Monday, August 29, 2011
おいしい話 No. 27「カンパニー ベネフィット」
大昔、営業なんていうものをやっていた時は、「接待」という名の残業があった。残業なんてちょっとネガティブな響きで言ってみたが、実際は大変おいしい思いをさせてもらった。接待する側、される側と、両方の立場を交互に回りながら、普通の給料で 普通に暮らしていては味わうことのない食事を楽しませてもらった。「経費で落とす」というこの魔法の言葉が頭をめぐると、両者の気分も大きくなり、安心してあれやこれやと、少々お高めでも注文することができた。高級霜降り神戸牛、フグ刺し、馬刺し、鯨刺し。伊勢海老の刺身に タラバガニやアワビの網焼き。マツタケご飯から土瓶蒸しまでのマツタケ三昧に、鱧や鯛、トロなどのお造り。貧乏家族に生まれ育った私が初めて行った寿司屋、中華料理屋、焼肉屋も接待だった。
時はバブル全盛期。私の友人の会社も例外なく羽振りがよかった。会社として一ヶ月に設定された経費の枠があり、それが使い切れてないと社員に「どこでもいいからメシ食って、領収書を持って来い」と特別任務が渡された。なんと嬉しい時間外労働であろう。そして持つべきものはやはり友、いつもその友人が、4万、5万の現金を手に「どこ行きたい?」と誘ってくれたのだ。お陰で、今月はここのフレンチ、来月はあそこの懐石、と庶民の私には近寄りがたい食事処に行かせてもらった。
しかし、バブル期崩壊は文字通り、私のグルメ期崩壊でもあった。経費の設定金額もガクっと下げられ、接待の内容も目的や詳細を明確にすることが求められ、大得意さんを相手としてもそんなに大盤振る舞いもできなくなり、その頻度もすっかり減ってしまった。もちろん、私の友人からのグルメの旅への招待もぴたりと止まった。自社、他社関係なく受けていたカンパニーベネフィットが もう受けられなくなってしまったのだ。
そこの追い討ちをかけたのが 私の渡米という行動。真の貧乏時代が始まった。学生で、アルバイトを渡り歩く生活をしていた私は、接待なんていう行事に関わることもなく、グルメから180度離れたところに居た。バブル崩壊から十数年、今だ不況が悪化していくことしか耳にしない中、接待という言葉は消えてしまったのでは、もう誰もそんなことをしている会社はないのでは、と思うようになった。
そんな中、私も長いブランクを経て、会社員として社会に再復帰した。そして会社でのあるお食事会に参加させてもらう機会があった。このお食事会、実は出張で来ていたあるお得意さんを招いて、おいしいものをご馳走しようという会だった。え、これはもしや あの幻の「接待」と呼ばれる行事では?
これが蓋を開けてびっくりした。まずは、この客人、自ら希望のレストランを指定。臆気もなく街で1、2を争う高級ステーキハウスを選んだ。加えてうちの会社のお偉いさんたちは、ちょっと怯んだ私の顔をよそに余裕な態度。それを確認するや否や、私の小心者魂が これはうまいものにありつける!というイヤラシイ期待の心に変わり、胃のあたりからワサワサ、ドキドキし始めた。
まずは軽く前菜から摘んで行きましょうと、生ガキ、甘エビ、キャビア、タラバガニ、毛ガニの盛り合わせが選ばれた。ビールの後はワインでも行きましょうか、と店に限定数しか置いていないピノ ノアールが選ばれた。そこにウエイターが通常の2倍の値段がするKobe beefがあと2枚で売り切れとなる、と報告してきた。ひえー 開店1時間半、$100近いステーキがもう売り切れになるってどういこと? と思っている傍で この客人が当然その1枚を注文。各人がそれぞれ注文をしている間、私は ”well marbled”(霜降り、と解釈)と説明されたステーキを注文してやると構えていた。いくら年の功はいっていても、私はあくまでも新入社員なわけだから、注文は普通のステーキ欄から(でもせっかくだからお高めを)選ぶでしょう、と思っていた。そしてとうとう最後に私の番が来た時、私の注文をしようとする言葉を うちのお偉いさんの衝撃的な一言がさえぎった。「その最後の1枚を注文しなさい」。
仰天して、耳を疑う私に、「遠慮しないで頼みなさい」と更なる余裕なお言葉。このお言葉が夢なのか、あのバブル崩壊が夢だったのか。私の長いブランクが嘘だったのか、不景気ニュースがガセなのか、ここには昔の接待習慣が健在していた。すると、じわーっと「経費で落ちるんですよね」という観念が蘇ってきた。
