Sunday, May 20, 2012

おいしい話 No. 62「貴重な出会い」


人の縁て、不思議だよね。何処で誰とつながって、どんな新たな出来事が待っているかわからない。日ごろの行いがよろしいと、その出会いはたいてい有益なものであったりする。
「前から話していた知人が、ポートランドでレストランを開いたの。ご馳走してくれるみたいだから、おいでよ!」
来た!すばらしい出会いが、またやって来た。
「行く行く!もちろん、是非そのお方を紹介して!」
アジアのヒュージョン料理のお店かあ。う~ん、オイシソ。

ポートランドのダウンタウン、Paramount Hotelの中にあるレストランが、最近新しくオープンしたと聞いていたけど、そこが そのお知り合いのお店だったのね。食いしん坊のハビーが、私の一期一会にのっかってくる。いや、是非、僕も、その新しい出会いとやらを味わってみたいものだ。
ずーずーしさには事欠かない私とハビーが笑顔で登場。Tasting Eastのオーナーとその奥さんと、非常に友好的な挨拶を交わす。持つべきものは友だなあ。そこからいろんな輪が広がっていくよね。さて、とりあえず、ビールからいきましょうか。
TE Barというバーエリアのテーブルに着き、「IPA!」と元気良く、ウエイターの男の子に 愛飲ビールを注文。そこで ハビーからストップの声がかかる。小説と同じくらいメニューを読むのが大好きなハビーが、アジアのビールがいろいろあるよ。こういう時には 新しいものを味合わないと!
うかつだった。確かに。ご馳走してくれるんだから 保守的になる必要はないのだ!
ハビーは大仏さんの形をしたボトルに入った「Lucky Buddha」を、私は「33Esport」を注文。しまった、また何処の国のビールか忘れた、、。あんなに何度も ウエーターが困るほど聞いたのに。

アジアンヒュージョンて、どこにでもあって、誰もがやっていることだけど、Tasting Eastは、日本の下町裏通りの味、韓国の家庭料理の味、タイの市場のベンダーの味、台湾や中国のストリートカートの味を集めてきた料理、と言われると、印象が違ってくるから不思議だ。よく見られる闇雲でトンチンカンな創作料理とは違い、ちゃんと基本の味を解っているんだあ、と説得される。
とにかく、アジアの庶民的な味を ポートランドに持ってきて、Snobbyな値段をつけてちゃあいけませんよ。(ほんとうに多いんです。)だいたいHappy Hourがないなんて、昨今のエコノミーでやっていけません。特にウチの家計では。
なーんて批評家的なことを言いながらバーメニューを見る。あれ、すでにHappy Hour 級の値段設定じゃないの。ロール寿司を入れても、一品$2.50から$7.506時までにダッシュで入店しなくても、居酒屋のように いつでも、普通に、あれやこれやと単品で注文して、お安くいろんなアジアの味が楽しめるんじゃない。嬉しい。オゴりじゃなくても、また戻ってこれるのね。

ポートランドの五萬とあるレストラン市場で、最初の情熱を保ったまま、そして、利益も得ながら生き残っていくって とっても厳しい事だよね。オーナーやシェフ達が、日々 アイデアを絞り、試行錯誤し、「人気のお店」に造りあげていき、それを継続していく努力をするわけだろうけど、やはりポイントは 「戻りたい店」を作っていくことだ、と私は思う。
店には独自の個性があって「戻りたい店」要素は様々だけど、私にとっては、「あの店のあの一品」。あれが食べたいから また舞い戻る。何度行っても、いつ行っても、期待を裏切らない変わらぬ味。そういうものをレストランが提供している限り、「人気のお店」は廃れないと思う。

まずは最初の出会いが肝心。「いやあ、あの味、忘れられないなあ」という出会いを作る。別れた後も いつまでも心に残る出会い。「また会いたい!」と思う出会い。

今回、私のAttentionをしっかりGetしたのは、「Scallion Pancake Sandwich」のBulgogi Beef。強く 私の味覚のツボを突いた。クレープのように薄く焼いた韓国風のバンケーキを、タコスの皮のようにして、たっぷりの千切りキャベツと肉を挟んで戴く。これが 非常にうまかった。シェアしたハビーと取り合いになったのは言うまでもない。今度は丸一個一人で食べてやる。
「あの店のあの一品」、自腹を切っても また会いに行くからね!
いつまでも 変わらぬあなたでいてください。


