Saturday, September 28, 2013

おいしい話 No. 77 「タンポポ」


先週 伊丹十三監督の映画「タンポポ」を観た。たぶん これは 私にとって 5回目の鑑賞となる。別にこの映画が大好きでたまらない、ということではない。「タンポポ」を僕のバイブルだ!と崇拝するハビーのせい。5回どころか、僕は最低10回は観てるよ、と自慢する。

こう言っちゃ失礼かもしれないけど、そんなに繰り返し観なきゃいけないほど、すごい映画なのか、と私は思うわけ。それを言うと「Are you kidding??!」と返ってくる。

君は日本人なのに あの映画の素晴らしさが解らないのかいっ!?

なんともダメなラーメン屋の女主人が、ラーメンに厳しいトラックの運ちゃんの特訓により、行列のできる人気のラーメン屋になる。よくあるストーリーだと思うんだけど。私には「奥の深さ」が見えてこない。しかも、メインの宮本信子のラーメン屋サクセスストーリーが展開されるそのサイドで、ちょこちょこと食にまつわるエピソードが差し込まれる関係性は。得に あの役所広司演じる白いスーツの男の存在は何なの。


「タンポポ」はね、人間の原点を描いているんだよ。ハビーの演説が始まる。終幕で出てくる 赤ちゃんが、夢中で母親のおっぱいにしゃぶりついているあの映像のように、食は人間が産まれて 一番最初に求める欲求なんだよ。そして人間のその食に対する執着。ただ生きるために食べているわけじゃない。口に入る多様な形、色、食感、温度、そしてその味が 様々な刺激となって脳に伝わり、いくつと異なる感覚の満足感を作り出すんだ。その満足感が幸福感。それを求めて人間は食べ続ける、そして より良いものを、もっとすごいものを、と探究し続ける。コントロール不可能な本能なんだよ。

食べることで、なんらかのホルモンが分泌され、ポジティブな作用が起こる、ということよね。確かに、デートに食事は付き物だし、腹が減っては戦はできぬ、とも言うし、取り調べを受けている犯人には 必ずカツ丼が出される(古い)。

得にあの 老人がラーメンの正しい食べ方を教えるシーンは、人間の欲望の象徴だよ。ハビーの熱論は続く。ダシがどうだとか、麺がどうだとか、温度がどうだとか、妥協しないのは 最高の快感を得るための大事な準備段階なんだ。そして、そうやってこだわった食材がラーメンの器の中で総括される。欲望を満たす瞬間がついに来たわけ。この老人の言う、正しい食べ方というのは、ゆっくりじっくり120%に快感を味わうための 大事なステップなんだ。立ち上がる湯気の匂いを嗅いだ瞬間から、最後の一滴のスープを飲みほすまで、一分の無駄があってはならいない。人間は食欲というエゴを満足させるために夢中になる生き物であることを、描いているんだよ。そしてそれが、正に生命の糧であることを!

そこまで解釈しますか。

まあ、確かに、メインのストーリーの間に差し込まれる一見関連性のないエピソードや、白いスーツの男のシーン達は、その欲望に夢中になっている人間像を映し出している。

それにしても、数人の日本人の友達が皆 よくわからん、と言うところに ハビーのこの「タンポポ」絶賛状態。Wikipediaで「タンポポ」を調べてみると、「公開・反響」の所に、「本作は興行的には成功しなかったが、一部のマニアックなファンや日本国外からの支持は高かった。日本国外での反響は特に高く、アメリカでの興行成績は、邦画部門2番目となっている。この映画を見て日本通になったり、あるいはラーメン店を開業する外国人も出現した。」とあった。

ハビーは色々言うけれど、単純に 日本人にしてみれば珍しくもないラーメン文化が、外国人には珍しい、ということじゃないの?

