「ポットラック」っていう言葉を知ったのは、本当にESL時代。Termの終わりにあの厳しかったGrammarの先生Annが、まだ英語がよくわかっていない生徒達をお家に招いてくれた時。ものすごい怖いオーラを出していたAnnなのだが、私は何やら興味を示しており、アメリカ人の先生のお宅拝見という、知らないもの見たさで、他の生徒と共にわくわくした。
そこで 「ポットラック」という新しいボキャブラリーのレッスンが始まった。由来の説明まで受けたかどうかは 忘れたが、とにかく会合に食べ物や飲み物を参加者がそれぞれ持ち寄る、ということ。その言葉の意味は 特別新しい事や珍しい事ではないはずなのに、さすが合理的で、公平さを主張するアメリカ人らしい趣向だと 関心したもんだ。世界各国からやってきたインターナショナルの生徒達が それぞれどんな文化料理を持ってくるか、ていうのが 実のところ狙いだったのかもしれない。本当にインターナショナルの生徒達が律儀に母国料理を作ってきたりしたら、ESLの先生って とってもおいしい職業といえるだろう。
と 言いながら、何を持って行ったらいいのか全くわからないまま当日が来てしまった。食べ物を持ち寄るっていうアイデアはわかるけど、お金と手間を掛けたくない、と思うと どうしても 気の利いた物が浮かんでこない。なんせ初体験なもんで 気も小さくなる。一緒に行く約束をしていたクラスメートの女の子と途中QFCを覗くことにした。スーパーマーケットの中をうろうろしてみれば、何かピンとくるものを見つけることができるかもしれない、ということで。
とりあえず 店内を一周してみたけど、これだ!という物が目に飛び込んでこなかった。美味しそうなものはあるけど、予算にあわなかったり、予算に合わせようとすると見掛けが貧相だったり。会合に集まるメンバーにご馳走を振舞う気もないが、明らかなケチ度が前面に押し出されないように気をつけなければならない、というわけだ。
悩みながら 空っぽの籠を手にスタート地点に舞い戻った時、アメリカサイズのスイカが山のように積み上げられて、赤札をつけてディスプレーされているのが目に付いた。1パウンド 39セント。友達と目を合わせる。表面を触りながらその大きさを実感する。軽く10人は食べさせられる。これか?
6月の半ば、スイカもいい時期だし、果たして何人の人達がアメリカにいて自らスイカなんぞ購入するだろうか。日本人は特に、キャンプやスイカ割りなど夏には欠かせないアイテムとして、子供のころから親しんできているわけだから、今 外国の地にいる彼らはこれを見てどんなに懐かしく思うことか、と他の日本から来たクラスメートを思った。よし、ウケも悪くない。
パンパンとその緑色に照る表面をたたいてみる。いい音だ。当てずっぽうで選らんだスイカを胸に抱えてレジに行く。スイカ用のネット袋なんかないので、底が抜けないよう プラスティックの袋を3重くらいにしてスイカを入れてくれた。その袋を持つ指にプラスティックがぐいぐいと食い込むのを感じながら 店外に出ると、太陽の痛い照りつけが直撃する。
友達に片方の取っ手を持ってもらい、二人でスイカを挟んで坂道を登り、バス停でバスを待ち、地図の説明書を片手に歩き回って、やっと Annの家を見つけるまでは、スイカなんて 自分の交通手段を無視した最悪の選択だったと後悔した。でも、私たちとその間にぶら下がるスイカを招き入れてくれるAnnと先に来ていた生徒達の丸々と見開いた目と共に、興奮の歓声を浴びた時は、「へへへ・・・」という照れ笑いを隠すことはできなかった。
正直、味に関しては あんまり考慮してなかったが、包丁を入れた時、スイカがはちきれんばかりにパリパリっと音を立てて、裂き目が走っていった。これは良い兆候だ。真っ赤に熟れたそのスイカはびっくりするほど甘かった。他の人が用意した品と被ることもなく、ケーキやクッキーなどと違う甘さのスイカは新鮮な喉越しを与えてくれて大人気。
ポットラック。自分の持参品がいつまでもテーブルに残り乾いていくこともなく、皆の手が延びて あれよあれよという間に売れて行くのを見るのが、一番の幸福、ということでしょうか。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2009年2月号
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