Kiki

Tasting East
909 Southwest Park Avenue
Portland, OR 97205
(503) 243-5991



 Posted on 夕焼け新聞 2012年5月号

Saturday, May 12, 2012

おいしい話 No. 61「近代文明進化の恩恵」


近代文明の進化はすごい、という話を先月もしたけど、今度は日本の映画やドラマ、バラエティー番組が、インターネット上で見ることができる昨今に、感動している。
アメリカに来た当初は、誰かが家族の人に ビデオカセットテープに貯め撮りしてもらった日本の番組が、留学生の間で回覧されていた。自分の手元に来た時は 23年の古さだった、てことは当たり前だったけど、感謝の気持ちで、日本に思いを馳せながら、じっくり観させてもらった。
その後は 時代がDVDに変わり、そのコンパクトさで、一回に10枚から20枚回ってくるなんてことになった。とは言っても、やはり日本の家族や友人に録画してもらい、送ってもらったモノなので、番組も2、3ヶ月前から12年の古さ、という感じだった。
でも、今やインターネットで何でも観れる時代。誰かに録画してもらう必要もなく、自分の番が回ってくるのを数週間待つ必要もなく、日本で放送されたその翌日から1週間以内で、まだ温かい番組を観ることができるのだ。

お笑い好きの私はもっぱらの バラエティー派。暇な時、ぐーたらしたい時に、いつものサイトに行き、お気に入りの漫才師の番組を探してみる。若いゲストはほとんど 誰だかわからないけれど、80年代90年代に活躍した人がゲストで出るとなると、「お、ちょっと観てみようか」となる。
ラップトップPCをコーヒーテーブルに置き、カウチに横になり、ポテトチップスをボリボリかじりながら、「あー、年取ったなあ、この元アイドル!」とかやっているのである。

無表情な家政婦の話や、若い女の子が、警視庁捜査一課で班長として 自分より年上の部下を従えて事件を捜査していく話などは、現実身がなくてまったく 感情移入しないし、共感もしない。浜ちゃんとまっちゃんのボケ&ツッコミの方が、ずっと私に「笑い」の時間を与えてくれる。

そんな私が、この数週間、あるドラマにハマッていた。
「最後から二番目の恋」
小泉今日子が主演で、中井貴一、飯島直子、森口博子など、馴染みがあり、安心する顔ぶれが揃っている。中年男女の恋愛物語で、役者の実年齢がそれぞれの役の年齢、ていう設定が興味を引いた。ということは、昭和のアイドル時代に一世風靡したキョンキョンが45歳で、青年役を爽やかに演じていた中井貴一は50歳なんだ! もうこの時点で、しっかり共感できる。
ナニがハマッたかって、このキョンキョンが実にいい。
堂々と45歳の女を演じているのだ。「40過ぎで独身で、このまま一生独りなのかしら」という、ある時期に入ったシングルなら 誰でもぶつかるこの恐怖感と孤独感を、とてもリアルに、でも、視聴者をズドーンと落ち込ませない、明るく軽い演出が施されている。独身女性には 本当に本気で、暗くなり勝ちなテーマだけど、「45歳」とか「おばさん」とか「昭和の匂いがする」とかいうセリフを、ためらいなく吐き出し、地をもさらけ出しているかのようなキョンキョンを観ていると、逆に気持ちがいい。ドラマには珍しく「笑い」が発生するのだ。共感している私にだけ 発生しているのかもしれないが。

「恋愛ドラマ」だけど、ドロドロした人間の負の部分が全く無く、非常に明るい。「別れる」「くっつく」「あの人が騙した」「浮気した」が見所ではなく、「色々だけど、今を大事に生きていくっきゃないよね」と、軽くポジティブに最後まで構成されている。

ということで、ハマッてしまった。
昔のトレンディードラマ流行の時代以来。
毎週毎週、放送日が待ちどおしくて たまらない状態になってしまったのよ。
ほぼ同時進行で 同じ週の番組がみられるインターネット動画サイト。日本の木曜日の夜に放送されて、次の日、つまりアメリカの木曜日の夕方には、最新のエピソードがダウンロードできる。

毎週、金曜日に 同じくハマッている友達からテキストが来る。
「ねえ、昨日観たー?」「今回もまたよかったねー」「はああ、来週がもう待ち遠しいよお。」
VHSDVDを借りていた頃から考えると、信じられない会話だ。

先週、ついに最終回を迎えてしまった。
友達と一緒に溜息をつく。「これから何を生きがいに 生活していけばいいの。」
一緒に青春を駆け抜けた昭和のアイドルが、一緒に年齢を重ねていく姿に安心したのか。そのカラカラとした、前向きな姿に勇気付けられたのか。このドラマを追っかけている数週間は楽しかったなあ。

はっ、ちょっと待って。本当にテレビを見ているように追っかけてたから、テレビを見ている気持ちにすっかりなってしまったけど、このサイトに戻れば、いつでも、何度でも、「再放送」できるんじゃない!
そういえば、こんなに大好きだと豪語しておきながら、最終回に なぜ「最後から二番目の恋」なのか、をキャッチできてきなかったわ。インターネット、近代文明様サマです!

