ある一定の年齢に達してしまうと、いろんな意味で 野心が失せて行くものだなあと、ある一定の年齢に達してしまった私は思う。美しさを追求するあまり トリートメントにパックにマッサージと1時間風呂を重ねる毎日。殿方に好まれたいと化粧に30分、ブローに30分、洋服選びに1時間かけていたあのエネルギーにあふれていた若き頃。脱いだらスゴイのイメージを頭に、高いスポーツクラブの会員になり、週に3回のジム通いを欠かさなかった闘魂の日々。
私の中での「野心」というのは まあ モテタイということに直結していたわけだけど、近頃の私は、10分のクイックシャワーに、5分のダッシュメークに、濡れた髪は自然乾燥の毎日。下腹の肉を掴みながら、これはどこからやってきたのだろうと他人事のように疑問に思い、吸引で脂肪を取るのはいくらかかるのだろうかと、安易な道を思案している。
まったく 野心のボルテージはゼロ地点まで下がってしまっているわけだ。
いったいナゼ。
「ハニー、またバスタブの排水溝が君の髪の毛で詰まっているよ!!」とハビーの怒り声が風呂場から飛んでくる。そうだ、このぬるま湯のように心地よい既婚生活が、私から緊張感を取り去っているわけだ。スイートなハビーに大切に守られている、婚活というものをもう2度としなくていい、という安泰感が、精神のゆるみ、身体のゆるみに繋がっているようだ。
でも ここからどうやって 若い頃のような緊張感のある生活に戻すことができるのかしら。こんなに優しいハビーがいるのに、外に向かって モテタイ野心を掻き立てるのもおかしな話だし、第一、世間の男たちは 既婚者と解ると 後ずさりし、そそくさと会話を終了に持っていこうとするではないか。プラス、ある一定の年齢に達すると、どんなにごまかそうとがんばっても、ごまかしきれない現実が、シワの間から滲みでてくるものなのだ。
結果、パジャマのままのカウチポテトなわけである。
そんなある日、気分を変えるに限る!と、とうとう重い腰をあげ、パジャマから 久しぶりに丹念に選んだ服に着替え、女友達と夜の街へと繰り出した。
年齢を聞かれても「二十、、、才!」と堂々と答えれた独身の頃は、バーで自分の財布を取り出す必要など全くなかった(という記憶)。今では 友達も私も年齢を聞かれると聞こえない振りをしたり、見た目と苦しいギャップが出ないところで年齢をごまかしたりする事を、全くに自然に行うようになった。それでも、私の薬指に 人の目を突き刺すように光る100キャラットの指輪(本人検証)を見ると、バーに群がるハンター達も 3メートル以内に近寄ってくる事はない。
ということで女友達と、もちろん二人きり、あるバーのテーブルで ひたすらしゃべる事に集中していた。会話にポーズが入るのはワインをすすっている時だけで、アルコールが補給されると、さらに勢いがつき、誰も間に割り込めない状態だった。
そこにウエイターが、突然、躊躇なく割り込んできた。「あの、あちらのカウンターの男性が、お嬢様方に何か御飲み物を買われたいとおっしゃっているのですが。」私たちのBullet Trainに急ブレーキがかかった。疑いの目でそのウエイターを見上げる私たち。頭が一生懸命、何が起こっているのか理解しようと奮闘している。ぽかんと口を開けたまま返事をしない私たちに ウエイターが再度、ゆっくり丁寧に同じセリフを言って聞かせた。
「あちらの方」と示された方に体を傾け、目を細めてその紳士を探す。微笑を浮かべ、軽く指先だけで合図を送ってくる 頭の禿げた50過ぎの男がいた。友達としばし顔を見合わせる。「それじゃあ 同じワインを頂くわ」と注文し、私達の会話は再起動された。
今度は 痺れを切らしたその男が自ら、私達の会話を中断しに来た! 薬指のサインもノープロレム。すっかり私達の席に居を構え、自分がどんなにサクセスフルかをアピールし始めた。友達が私の視線をその男の手に促す。さっき取ったであろう指輪の後がくっきりと薬指に残っていた。この男、秘めた目的を水面下に、しゃべりの「技」をフル使用。次のお酒も奢ると言って聞かない。遠慮なく、一番高いシャンパンを注文してみた。
ある一定の年齢に達すると、こういう状況を冷静に捉え、頂けるものは しっかり頂いて、上手にお暇することができるようになる。
家に帰るや否や、即座にパジャマに着替え、コメディショーを見ているハビーの横にぴたりと寄り添う。やっぱり、ある一定の年齢に達すると、これくらいの湯加減が、一番健康的である、という結論を出した。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年4月号
