Sunday, May 7, 2017

おいしい話 No. 117 「森山直太朗」


日本に帰った元ルームメイトと 年明けにEmailのやり取りをしていたら、「どうでも良い話なんだけど、、」と 主題を変えて別のメールを送ってきた。去年 森山直太朗の歌を直で聴く機会があったようで、「その時の歌に感動し、それ以来 すっかりファンになっちゃって」と 森山直太朗のアルバム発売記念に子供を連れて行った写真が張り付けていた。「今年の冬休みは、ポートランドに行ってたってツイッターに書いてあったよ!」と、嬉しそうに報告してくれた。
森山直太朗。なんか聞いた事あるなあ。でも写真を見てもピンとこない。森山良子の息子だったっけ? 歌は聴いた事ないけど、森山良子の息子だったら、爽やかな感じなんだろうなあ。ま、森山良子の歌も真面に聴いた事もないけど。なんて言っていると、「今度送ってあげるよ!」と言ってくれた。好きかどうかわからないけど、是非聞いてみて!と。

その会話から5日後、うちの郵便受けに 彼女からの封筒が入っていた。「早っ」。
送られてきたのは「森山直太朗 大傑作撰」と、大題の付いたアルバムだった。なんか、曲を聴くまでもなく、もうこのジャケットのデザインから日本を感じる。

その夜、ダウンタウンでご飯を食べた帰りの車の中で かけてみた。ステレオから流れるメロディーとその歌声は、昔のフォークソング的な、優しくソフトで懐かしい音色だった。なんだか日本の道路を走っているような錯覚が起こる。お母さんの血をそのまんま受け継いだかのような 高く伸びる声。今時なのか、懐メロなのか、昭和と平成の間を行ったり来たりするような、中性的だけど直球な詩とサウンド。そんな風に思っていると、懐かしい曲のイントロがはじまった。「あ」一瞬にして、昭和に引き戻された。「若者たち」

「君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくしばり
君は行くのか そんなにしてまで」

じわじわと目頭が熱くなる。胸が込み上げる。そして 涙が流れ出す。
自然と口が開き、一緒に歌い始めた。

「君の行く道は 希望へと続く
窓にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる」

泣き面に、ぶれぶれの震える声で 森山遼太郎と合唱した。
一体何が起こっているの?どういう現象コレ??
さっき飲んだワインのせいか。涙が出てしょうがない。

自分の「大傑作撰」にこの曲を入れるとは、なんとも渋いではないか。やっぱ昭和生まれか。家に帰った後、もう一度、友達が送ってくれた写真を開いてみる。
15周年記念オールタイムベストアルバム「大傑作撰」発売記念、森山直太朗 感謝状贈呈式」と書かれたサインが金の屏風の上に掲げられ、その屏風の前に並ぶ森山君と、私の友達とその息子。森山君が感謝状なるものを息子に手渡している。記念アルバムのCDを買ってくれたファンへ、ってことなんだろう。なんか、売れている人のわりには、地味なアナログ感が漂う。
しかし こう言っちゃ失礼だが、顔と歌声が一致しない。本当に失礼だが このお顔からあの繊細な声が?と思ってしまう。
まだまだまじまじと観察する私。白いシャツにベストを羽織り、数珠のネックレス。七分丈のパンツに 片足アンクレットに サンダルシューズ。なんと彼の白いシャツの裾からは、ほどけた糸がバラバラと垂れている。まるで何年も着倒したシャツの如く。男前のお兄さんなんだけど、私の腹の笑い虫がムズムズしてくる。

見るんじゃなかったかなー。アタシのさっきの涙は何処へ。
ポートランドに来てたって言ってたけど、もう絶対わからないと思う。というか、ポートランドに馴染み過ぎてしまうんじゃないかと思う。
「もうひとつ!」と友達から追加のメールが来た。
「この前ポートランドに行ったのは、KINFORKっていう雑誌が好きで行ったみたいだよー。」なんじゃらほい。
是非次回ポートランドを訪れる時は、PSUのキャンパスでゲリラコンサートをしたり、Mississippi Studio辺りでライブをしてほしいものだ。うちの近所の教会を借りて ギター1本の弾き語りでもいい。
色々言いたい事言ってる私だけど、私の友達のように、直に歌を聴いたら、本当にハマってしまうのかもしれない。

まだ車のステレオに入っているCD。車を走らせる度に、日本にワープする。時にウルウルしながら 思いに浸る。ちょっとしたエスケープの空間ができる。今の自分や、日本で育ち、暮らした昔の自分を思い出す、私独りの空間。そういう空間を作り出す「森山直太朗 大傑作撰」、(車)一台に一枚かも。

「直太朗を共有できて嬉しいよ!」by 私の友達。




Posted on 夕焼け新聞 2017年2月号






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