Kiki


「最後から二番目の恋」




Posted on 夕焼け新聞 2012年4月号

Sunday, May 6, 2012

おいしい話 No. 60「時代は変わる!」


うちの地元の方言で「しぶちん」という言葉がある。財布の紐が固く、そう簡単にその紐をとかない倹約家を呼ぶ。お金に糸目をつけず、気前がいい人、の正反対。率直に言えばケチンボ。

正真正銘しぶちんの私は、一年以上も、スマートフォンに換えるべきか、悩み続けてきた。トレンドに敏感で新しいモノ好きな人々が、新商品や新モデルが発表されると、発売と同時に、躊躇なく購入するのを横目で見て、よくまあ そんなにすぐ飛びつけるもんだ、と思っていた。
確かに、わざわざコンピューターを立ち上げなくても、スマートフォンからSkypeを通して、日本の家族に簡単に電話がかけられる、というのは魅力的で、そこが 私の悩みどころなんだけど。でも、毎月の電話代が データ料金も入れて$70-80というのは、いくらなんでも高すぎないか。
そりゃ、今の私の携帯電話は、安っぽくておもちゃみたいだけど、ちゃんと電話もテキストメッセージもできる。プリペイドだから、倹約して使えば一ヶ月に$20もかからないんだから。と、世の風潮に流されないポーズをとったりもしていた。
しかし、先日、知り合いがユーズドのアイフォンをタダでくれる、自分の携帯電話ならプロバイダーと契約をしなくてもいい、そして会社の社員割引が利く、という条件が揃い、ついにスマートフォンを使用することになった。

人間が開発する技術って、すごいね。二昔前の、でっかい箱のような「携帯電話」を肩に担いでいた時代からは、手のひらサイズで、タッチスクリーンの携帯電話が登場するとは思ってもみなかった。私の想像の域を遥かに超えたテクノロジーの進化に、改めて感嘆している。特にそう強く思ったのが、Viberの存在を知り、そのアプリをダウンロードしてから。

Skypeが登場してから、国際電話はずっとSkypeを利用していた。随分安い料金で電話がかけられる。もちろん、かける相手がSkypeのアカウントを持っていれば、タダで話ができるけれども、問題は、お互いが「オンライン」状態でいなかればならない。そのタイミングを計るのが容易でない。ましてや、家にいてPCを開けなければならないとなると、尚更だ。
そこにくるとViberは、相手もViberをダウンロードしていれば、「オンライン」であるとか「オフライン」であるとか、関係ない。タダで、いつでも、どこでも、普通の携帯電話と同じように、電話をかけたり、テキストメッセージを送ることができる。
先日、大阪の友人に Viberからテストコールをかけてみた。
私「もしもし? 今どこ?」
友人「今ねえ、営業中。車で客先回ってるとこよ。あ、せっかくやから遠方の客から先に回るわ。その間アタシの運転中、しゃべれるやろ。」
それから20分、Viber上でおしゃべり。普通の電話とまったく変わりないクオリティー。お互い、「すごいね、これ」を連発。「何がどうワークしてるのか さっぱりわからんけど、とにかくすごい。」と興奮した。
大阪の友達が、ポートランド市内で 営業周りをしているような距離の短さを感じ、感動。またこれが全部タダ、ときているから よけいにすごい。気兼ねなく、電話をかける頻度も高められる。プリペイドコーリングカードの時代は 終わった。

さっそく地元のしぶちんどもにEmailを送った。「あんたたち、スマートフォン? だったら即、Viberをダウンロードして頂戴! ナニ、まだスマートフォンじゃない? 早く買いなさい!」

20年前には想像もつかなかった技術の進化。どんどん、日本とアメリカの距離感や、時差の感覚が無くなっていく。家族や友人が同じ町にいるような感覚がして、胸がキュウンとする。今は東京にいる ESL時代の友達が、「私の留学中にあったら どんなによかったかぁ。」と、Viberでテキストメッセージを送ってきた。横浜に住む元ルームメートも、「なんか、海を越えて離れてるって思えなーい!」と電話の向こうではしゃぐ。

時には、貧乏性の気を えいっ、やっ、と 振り払い、清水の舞台から飛び降りた気持ちになって、財布の紐も緩めてみるもんだね。(スマートフォンの月々の電話代のことを言っています。)「損」をした気持ちでなく、それに替わる、お金に変えられない、沢山の「得点」が得られることが あるもんだ、と悟った私です。

Kiki




Smart Phone application:
Viber


Posted on 夕焼け新聞 2012年3月号