初めてこの映画を観たた後、すっかり感化されて、乗り換えで一時的に降りた日本の空港で、この老人の説明する通りに ラーメンを食べたというハビー。おそらく、多くの外国人が 同じことをしただろう。

食べ物の文化は世界を渡り歩いている。ラーメンだってもともと中国から来た物。それを「日本のラーメン」に進化させた日本人。そして未だ究極を求める野心は続き、「最高のラーメン」の形は変わっていってる。そして 影響を受けた外国人によって また他の国々へと渡って行く。

人間の食欲ってすごい。伊丹十三は、「タンポポ」でそれを伝えたかったのか。

幕開けで 白いスーツの男が、死ぬ間際に見る走馬灯を楽しみにしている、と言う。 一生に起こった事が、映画のように流れ始めるというそれを 邪魔されたくないと。10回以上も「タンポポ」を観ているハビーは、「タンポポ」を観ている自分という場面が、必ず一回は現れることだろう。

 

Kiki
 
 
 
 
Posted on 夕焼け新聞 2013年9月号

おいしい話 No. 76  「あくまでもビジネスマインドで」


先日読んだ日経ビジネス(2013.7.15)に、海外で日本食レストランの店舗が急激に増加しているという記事があった。通常の寿司や刺身以外にも ラーメンやカレーなど、世界中で いわゆる「大衆食」の人気度が上がってきていると。そして当記事が指摘していたのは、それらの成功しているレストランの経営は日本人によるものではない、日本人以外の手で、日本食ブームに火がつき加速していると。 

私は「確かに」と、読んでいた。なんちゃって日本料理が、正当な顔をして世に出てき、受け入れられてきている事は 薄々感じていた。外国人による日本食の「創作」料理や、「ずれた」味付けに対して、厳しく批判する私は、外国人による日本食のブームを 事実として語るこの記事に、困惑していた。

ポートランドでも ここ数年外国人によるラーメンの店が増えた。ラーメンの概念を取り入れていても、いくら麺が手打ちでダシの効いたスープと売り出していても、「違う」という旗が私の頭の上に立ち上がるのだ。

日本食の知名度が上がり、世界中の人々に愛されれるのはいいが、好き勝手にいじられた料理を日本食だと認知させていいのか!

そこはさすが 日経ビジネス、一個人の感情的な視点からでなく、きちんとビジネスの観点で見ている。ビジネスとして成功させるには、日本流をそのまま持ち込もうとしてはいけない。その国の人の好みに合わせた工夫が必要。臨機応変に現地のニーズに対応し、食材の調達などもコスト削減、効率を生かし、大衆向けのサービスを提供する必要がある。「上から目線ではいけない」と。

エッ、アタシ?

でもね、よーく考えてみたら 日本もそうとうヨソの国の料理をいじって、変えて、「日本料理」にして来た、創作の元祖なんだよね。「元々こんなんじゃなかった」海外から来た料理を 日本人向けに変えて大衆化して行き、「日本食」になっていたんだものね。本当におっしゃる通り、「正しい日本食」という観念で 外国人が作る料理を測ってはだめ。特にその外国に住んでるマイノリティーの日本人のアタシたちが。

よし、ここは心を改め、オープンマインドでBOKE BOWLのラーメンを食ってやろうじゃないの。BOKE BOWLは、まさしく この特集記事で取り上げられているような外国人によるラーメンのお店。完全なる先入観と偏見と過去の経験による想像のもと、行ってみよう、と思ったことがなかったが、今の私は受け入れることができる!

あのね、正しい日本食なんかないんだから。誰が作ろうと、どんな味がしようと、大衆に受け、人気があり、店が込み合って繁盛しているなら、それがビジネスとして成功している、ということなんだから。

BOKE BOWLのテーブルにつくなり、私は日経ビジネス受け売りのこのロジックを、連れて来たハビーに語り始めた。「だからね、私はここでそれが正論であることを体験し、認識したいのよ。偏見なしで!」 ハビーは、ふ~ん、と反応薄く聞いている。

