Sunday, June 26, 2011

おいしい話 No. 20「サクセスストーリー」

移民または移民者達について学ぶクラスで、「アメリカでサクセスするって どういうことなのだろう」っていう質問を投げかけられた。さすがクラスのコース名が誘ったのか 机に座る生徒達は多人種で賑わっており、それぞれの国のバックグラウンド、そして生い立ちからなる価値観を持った上での、様々な「サクセスとは」という意見が交わされた。
私にとってのサクセスとは何なのだろう。ちょっと1年間だけ様子見して、もしかしたら日本にすぐ帰るかもしれませーん、といって渡ってきたアメリカ。のわりには、所持品全部売り払って旅費、学費、そして生活費の足しをこしらえたため、1年後に帰ってきても何にもないよという状態にしてしまったのは事実。人口33万人の小さな市で息絶える前に、境界線を越えて世界の広さを感じたい、自分を未知の世界に放り出して見えない可能性を感じたい、なんて独りよがりな考えに火がついて、長年お世話になった小会社の社長に辞表を提示し、退職金はしっかり頂いて、飛行機に飛び乗ったのだ。

まさに空っぽの部屋で唯一の家具であるダンボール箱を机として始めたアメリカ生活。日本に留まっていさえすれば 継続してそれなりの給料ももらって、それなりに贅沢もできてたのに、天と地がひっくり返ったような生活に、「私はいったい何をやってんだ?」と自分不信。自分がものすごい大失態をやらかした人間に思えてしょうがない時が何度もあった。そして同時に、このやっかいもんのせいで、日本に帰ってもまた壱からの出直しを強いられる事になるという状況も ものすごく怖かった、、、。

そんなディプレッションの中、似たり寄ったりの状況下の日本人達と苦労話を競い合いながら、心ではマジ泣きしている事情を笑いに変えて盛り上がりながら、戦闘士のように前進してきた。そんなイタい仲間の寄り合いからぽろりぽろりと抜け出して、裕福なお家にお嫁に行った人もいるし、ものすごく立派な会社に就職した人もいる。「羨ましぃーっ!」とハンカチに噛み付いていたもんだが、このコースのクラスメートの意見が最後に一致したように、個人によって「サクセス」の定義は違うんだ、という事を自分で認識してきたような気がする。

さて、私もこの十年、アメリカでまだのたれ死んでいない。まず これはすごいサクセスである。ESLを卒業する、カレッジを卒業する、BAを取る、と顔面に目標のアンパンをぶら下げて追いかけ続け、ひとつひとつそれに食らい付いて、食べ尽くしてきたのも立派なサクセスである。おっと、もちろん、ちょっと生意気だが かわいいハビーを捕まえたのも とってもサクセスフルだと言えよう。

先日、日本に一月ほど里帰りをし、戻ってきた友人から土産話を聞くべく、パールディストリクトにあるバー、Fratelliに腰を下ろした。この友人も 例外に漏れず、アメリカでのものすごい苦労話を語れる人物だが、そこに自己陶酔することなく 立ち塞がる壁をぶち壊して前進し続け、自分の力でキャリアを手に入れ、パールディストリクトに住もうかなあ、なんて言葉が出るほどのステイタスを築きあげきた。アメリカでサクセスを手に入れたまれにみる日本女性である。
私にしてみれば、わーい、めでたし、めでたしっ!というところだが、彼女はそこに甘んじない。次のキャリアアップをしっかり志している。そのチャンスが日本にあるなら、すぐ戻る心構えはある、と言う。彼女の中にはアメリカでなくてはならない理由はない。アメリカとか日本とか関係なく、自分が納得する人生とサクセスストーリーを作り上げていく事が 彼女の生き方なのだ。

アジアのどこかの国の移民一家をバックグラウンドに持っているように思わせるバーテンダーが 特別に作ってくれたエスプレッソマーティーニが、甘く、苦く、心に沁みていく。ほの暗い照明のもと、コーヒーの香ばしい香りが漂い、無謀に酔っ払わせることなく、しっとりと、真剣な話を促してくれる。
この完璧なカクテルが作れる彼は、サクセスフルなバーテンダーだと言えよう。
でも きっと、この彼も含め、私たちのサクセスストーリーは個人個人のシナリオと価値観のもと、死ぬまで New Editionとして出版し続けられるんだろうな。今では一軒家で物(ガラクタ)が溢れるような生活をしているが、自分に厳しい私は、もちろんそこで留まらない。新しいアンパンをぶら下げて 次のゴールに向かって走り出すぞ!