Tuesday, November 22, 2011
Sunday, November 20, 2011
おいしい話 No. 36「女一人、バーにて。」
私もポートランドに暮らし始めて もう数年が経ち、お金が有る無しにかかわらず、様々なレストランやバーに出没して、行った事ない場所なんかない、かのようだけれど、やっぱり まだまだ甘ちゃんのようだ。毎日新しい店がオープンしているんじゃないかと思われるこの街の レストラン、バーの多さには 全く追いつけていない。
その大半の「行ったことのないレストラン、バー」というのが ホテル内で営業している店たち、ということに最近気が付いた。ホテルには大概 しゃれたバーや レストランがあるものだけど、いつも選択肢に入ってこない。なぜいつも「忘れて」しまうのだろう。
ひとつの理由はたぶん 7、8年前、最後に日本に帰った時に泊まったホテルのラウンジで カクテル1杯に1500円取られたことが、トラウマ的ダメージを私に脳に与えているのだと思う。ホテルのバー イコール 高い、という理由で自動消去されているようだ。
でも、最近 私の中で、レストランはさておき、ホテルのバーを見直そうブームが起きている。
ホテルのレストランの 高くて気取っているだけで、料理はまずい、という偏見はしっかり健在しており、それを覆す経験はまだしていないので、今だ評価の格上げはない。しかし、ここポートランドでは、どこで飲んでも基本的にバーのビール、ワイン、カクテルの味や値段に さほど変わりがないので、他の要素が評価の重要ポイントになるのだ。
ホテルは 旅のお客さんをもてなすために、落ち着いた、寛ぎのある雰囲気をコンセプトに造られているので、バーエリアも ゆったりとした空間を基本に壁の色調や 照明がデザインされている。そして 一回ズバっと座ってしまうと 旅で疲れた体をすっかり癒してくれる あのクッションの効いた贅沢なカウチたち。旅で秒刻みに走り回る客達も、バーエリアに入ると 時計がゆっくり回っているように感じられる。同じ場所を共有する他の客人たちも、騒がしいガキんちょ達でなく、場所をわきまえたアダルトな方々ばかり。カクテルサーバーたちも やんややんやと煩く、5分毎にやってきたりしない。ちゃんと時を計らって、ほっといてくれるのだ。
そして なんといってもホテルのバーのご賞味は、一人で何の引け目もなく飲めることだ。私ぐらいの大人な女になると 一人で行く 行きつけのバーのひとやふたつ持っていたいものだ。普通の飲み屋だと「寂しい女」「孤独な女」に映るところが、ホテルのバーだと違う。いや、日本のホテルのバーは情事の密会の場所というイメージがあるが(テレビの見すぎ?)、外国のホテルのバーだと、一人で飲んでいても、「タフな商談を取りまとめ、はーっと 一息つきに来たデキル女」だったり、「遅いフライトまで時間があるから その時間を使って仕事から暫し自分に戻っているデキル女」に映るわけだ。例え寂しい一人旅をしている女に見えても、「傷心」でありながら「燐」とした姿に見えるから 決してDesperateではないわけだ(これも かなりテレビの見すぎ?)。
ま、結論から言うと ホテルのバーはこういう妄想劇をかきたててくれて、一人でバーで飲んでいるという状況を 自分の中で 正当化できるわけ。これは場末のTavernじゃ無理な心理作業なのよ。
そんなわけで、近頃の私は Riverplace Hotelのバー、Three DegreesでWillamette Riverを窓越しに見つめながら、「商談で来たポートランド。ここに住んでいる友人と約束しているDinnerの時間まで、シャドネーを片手に、寛ぎながらも、今日の仕事を振り返っているデキル女」になっていたり、Hotel deLuxeのバー、The Driftwood roomで、マティーニのグラスを傾けながら、「今日が最後のビジネストリップ。部屋に上がる前に、バーテンダーと談話を楽しみにきたデキル女」になったりしている。
実際、現実として 私がどう世間様に移っているかは 不明であるが、ま、それはあえて気にせず、一人でバーに行ってみたい、でもちょっとその勇気がなーい、という女性にはホテルのバーがお勧めです。私のように 自分の妄想劇のテーマを持って行くことは あくまでも補足ですが、適用される場合は それに合わせて ワードローブを決めるのも楽しいでしょう。でも 間違っても、ホテル側に勘違いされて 追い出されるようなカッコウはしないように。