注文した「Pork Dashi」のラーメンが運ばれて来た。醤油のように濃い黒とトマト色が混ざったような色のスープに白い麺。右の眉が吊り上がりそうになる自分を抑える。ハビーの「Shrimp Rice Bowl」が運ばれて来た。「なんでラーメン頼まなかったのよ。」 答えないハビー。

まずはスープをズズッと飲んだ。ハビーが私の顔をジッと見る。「違う」という旗が、抑えきれずに立ち上がる。麺を箸で解き、スープに絡ませてズズッとすする。麺はまあまあ、ま、こういう麺もあるからね。だけど スープがもうちょっとコクと深みがあったら。チョット違うのよ。このPulled porkもねえ。文字通り「上から目線」で器を覗き込みながら すでに心の中で不平を並べている自分がいた。

外国人のハビーにラーメンの味見をさせる。口をへの字にしてただ頷くだけ。「もっと食べていいわよ」と勧めても「Nah」と言って器を押し返してくる。

ハビーには「正しい日本食」を日頃から語り過ぎたかも。私のウンチクをすっかり受け継いでしまっている気あり。あんたの そのビビンバからアイデアを得たようなRice Bowlの方が美味しい、と言うと、「Well, the real Bibimbap is better」と「正しい韓国料理」を主張する。

お昼時、広い店内はたちまちお客で満員になった。日曜日に このIndustrial Areaで、この繁盛振り。いいよ。これでいいのよ。こうやって人気の店になり、ビジネスは成功しているのだから。コモンテーブルの端でヒソヒソと気難しいことを言っている二人組は無視していいのです。 


Kiki

 


Boke Bowl

1028 SE Water Ave.

Portland, OR97214

503-719-5698

 
 
Posted on 夕焼け新聞 2013年8月号

おいしい話 No. 75  「うちの猫」


うちには 15歳になるおばあちゃん猫がいる。猫にしてみたら長生きしている方なのかな。もともと、ハビーが産まれたばっかりで道路の路肩に捨てられているのを拾ってきたのが、始まり。白、黒、茶の三毛猫。(「三毛猫」ってそういう意味?)

ハビーは、「スパイク」という、オスに間違われそうな名前を付け、可愛がって育てていた。寝るのも、ご飯を食べるのも、テレビを見るのも、いつも一緒。ハビー曰く「She was my girl!」。でもスパイクが年頃になる頃、ハビーは違う町の大学に行くために実家を出た。スパイクを置いて。

実家に放置されたスパイクは だんだん野生化していった。日中はほとんど外に出て走り回ったり、狩りをしたりしていた(らしい。)朝晩のご飯時になると草村からのそりと姿を現し、夜はガレージの隅で身を丸めていた。時には3日間姿を現さない事もあった。旅に出ていたんだとか。

数年が経ち、ハビーが初めて私を実家に連れて行った。ママが ここ3日スパイクを見てないのよ、と言う。大丈夫、彼女は僕が帰ってくると 必ずわかるから、とハビー。すると数時間後、「ミャオ」と一鳴き、茂みからスパイクが現れた。大量に抜けた毛が背中で「スパイク」よろしく逆立ち、ゆらゆらと風になびいて揺れていた。23歩歩いて立ち止まり、ジッとこちらを見ていた。このワイルドな様相の登場が今でも忘れられない。ハビーが愛おし気にスパイクを呼ぶも、シラっとお尻を返し、また茂みの中に消えて行った。

She is mad at me」 

スパイクはハビーの居ない間にオトナになっていた。たまに帰ってくるオトコに、犬のように無条件には飛びつかない。フフン、と アンタなんか知らないわよ、とまずは一撃を与える。そして夜になると 喉を鳴らしながらベッドに飛び乗り、ハビーの顔を舐めまくり、傍らで横たわる。これにやられるらしい。「おおおぉぉぉ、スパイクぅ」