私のチョイスはあっさり変更され、そんなに強く勧められるなら、という建て前で、その最後の1枚のステーキを注文した。やっぱり年の功のためずうずうしさを抑えきれない新人社員。会社勤めも、いろんなタイプのベネフィットを考えると 辞められないもんですね。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2009年6月号
Sunday, August 21, 2011
おいしい話 No. 26「生春巻きに至るまで」
もうかれこれ3年ほど キッチンのPantryに生春巻きの皮の袋が眠っていた。自分で生春巻きを作ってみようなんて思ったことなど一度もないのに、購入した記憶も全くないのに、なぜか生春巻きの皮が同じ場所に腰を据えていた。キッチンのPantryなんて、毎日100回ぐらい開け閉めして 食料をあさっているのに、その存在を知ったその日から、ずーっと その存在を無視し続けてきた。なぜ生春巻きの皮を直視してきたかというと、学生のころに一緒に住んでいたルームメートが、生春巻き作りに挑戦し、何枚も一緒に茹でた皮にてこずりながら、ぼろぼろ、ぐちゃぐちゃになっていく春巻きを目の当たりにしたため、その映像がトラウマになっていたのだ。
ある日、ついにもう、暗闇に横たわるその存在を無視し続けることができなくなり、生春巻きを作ることを決意した。インターネットで「生春巻きの作り方」と検索し、注意深く どうやったらあの微妙なRice paperを綺麗に茹でることができるのか調べた。そして ほほーっ これは以外に簡単かも、とやる気が盛り上がってきたのは、Rice paperは茹でない、水で戻すのだと知った時。一枚一枚戻して、具を乗せて巻いていけば、あの破れかぶれな状態にはならないのだ。
皮の問題はひとまずこれで解決。さて具の一つである麺であるが、日本のサイトで検索した時に「ビーフン」と出てきた。「ビーフン」て、昔 学校給食なんかで炒めたビーフンを良く食べていた気がするけど、本当はナンなのだ?ここで 非常に私らしいのが、ここから先、疑問を深く追求して検索していくという行動をとらない。他のレシピにはRice noodleと書いていたので、そちらで行くことに決めた。まあ、自分でしっかり下調べをしない、という甘さが祟ったのは実際買い物に行った時。たまたま行った韓国系の店で、ついでだから例の麺を買っていこうと思い立ち、乾燥麺のセクションに足を運んだが、まったくどれを手にしていいかわからなかった。通りかかった店の兄ちゃんを呼びとめ、生春巻きに使う麺はどれかと尋ねた。居合わせた友人が、ベトナム料理のことを韓国人に聞くのはどうなんだろう、と指摘したが、まったくその通り。彼が自信を持って勧めてくれた麺は、茹でると透明な春雨の麺に変わっていった。
急遽 春雨サラダとなった夕食をすすりながら、ハビーが私の物事に対する詰めの甘さに深い溜息をつき、翌日、正真正銘のRice noodleを買ってきてくれた。さて これで 全ては整った。あの3年越しのRice paperがついにPantryから出される日が来た。他の材料と共にRice paperの袋を並べ、料理に取り掛かろうとすると、また たまたま居合わせた友人が、Rice paperにしては色が白くないね、という指摘をした。そのコメントにピクッと反応したハビーが、完全に流そうとしていた私を横に押しやり、その袋を掴み、裏返してIngredientsを読み始めた。
色がほんのりベージュだったのは 小麦粉のせいだったらしく、ハビーの更なる調査によると、小麦粉製は揚げ春巻き用であり、生でなんかでは食べれたもんじゃないと判明。生春巻きは 我が家では伝説の一品となっていきそうな雲行きだった。
たとえ詰めが甘くとも、くじけず、諦めないのが私の良いところで、ハビーに本物のRice paperを買ってきてもらい(安心)、なんとぶっつけ本番、ポットラックパーティー当日に生春巻きを作ることにした。本当のところは、何度もバジルやらパクチやらモヤシ、海老などを用意することに疲れてしまい、練習する気になれなかったのだ。