Kiki
Riverplace Hotel
1510 Southwest Harbor Way
Portland, OR 97201
Hotel deLuxe
729 SW 15th Ave.
Portland, OR 97205
Posted on 夕焼け新聞 2010年3月号
その大半の「行ったことのないレストラン、バー」というのが ホテル内で営業している店たち、ということに最近気が付いた。ホテルには大概 しゃれたバーや レストランがあるものだけど、いつも選択肢に入ってこない。なぜいつも「忘れて」しまうのだろう。
ひとつの理由はたぶん 7、8年前、最後に日本に帰った時に泊まったホテルのラウンジで カクテル1杯に1500円取られたことが、トラウマ的ダメージを私に脳に与えているのだと思う。ホテルのバー イコール 高い、という理由で自動消去されているようだ。
でも、最近 私の中で、レストランはさておき、ホテルのバーを見直そうブームが起きている。
ホテルのレストランの 高くて気取っているだけで、料理はまずい、という偏見はしっかり健在しており、それを覆す経験はまだしていないので、今だ評価の格上げはない。しかし、ここポートランドでは、どこで飲んでも基本的にバーのビール、ワイン、カクテルの味や値段に さほど変わりがないので、他の要素が評価の重要ポイントになるのだ。
ホテルは 旅のお客さんをもてなすために、落ち着いた、寛ぎのある雰囲気をコンセプトに造られているので、バーエリアも ゆったりとした空間を基本に壁の色調や 照明がデザインされている。そして 一回ズバっと座ってしまうと 旅で疲れた体をすっかり癒してくれる あのクッションの効いた贅沢なカウチたち。旅で秒刻みに走り回る客達も、バーエリアに入ると 時計がゆっくり回っているように感じられる。同じ場所を共有する他の客人たちも、騒がしいガキんちょ達でなく、場所をわきまえたアダルトな方々ばかり。カクテルサーバーたちも やんややんやと煩く、5分毎にやってきたりしない。ちゃんと時を計らって、ほっといてくれるのだ。
そして なんといってもホテルのバーのご賞味は、一人で何の引け目もなく飲めることだ。私ぐらいの大人な女になると 一人で行く 行きつけのバーのひとやふたつ持っていたいものだ。普通の飲み屋だと「寂しい女」「孤独な女」に映るところが、ホテルのバーだと違う。いや、日本のホテルのバーは情事の密会の場所というイメージがあるが(テレビの見すぎ?)、外国のホテルのバーだと、一人で飲んでいても、「タフな商談を取りまとめ、はーっと 一息つきに来たデキル女」だったり、「遅いフライトまで時間があるから その時間を使って仕事から暫し自分に戻っているデキル女」に映るわけだ。例え寂しい一人旅をしている女に見えても、「傷心」でありながら「燐」とした姿に見えるから 決してDesperateではないわけだ(これも かなりテレビの見すぎ?)。
ま、結論から言うと ホテルのバーはこういう妄想劇をかきたててくれて、一人でバーで飲んでいるという状況を 自分の中で 正当化できるわけ。これは場末のTavernじゃ無理な心理作業なのよ。
そんなわけで、近頃の私は Riverplace Hotelのバー、Three DegreesでWillamette Riverを窓越しに見つめながら、「商談で来たポートランド。ここに住んでいる友人と約束しているDinnerの時間まで、シャドネーを片手に、寛ぎながらも、今日の仕事を振り返っているデキル女」になっていたり、Hotel deLuxeのバー、The Driftwood roomで、マティーニのグラスを傾けながら、「今日が最後のビジネストリップ。部屋に上がる前に、バーテンダーと談話を楽しみにきたデキル女」になったりしている。
実際、現実として 私がどう世間様に移っているかは 不明であるが、ま、それはあえて気にせず、一人でバーに行ってみたい、でもちょっとその勇気がなーい、という女性にはホテルのバーがお勧めです。私のように 自分の妄想劇のテーマを持って行くことは あくまでも補足ですが、適用される場合は それに合わせて ワードローブを決めるのも楽しいでしょう。でも 間違っても、ホテル側に勘違いされて 追い出されるようなカッコウはしないように。