猫派ではない私は それを冷めた目で見ていた。

そして2年前、拒否のできない命令がママから下された。「アンタ達、いい加減にスパイクを引き取りなさい!」

繰り返すけど、猫派ではない私は、「えっ」と 詰まった。家は毛だらけになるし、散歩には行けないし、トイレは家の中だし。今までなんとかそこに話が行かないように避けていた。でも、もうYesと言うしかなかった。

一番喜んでいたのは もちろんハビー。今までの償いを返す勢いで、ペットショップに走り、スパイクのための家財道具一式を買い揃えた。キャリーバッグに詰め込まれ、3時間のドライブを経たスパイクがうちに到着した時は、かなりunhappyだった。家の中を低姿勢で歩き、各部屋を用心深くサーチする。一番安全だと決めた部屋の隅の椅子の下に居を構える。用意した餌も一嗅ぎしただけ。クッションの効いたベッドにも近寄ろうともしない。おもちゃのネズミ達も完全無視。「大丈夫、猫は自分の家だと決めるまで、少し時間がかかるんだよ」と、ハビー。アタシが心配しているのは カーペットにおっしっこされることなんだけど。

そのスパイクがのそりと起き上がり、用意してあった砂のおトイレに、よっこらしょと入り、チンと座っておしっこをした。まるでこのおトイレがずーっと彼女のものだったかのように。これには感動した。いったいどういうメカニズムが働いているのか。砂の桶が、トイレをする場所とわかるなんて!

室内猫になってから スパイクのワイルドさが削げ落ち、female catの可愛いさが表に出てきた。相変わらずドライなところはあるが、餌をせがむ顔や、窓から外を眺めている姿や、私の膝を膝枕にして寝る様子が 可愛くてたまらない。だんだん、自分の子供の写真を撮って 人の迷惑考えずに送る人になって行った。買ってあったベッドに初めて寝た時、庭先に出て雑草を食いちぎっている時、台所の床で身だしなみ悪く昼寝をしている時、近所のネコと睨み合っている時。いちいち写真を撮っては 仕事中のハビーに送ったり、友達に送ったりした。この間もスカイプで 全く言うことを聞かないスパイクのビデオメッセージを大阪の友達に送ったら、「見たで、親ばかビデオ」と返事が返ってきた。

未だ自分は猫派になったとは思わないが、妙な関係が出来上がってしまった。子供の変わりにはならないが、「守るもの」、「世話をしなければならないのも」として「親」的な心持になり、愛情が生まれて来た。ホント不思議な話だけど、うちの猫が一番可愛く見えるのよ。ほら、こうやってお腹丸出しにして 仰向けで びよ~んて伸びて寝てるところなんか。

 
Kiki

 

Posted on 夕焼け新聞 2013年7月号

おいしい話 No. 74 「Blooming Lotus」


Portland Irvington Districtに またもやVeganのレストランができた。

Vegetarianなどとクレームしようものなら、「好き嫌い言わずに何でも食べなさい!」と張り倒されかねない昭和の家庭の環境の中で、そもそもVegetarianとかいう言葉は存在しなかった。ましてはVeganなんて、「エイリアン」と さして変わらぬ未知の存在だ。

といっても私の家庭は普段から野菜中心の、しかも近所の農家から取り寄せた無農薬野菜を普通に食べていた。それはチョイスではなく、それだけがAvailableだったから。ハンバーグだの、鳥の足だの、焼肉だの、肉が特別だった時代に育った私。必然的に大の肉好き。逆に、肉が食卓に並ばないことにいつも文句を言っていたもんだ。

初めてVegetarianの存在に出会ったのは、アメリカに来てから。「なんでまた、、、」と思った。アメリカ人のVegetarianの大半は、社会問題の理由から その道を選んでいるように見えた。鶏や牛や豚の飼育の仕方が 正しくない、と熱く語り、一個人として それに反する姿勢を これらの肉食を取らないことで表明する、という。こんな人達は 日本にいないだろうな、と思った。ダイエットのため、という人は沢山いても。

