私の小さい時から考えたら、お寿司って 随分身近な食べ物になったものね。
そりゃあ 贅沢で特別であるという価値観は変わらないけど、その機会に接する距離が短くなった。特に大人になって会社に勤めるまで、寿司やに行ったことがなかった私にしてみたら、驚くべき進歩を遂げている。
私は、本当の寿司の美味さをずーっと知らなかった、と言っていいだろう。誕生日やクリスマスなど特別のお祝いの日は「小僧寿し」。それがどんなに贅沢で、楽しみだったことか。郷土料理「皿鉢(サワチ)料理」が出される親戚の宴会も、特別だった。仕出屋から取ったその料理に含まれた握り寿司が、なんとウマカッタことか。
19歳の時に、当時勤めていた会社の社長と営業の男たちに連れられて、初めて寿司やののれんを潜った。「エイ ラッシャーイ!」という元気な職人のおっちゃんの声に迎えられたわけだけど、突風の圧力を身体で受けたような感じだった。カウンター席しかない。緊張が走る。イカツイ顔の職人の前に 恐る恐る座る。お絞りで手を吹きながらキョロキョロと他の客を観察。木札に書かれたネタに、値段がない。
右隣の社長と左隣の営業のお兄ちゃんを 交互に真似ながら、同じネタを注文する。時々寿司用語が飛び交い、身が縮こまる思いをしたが、「同じ物で」で 逃げ切った。
この「同じもので」作戦が良かった。寿司や慣れし、値段を気にしない男達が、ただ純粋に好きな物、として注文した握りは 今までに食べた事のない味がした。ネタの色や艶が違う。シャリの温度と食感が違う。新鮮そのものだった。
「美味い、、、。」心の中で じっくりと確信。男たちと同じ調子で、何貫食べたか。
天国気分でいたものの、やはり何か落ち着かない。怖くて職人と目が合わせられない。蚊細い声の私に気がつかない。「あの、た、たまご、、。たまご、、ください。あの、たまご、、。」 職人とかみ合うタイミングの取り方って、難しい、、。ましてや、合間合間に、彼らと気さくな会話をするなんて とんでもないワザである。
そんなウブな初体験から ウン十年。East sideにある寿司や「北西」のカウンターに座る私は、すっかり違う人間になっていた。待ち合わせをしていた女友達が登場するまで、とりあえずビールを頼み、こんにちは、と前に立つ日本人らしき職人に挨拶をする。「あ、どうも」とフレンドリーな返事が返ってきた。良くある職人のイカツサがない。
出された突き出しのタコ料理に、舌鼓を打つ。「美味しいですね、これ。とっても新鮮です。」「あ、それですか、それはですねえ、」と 仕入所と、調理の説明が続く。19歳の私には始まらない会話である。登場した女友達も加わり、会話も弾む。突っ込んだ質問の結果、彼が あの有名なカリフォルニアのNobuやMatsuhisaで働いた経験のある ヘッドシェフ石井さんであることがわかった。これは信頼できる。いや、あえて その腕前を見せてもらおうじゃないの。と、いうことで10貫の「おまかせ」を頂くことにした。
私達の食べる速度に合わせて、一貫、一貫、丁寧に握って出してくれた握りは、 あの寿司初体験を思い出す 感動の味だった。なるだけ 日本の近海で取れた魚を出すようにしている、と言う。絶品の茶碗蒸しがさらに懐かしさを深める。
久しぶりに 美味しい寿司を食べたという満足感。アメリカに来て、寿司がカジュアルになり、簡単に食べられられるようになったけれど、この「美味しい寿司を食べた」という感動は、そうそう得られるものじゃない。
石井さんも、素敵な女性達が目の前で 楽しそうに食事をしているのをみれば、おまけの一つや二つしないわけにはいかない。ちょこっと、「これ どうぞ」なんて頼んでもいない小皿を出してくれる。市場価格となっている「おまかせ」も、美女特別価格?と、勝手に解釈したくなるほど、お安くすんだ。
私も いつの間にか、寿司やでのワザを修得してしまったようだ
これからは カウンターで石井さん前よ。
そういえば Seattleの「Kisaku」は テーブルの予約はしちゃだめ。カウンター席で、中野さんの前よ、とか、Shiro’s Sushi最近ダメだけど、時々シローさんが握っているからカウンターに座ると美味しいらしい、とかっていうのを聞く。
アメリカで いかに 美味しい寿司にありつくか。 皆、苦労しているのね。
Kiki
Hokusei
(971) 279-2161
Posted on 夕焼け新聞 2012年8月号
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