Kiki
Riverplace Hotel
1510 Southwest Harbor Way
Portland, OR 97201
Hotel deLuxe
729 SW 15th Ave.
Portland, OR 97205
Posted on 夕焼け新聞 2010年3月号
Sunday, November 6, 2011
おいしい話 No. 35「キーワードはコミュニティー」
先日、1月16日に行われた、Yuuyake Shimbun主催の「コミュニティー新年会」に行ってきた。2010年の新年会ということで、集まった人たちが一緒に映画を見て楽しむ、という趣向。なにやら入場料はタダ、スナックや飲み物もタダというわけで、普段 腰の非常に重い私も、簡単にお誘いにノッてしまった。
会場は 宇和島屋の近くにあるKyokushin Karate Dojo。お隣でIto Clinicを開業している伊藤さんが、この道場で空手を教えているとか。練習を終えたばかりなのか、胴着を着たちびっ子達が 他のちびっ子達と交って走りまわっている。親御さんたちや Yuuyake Shimbunの広告を見て集まった人達が 賑やかに交流をしている中に 私も飛び入りでおじゃました。
今夜のメインイベントは 映画鑑賞。あの有名な宮崎駿監督の「ハウルの動く城」が上映される。子供の頃は 世界名作劇場(元カルピスこども劇場)の「赤毛のアン」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などお馴染みのアニメを毎日くらいつくように見ていたのに、大人になってからは あまり興味を持たなくなってしまった。映画館に足を踏み入れることもなく、DVDを自ら借りることもなく、アニメから すっかり遠のいていたので、こういう機会はとても新鮮に思えた。
上映前に 歓談している参加者を中央に集め、伊藤さんから コミュニティー代表としてのスピーチがあった。地域で活躍しているビジネスがスポンサーとなり、こういう企画を考案、実行し、地域の人々の交流、絆をどんどん深めて行きたい、というのが本来の目的とおっしゃる。そういう希望に溢れる意志に、私はちょっと驚いた。日本に居たって 地域の交流を、なんて言ってる所は少ないのに。ましてや 個人主義のここアメリカにバラバラに住んでいる日本人の間で、そういう意識を強く持って 実際に行動を起こしているなんて。
プロジェクターの光が 道場の白い壁に映し出された。いよいよ上映が始まるようだ。興奮したちびっ子達に混じって私も スクリーンの前に陣取る。そして 茶色い紙袋に入ったスナックが参加者全員に配られた。「あら わたくしにも頂けるなんて?」と 大人ぶってみたものの、一旦その紙袋を手にすると、子供の頃に感じた「嬉しい」気持ちがグッと沸いて来て、にんまり笑いを抑えることは出来なかった。
部屋の電気が落とされ、いよいよ映画が始まった。待っていられない子供達がさっそく袋をガザゴソと開けて ボリボリとスナックをかじる音が響く。私も暗闇をいいことに こっそり自分の袋を開いて 中身を確かめる。おせんべいに「うまい棒」に「チュッパチャップス」(知ってます??)、そして小分けにジップロックに入れられた「かっぱえびせん」などバラエティーにとんだお菓子が入っていた。それを見て私は更にグググッときてしまった。なんて子供心をくすぐるおやつ袋なんだろう! 大人のはずの私も すっかりくすぐられてしまった。
マットレスで敷き詰めれられた道場の床に体育座りし、スクリーンのアニメを食い入るように見ながらも、お菓子を口に持っていく手は休まない。私は自分の子供時代にタイムスリップしたような気がした。
私の子供のころは 近所に公民館があり、地域の交流の場としてよく利用されていた。新年会、節分、ひな祭りに、子供の日、七夕祭りに、お月見、そしてクリスマス会と、地区会の会長を筆頭に親達が計画を立て、年中行事がそこで行われていた。それらの行事を通して、小学校のクラスで会わない同地区の友達と遊べたり、PTAとは違う親達の交流が深められる機会となった。ゲームをしたり、歌を歌ったり、演劇をしたり、もちろんおやつもしっかり与えられて、本当に楽しくって みんなが仲良かった思い出。そういうものを この道場から本格的に作り上げていこうとしているんだな、と思った。
「ハウルのナントカ」っていうのは 聞いたことあったけど、私には ああいう宮崎駿の独特でストレンジな世界にはついていけない、と思っていたら なんと、映画の終わりで からっぽのお菓子の袋を握り締め、感動してぽーっとしている自分がいた。戦争も争いもダメ。世界人類仲良く暮らさなければ。小さい事からコツコツと。自分が居るコミュニティーから作り上げて行く事が大事なのです!