間違ってVegetarianとかVeganの店に入り、「(本物の)肉がない、、」と知った時、怒りのような感情が湧いてきていた私だけど、トシのせいか、これらに寛容になり、受け入れられるようになった今日この頃。Blooming Lotusの混雑ぶりを外から伺うと、やっぱ一回は試してみないと、という気になった。

Blooming Lotusは、世界の味をフュージョンで取り入れた オーガニックで新鮮なVegan料理、と謳っている。こういう料理が今のトレンドで、おしゃれでモダンな雰囲気のレストランで展開されているから、時代も変わったものだ。

メニューには「Cooked and live food options」がある。たとえば「Live Pizza」とか、「Live Falafel Wrap」とか「 Live Kale and Seaweed Salad」。Liveと言われると魚が笊の中で飛び跳ねている絵が浮かんでくるけど、決してこれらの料理が字のごとく「生きている」わけではなく、Veganの世界では、火が通されていない、つまり「生」、という意味のようだ。ま、初回の困惑は避けれらないと思うけど。

Veganもそうとう厄介な族と思うけど、メニューに「Gluten Free」や「Soy Free」のオプションを見るとクラクラしてくる。一体最終的にお腹に辿り着くものはなんなの、てね。

注文したのは「Crispy Artichoke Fritters」、「Live Sampler」、そして本日のスペシャルの中から「Lasagna」。これらの料理は今のトレンドのようだけど、それだけで終わらない、すごく説得力のある確かな味だった。Veganのシェフって、普通のレストランのシェフより 非常に高いレベルのスキルが必要とされるのでは、と思う。限られたアイテムを使って、より創造的に、満足を与える料理を作らなければなないんだもの。Blooming Lotusには高度な技術とセンスを持ったシェフがいるものと思われる。本当に「新鮮」を食べている感じがした。

昔はVegetarianVeganの族に矛盾を覚えていた。肉は食わないといいながら、大豆などの豆で作った、肉に見立てた代物を好んで食う。ベーコンだとか、ハンバーガーパテとか、ハムとか。実際の肉は食わないが 肉に対する愛着は捨てられない。実際の肉にあるその味は楽しみたい。

「清くないっ!」「矛盾してるっ!」「フェイクだーっ」と机を叩いていた。

さて VeganのレストランにFull Barがあるのはどうだろう。酒は関係ない?食は限りなく厳選するけど、ウイスキーや ヴォッカはアリ? Healthyを謳いながら、ハードリカーも提供するって。また矛盾している、という思いがムクっ、と立ち上がろうとした。でも 待てよ、アタシみたいな客には なくてはならないアイテムでしょ。客を厳しくVeganに限定し、お茶や青汁のようなドリンクだけを提供していては商売にならない。お酒の売り上げがマネーになるのが実情。つまりアタシやハビーみたいな客を どんどん受け入れるよう、門戸も大きく開いておかなければならないわけ。

というわけで、ちょうどその日に仕入れたという 少しブドウの皮を残して破砕、醗酵したピンク色のPinot Grisを頂いた。これがまた「Live Sampler」のtahini cilantro pate, almond cheese, kale and seaweed salad, and live falafel, などの料理と抜群に合って美味しかった。

お腹はいっぱいだけど、いつもの「食い過ぎたー」感はなく、なんだか健康的ーぃという気持ちになる。お酒も手伝って もっと心が軽くなる。

あんなに肉好きだった私がVegetarianにならないまでも 確実にそのチョイスが変わってきている。もちろん今だ 焼肉とHanger steakには目がないが、社会問題でも、環境問題でもなく、昔と比べて、体自身が自然に肉を求めなくなった。そんなおトシゴロを感じる方たち、「Veganの店」という偏見なく、新鮮な料理を食べられるところ、という意味で Blooming Lotusを訪れてみて。

 

Kiki

 

Blooming Lotus

1713 NE 15th Ave
Portland, OR 97212

503.228.0048

http://blpdx.com/


Posted on 夕焼け新聞 2013年6月号