のコメントに、にんまり笑顔で答えてボトルを開けるのに付き合っている。あ、このラベルなんだかおいしそうだよ、という私なりの意見も忘れずに提供して。

ワシントン州に住んでいる時は ワシントン産のワインをひいきにしていたが、オレゴン州に住んでいる今はオレゴン産ばかりを選んでいる。初めてのワイン体験から ずいぶんと年数も経ち、私もいい熟し加減にきている今日この頃。ワインというものの奥の深さや 味の範囲の広さに これはこうだと定義づけできないものを発見してきた。土地や水や空気や太陽でどんなに成長し、どんなに熟し、どんなに年を重ねていくかが変わり、蓋を開けた時の味が変わってくる。必ずしも値段の高いものが決まって旨いわけでもなく、安いものが評価に値しないわけでもない。手にしたワインを自分がどう賞賛するかで その価値が変わっていくだよなあ。人間のあり方にも通づるもの有り、ですかね。(熟された意見。)



Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2008年1月号