私の場合、冬になると赤ワインの消費飲量が多くなる。暖炉の傍に腰掛ながら ゆっくりとワインをすすると 心も体も暖かくなっていくような気分になるし、リラックス効果となって ほんわかと息がつける。
コーヒーやビールと同じで いつしか 大人になるにつれ 苦味や渋味が美味しいと思えるようになってきた。誰かが赤ワインは体にいいなんて言うもんだから、後ろめたい思いもなく量が増えていく。薬も過ぐれば毒となる、とはもちろん後の祭り。
忘れもしない、あれはクリスマスイブ。女友達3人でご飯を作って、プレゼント交換をしようと集まった夜、テーブルの上に白ワインが一本置いてあるのが目に入った。友達の一人がその夜のために買ってきたのだ。おうちで食事しながらワインを飲むなんて! ワインなど飲んだこともなく、そんなしゃれたアイデアも浮かんだこともなかった私は密かに「やられた!」と思いながらも 興奮を抑えきれなかった。ドライでちょっと渋味もある中 ほのかな甘さが口の中に広がるあの感じはキラキラとした映像効果と共に今でも鮮明に覚えている。
そのトキメキの体験から ワインといえばフランス産でしょ、という観念でワインの世界に入門した私。ワインを飲む頻度が高まる中、しだいにドイツ、イタリア、スペインなど体験範囲を広げていき、あらゆるヨーロッパ産のワインを ラベルは読めないがデザインがいい、ということで購入していった。当時でだいたい1500円くらいが相場だった。
そのうち日本でもワイン作りが盛んに行われていることを知り、東北の方のワイン協会みたいなといころと購買契約をし、毎月地方のワイン6種類セット8000円を6ヶ月送ってもらって飲んだこともあった。日本のワイン農家もなかなかやるではないか、と関心した記憶がある。
オーストラリアに会社の慰安旅行で行った時に オーストラリア産もいける!となぜか感動した。特に白ワインが新鮮な魚介類と合って 飲食が止まらない勢いだった。チリ産のこってりとした赤ワインを飲んだ時も 同じ反応だった。おそらく それらの国で ワインが製造されているという“イメージ”がなかったためだろう。しかし外国の空の下、違う空気の中で飲むワインは格別に美味しかった。
アメリカに渡って初めてワイナリーを訪れた。製造の過程をツアーで見せてもらったり、ブドウ畑のど真ん中で苗の品質についてや、成長した実の良し悪しについて オーナー直々説明してもらったりもした。正しい試飲の仕方を教えてくれた時は目から鱗がおちた。大きなグラスに1/5ほど注いだワインをぐるぐると回して空気に触れさせると グラス中に香りと味が膨張する! ワイン自身が最大限にその熟された味を主張している感じ。これはただの気取った行為ではなくて ちゃんと意味があったのね。さっそく大きなワイングラスを購入しに走った。
どんなに家庭の経済が悪くとも、ワインをこよなく愛する気持ちは抑えることができないもので、Safewayで5ドル前後の赤い値札を付けて一番下の棚に並んでいるワインを手にする。当たり外れはあるものの、結構イケるもので、庶民に優しい味の利き手になったつもりで、10ドル以下ワインのジャーナルを1ヶ月ちょっと書いてみたりもした。
最近ワインの教室に通い始めた飲めない友人が教養をつけるために、25-45ドルくらいの高いワインばかりに目をつけている。たまには高いワインを飲まないと味の違いがわからないからね、という彼女のコメントに、にんまり笑顔で答えてボトルを開けるのに付き合っている。あ、このラベルなんだかおいしそうだよ、という私なりの意見も忘れずに提供して。
ワシントン州に住んでいる時は ワシントン産のワインをひいきにしていたが、オレゴン州に住んでいる今はオレゴン産ばかりを選んでいる。初めてのワイン体験から ずいぶんと年数も経ち、私もいい熟し加減にきている今日この頃。ワインというものの奥の深さや 味の範囲の広さに これはこうだと定義づけできないものを発見してきた。土地や水や空気や太陽でどんなに成長し、どんなに熟し、どんなに年を重ねていくかが変わり、蓋を開けた時の味が変わってくる。必ずしも値段の高いものが決まって旨いわけでもなく、安いものが評価に値しないわけでもない。手にしたワインを自分がどう賞賛するかで その価値が変わっていくだよなあ。人間のあり方にも通づるもの有り、ですかね。(熟された意見。)
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2008年1月号
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