Kiki

Fratelli
1230 NW Hoyt
Portland, OR 97209
503-241-8800



Posted on 夕焼け新聞 2008年11月号

Saturday, June 11, 2011

おいしい話 No. 19「パン屋さん」

異国にいて 恋しいと思う母国の食はたくさんあるけれど、日本のスーパーマーケットで 買えない物が 少なくなってきているのは確か。レストランで直接味わえなくても、食材を購入して 自分で作ることが可能なのだ。それでも やっぱり、どんなに世の中便利になってきたもんだ、と言っても、入手できなくて、自分でも作ることができない、と悲しくなってしまう食品もまだまだある。その中のひとつが パン。
日本のデパートの地下食品売り場や、商店街の一角にあるような あのパン屋がここアメリカ、少なくとも ポートランドにはない。
私が言う「あのパン屋」とは 自分がトレイとトングを手に取り、並べられたありとあらゆる種類のパンを選び、レジにトレイを持っていって 精算、袋に入れてもらうというスタイルのパン屋だ。
パンは必ず そこで焼かれていなければならず、定番ものから創作パンまで その種類もそれなりにないとだめ。どれもこれも美味しそうに見えて、気が付いたら、自分が食べる予定以上の量がトレイにのっかっている、という状態になるような。
中国系などのパン屋で、そういうスタイルがあるのを見かける時がたまーにあるけど、ビニール袋にすでに入っていおり、あの焼きたての香ばしい匂いや、狐色に照るパンの存在自体の 強いアピールを直接的に感じられない。「わーあ!おいしそうなパンがいっぱいある!」という、掻き立てられるような感情が半減してしまい、ビニールに入ったパンをくるくるひっくり返しながら 冷静に選ぶ、ということになってしまうのだ。あの 裸のパンの、トングで触るともう最後、トレイに運ぶしかない、という緊張感のために、迷いきる、ということがないのだ。
菓子パン以外にも 厚切り食パンは 切なくなるほど恋しい。どんなに日本の食パンだという商品をこちらで見つけても 何かが違う。ふんわりモチモチとした食感は、どうしても味わえない。バターとかジャムとか塗らなくても、そのままで十分美味しいという食パンは、朝食の食欲があまりわかない私には とっても嬉しいアイテムなのだ。
しかし、なぜアメリカの食パン達はみんな薄切りなんだろう。サンドイッチ王国だからなのかなあ。

とにかく、日本のパン屋さんが 街の角々にできて欲しい、というのが私の願い。散歩がてら徒歩で行けるところにできてくれるとなお宜しい。と、言ってるところに、近所にパン屋さんができたという情報が入った。
日本のパン屋だという期待は最初からしていなかったけど、根っからのパン好きの私は、パン屋が近くにできたことはとっても喜ばしかった。
もちろん「Petite Provence」なんてしゃれた名前のboulangerie(パン屋!)に 私の描く卵パンとか、お好みパンとか、焼きそばパンなどはなく、フランス風のいわゆるペストリーというスタイルのパンが並べられていた。敷地の半分はカフェスタイルで、沢山のテーブルや椅子で占めており、大きく開け放たれたドアや窓が気持ち良い風を運び込み、焼きたてパンの匂いを店内いっぱいに広げていた。
ウインナーソーセージとかマヨネーズコーンとかの変わりに、様々なフルーツが乗ったペストリーがテカテカとした光を放ちながらディスプレイのトレイに横たわっている。ここのパンたちのアピール度も半端ではない、と確認。あの欲望に掻き立てられる感覚がものすごい勢いでわきあがってきた。思わずトングを掴み、手を伸ばしたくなるところだったが、パンと私の間に立ち塞がるガラスの仕切りがそれを防御。ま、トングとトレイが入り口に置かれていないこと自体、自分で取るなんてことは不可能なのだけど、ビニール袋と同じく、このガラスの仕切りが、なんでも掴みたくなる欲望を冷たく抑えるのだ。そして、次に襲ってくるのが 小さな恐怖心。パンのカウンターの向こう側に立つおねえさんが、「どれにしましょうか?」と私のオーダーを待っている。額に冷や汗を感じながら それぞれのペストリーにつっ刺さった札を睨む。手書きの筆記体で書かれた文字はものすごく読みにくく、フランス語の名前なんぞ付いていた時には なんて発音していいのやら まったく解らず、心臓の脈打ちが暴走しそうになる。
結局、「これとあれと、、」と人差し指を突き出しながら、オーダーするはめになる。ほんとうはいろいろ一杯買いたいのに「これ」とか「あれ」をずっと言い続けるのも恥ずかしく、それでいいです、と2、3個で終わる。
ああ 本当に、日本の あのパン屋さんが恋しいです。