悟ったように大きな気分になって帰って来た私。興奮してハビーに話すと、「Haul’s Moving Castleだろ?もちろん 観てるさ。あったりまえだろ。あんなCoolな映画、君は今まで観た事なかったワケ???」と見下げるように言われた。「コミュニティー新年会」、参加してよかったです、、、。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年2月号
会場は 宇和島屋の近くにあるKyokushin Karate Dojo。お隣でIto Clinicを開業している伊藤さんが、この道場で空手を教えているとか。練習を終えたばかりなのか、胴着を着たちびっ子達が 他のちびっ子達と交って走りまわっている。親御さんたちや Yuuyake Shimbunの広告を見て集まった人達が 賑やかに交流をしている中に 私も飛び入りでおじゃました。
今夜のメインイベントは 映画鑑賞。あの有名な宮崎駿監督の「ハウルの動く城」が上映される。子供の頃は 世界名作劇場(元カルピスこども劇場)の「赤毛のアン」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などお馴染みのアニメを毎日くらいつくように見ていたのに、大人になってからは あまり興味を持たなくなってしまった。映画館に足を踏み入れることもなく、DVDを自ら借りることもなく、アニメから すっかり遠のいていたので、こういう機会はとても新鮮に思えた。
上映前に 歓談している参加者を中央に集め、伊藤さんから コミュニティー代表としてのスピーチがあった。地域で活躍しているビジネスがスポンサーとなり、こういう企画を考案、実行し、地域の人々の交流、絆をどんどん深めて行きたい、というのが本来の目的とおっしゃる。そういう希望に溢れる意志に、私はちょっと驚いた。日本に居たって 地域の交流を、なんて言ってる所は少ないのに。ましてや 個人主義のここアメリカにバラバラに住んでいる日本人の間で、そういう意識を強く持って 実際に行動を起こしているなんて。
プロジェクターの光が 道場の白い壁に映し出された。いよいよ上映が始まるようだ。興奮したちびっ子達に混じって私も スクリーンの前に陣取る。そして 茶色い紙袋に入ったスナックが参加者全員に配られた。「あら わたくしにも頂けるなんて?」と 大人ぶってみたものの、一旦その紙袋を手にすると、子供の頃に感じた「嬉しい」気持ちがグッと沸いて来て、にんまり笑いを抑えることは出来なかった。
部屋の電気が落とされ、いよいよ映画が始まった。待っていられない子供達がさっそく袋をガザゴソと開けて ボリボリとスナックをかじる音が響く。私も暗闇をいいことに こっそり自分の袋を開いて 中身を確かめる。おせんべいに「うまい棒」に「チュッパチャップス」(知ってます??)、そして小分けにジップロックに入れられた「かっぱえびせん」などバラエティーにとんだお菓子が入っていた。それを見て私は更にグググッときてしまった。なんて子供心をくすぐるおやつ袋なんだろう! 大人のはずの私も すっかりくすぐられてしまった。
マットレスで敷き詰めれられた道場の床に体育座りし、スクリーンのアニメを食い入るように見ながらも、お菓子を口に持っていく手は休まない。私は自分の子供時代にタイムスリップしたような気がした。
私の子供のころは 近所に公民館があり、地域の交流の場としてよく利用されていた。新年会、節分、ひな祭りに、子供の日、七夕祭りに、お月見、そしてクリスマス会と、地区会の会長を筆頭に親達が計画を立て、年中行事がそこで行われていた。それらの行事を通して、小学校のクラスで会わない同地区の友達と遊べたり、PTAとは違う親達の交流が深められる機会となった。ゲームをしたり、歌を歌ったり、演劇をしたり、もちろんおやつもしっかり与えられて、本当に楽しくって みんなが仲良かった思い出。そういうものを この道場から本格的に作り上げていこうとしているんだな、と思った。
「ハウルのナントカ」っていうのは 聞いたことあったけど、私には ああいう宮崎駿の独特でストレンジな世界にはついていけない、と思っていたら なんと、映画の終わりで からっぽのお菓子の袋を握り締め、感動してぽーっとしている自分がいた。戦争も争いもダメ。世界人類仲良く暮らさなければ。小さい事からコツコツと。自分が居るコミュニティーから作り上げて行く事が大事なのです!
悟ったように大きな気分になって帰って来た私。興奮してハビーに話すと、「Haul’s Moving Castleだろ?もちろん 観てるさ。あったりまえだろ。あんなCoolな映画、君は今まで観た事なかったワケ???」と見下げるように言われた。「コミュニティー新年会」、参加してよかったです、、、。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年2月号
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