Kiki


Petite Provence
Boulangerie & Patisserie
1824 NE Alberta St.
Portland, OR 97211


Posted on 夕焼け新聞 2008年10月号

Sunday, June 5, 2011

おいしい話 No. 18「夏の匂い」

最近ハビーの両親が、地元の農家と契約して ある金額を前払いし、毎週 その週に出荷されたばかりの旬の野菜を用意してもらう、ということを始めたらしく、毎週新鮮な野菜が食べれると喜んでいる。
この両親、特別太っているわけでもないけど 自身で気にしているらしく、二人そろって ダイエットプログラムに加入したりしていた。今では大量の野菜が毎週用意されるので、それらを無駄にしないためにも せっせと否が追うにも野菜を食べなきゃいけない状況になっている。
毎週どんな野菜が詰められているかわからないので、福袋のような楽しみがあるが、毎日料理のバラエティーを考えるのに頭を使うことになる。いつもお決まりの野菜炒めでは そのうち「もう野菜なんか見たくない」、という状況になりかねない。
先日私たちが訪ねた日も ちょうどこの契約農家から 取れたての とうもろこし、キャベツ、桃などをもらってきたばかりだった。パパがチキンのバーベキューを作り(アメリカ人の旦那はなぜかいつもBBQ係り)、ママがキャベツのサラダを作った。私だったらキューピーマヨネーズで和えて終わりそうなところを、賢いママは 料理の本を見て新しいドレッシングに挑戦。そして もう一つのサイドディッシュとして 茹でたとうもろこしが添えられた。

アメリカではしっかり野菜としての認識があるとうもろこしであるが、私の中のとうもろこしは夏の「おやつ」であって 夕食の一品としては考えたことなかった。始めてアメリカ人一家の夕食に招かれた時、お皿にゴロンと横たわる茹でたとうもろこしにナイフで取ったバターを塗りまくり、塩コショウを掛けてかぶりつく家族の人達を見て密かにカルチャーショックを受けたもんだ。
異国で長いこと生き抜くには、その国のいろんな習慣に身を投じるしかなく、倣ってやっていくうちに 自然にそれが馴染んでくるもんで、私もバターをしっかりセメントのように塗り付けて食べられるようになった。

その夕食の席で、とうもろこしにかぶりついた時、そのはじける甘い汁に 私の意識が遠い遠い昔へと回想されていった。
私の子供の頃は こんな改良に改良を重ねられたような甘いとうもろこしはなかった。近所のとうもろこし畑から刈り取られ、道端の無人八百屋で売られていたとうもろこしは 実が異様に詰まっており、砂糖のような甘さのまったくない代物だった。なぜ夏祭りで売られている焼きとうもろこしと甘さが違うのだろう、と小学生の私は不思議でならなかった。
学校から帰ると 母親が大量に茹でたとうもろこしが ちゃぶ台におかれている。その甘みのない田舎のとうもろこしがそれほど好物ではなかったが、それしかおやつとして置かれてない時は 仕方なく食べるしかなかった。ハエよけにかぶせられた手拭いをとると、まっ黄色にぷりぷり身をはったとうもろこしから どくとくの夏の匂いがただよった。それを一つ掴んで 縁側に座り、涼みながら食べたもんだ。
うちの母親のお陰できゅうりやトマトも野菜というよりも軽いスナックである、という認識が小さい脳みそに植えつけられた。さっと洗ったきゅうりやトマトも塩を付けて丸ごとかぶりついた。クッキーやショートケーキなどの変わりに 桃やイチゴ、イチジク、琵琶などが笊に盛られて台所に置かれていた。
お腹が痛くなるまで食べたスイカも含め、それらの一つ一つから むせ返るほと放たれていた匂いが、私の子供の頃の 夏の思い出のシーンを作り上げているような気がする。

そんな回想のせいで、猛暑が続いた今年のポートランドだけど、もっと夏を感じたくなって、自分でもとうもろこしを茹でてみた。足をぶらぶらさせて座る縁側はないけれど、ポーチにある椅子に腰をおろし、目を閉じてそっと匂いをかいでみた。
昔は オーガニックなんてファンシーな言葉はなかったが、普通にオーガニックの野菜が笊盛りで安く売られていたんだよね。今 オーガニック野菜がスーパーマーケットに再来しているけれども、値段がファンシー過ぎていけていない。トマトが1個2ドルするのはどうなんだろう。あの胴周りの太いきゅうりをそのままかぶりつきたいとは思わないしなあ。それより何より、あの独特な野菜の匂いが消えてしまったと思うのは 気のせいだろうか。それとも、自分が昔のように野菜と密着した生活をしなくなっているってことなのか。
パパとママが契約した農家から送られてくる福袋の中には、きっと夏の匂いが沢山詰まっていることだろう。



Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2008年9月号