あの白く、繊細なRice paperは水に浸して戻すと、透明な色になり、つるつるとした感触になる。茹でたNoodle、新鮮な野菜に海老や豚肉を乗せてうまいこと巻こうとするけど、これが容易でない。巻き上がりが なんかゆるかったり、なかなか綺麗に海老が姿を現してくれなかったり、異様に長くなったり太くなったり。きばって春巻きを提供することを公言した手前、悪戦苦闘する私の額に薄らと汗が滲む。そうするうちにも皿がてんこ盛りになっていった。
皮がくっつき合うのを避けるため、レタスを飾り兼、仕切りに使ったら、なんだかとってもおいしそうに見えたからすごい。訪れた友人から十分にお褒めの言葉を頂き、縁も酣となった頃には、見事にレタスだけが横たわるのみという状況になっていた。ピーナッツソースまで手作りというところまで今回はいかなかったが、長い道のりを経て、達成感を得ることのできた生春巻き作りだった。
あのRice paperだと すっかり信じられていた例の袋は、またキッチンのPantryの暗闇に戻された。揚げ春巻きに至るまで、この後どのぐらいの月日を、じっと眠り続ける事になるのやら。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2009年5月号
ある日、ついにもう、暗闇に横たわるその存在を無視し続けることができなくなり、生春巻きを作ることを決意した。インターネットで「生春巻きの作り方」と検索し、注意深く どうやったらあの微妙なRice paperを綺麗に茹でることができるのか調べた。そして ほほーっ これは以外に簡単かも、とやる気が盛り上がってきたのは、Rice paperは茹でない、水で戻すのだと知った時。一枚一枚戻して、具を乗せて巻いていけば、あの破れかぶれな状態にはならないのだ。
皮の問題はひとまずこれで解決。さて具の一つである麺であるが、日本のサイトで検索した時に「ビーフン」と出てきた。「ビーフン」て、昔 学校給食なんかで炒めたビーフンを良く食べていた気がするけど、本当はナンなのだ?ここで 非常に私らしいのが、ここから先、疑問を深く追求して検索していくという行動をとらない。他のレシピにはRice noodleと書いていたので、そちらで行くことに決めた。まあ、自分でしっかり下調べをしない、という甘さが祟ったのは実際買い物に行った時。たまたま行った韓国系の店で、ついでだから例の麺を買っていこうと思い立ち、乾燥麺のセクションに足を運んだが、まったくどれを手にしていいかわからなかった。通りかかった店の兄ちゃんを呼びとめ、生春巻きに使う麺はどれかと尋ねた。居合わせた友人が、ベトナム料理のことを韓国人に聞くのはどうなんだろう、と指摘したが、まったくその通り。彼が自信を持って勧めてくれた麺は、茹でると透明な春雨の麺に変わっていった。
急遽 春雨サラダとなった夕食をすすりながら、ハビーが私の物事に対する詰めの甘さに深い溜息をつき、翌日、正真正銘のRice noodleを買ってきてくれた。さて これで 全ては整った。あの3年越しのRice paperがついにPantryから出される日が来た。他の材料と共にRice paperの袋を並べ、料理に取り掛かろうとすると、また たまたま居合わせた友人が、Rice paperにしては色が白くないね、という指摘をした。そのコメントにピクッと反応したハビーが、完全に流そうとしていた私を横に押しやり、その袋を掴み、裏返してIngredientsを読み始めた。
色がほんのりベージュだったのは 小麦粉のせいだったらしく、ハビーの更なる調査によると、小麦粉製は揚げ春巻き用であり、生でなんかでは食べれたもんじゃないと判明。生春巻きは 我が家では伝説の一品となっていきそうな雲行きだった。
たとえ詰めが甘くとも、くじけず、諦めないのが私の良いところで、ハビーに本物のRice paperを買ってきてもらい(安心)、なんとぶっつけ本番、ポットラックパーティー当日に生春巻きを作ることにした。本当のところは、何度もバジルやらパクチやらモヤシ、海老などを用意することに疲れてしまい、練習する気になれなかったのだ。
あの白く、繊細なRice paperは水に浸して戻すと、透明な色になり、つるつるとした感触になる。茹でたNoodle、新鮮な野菜に海老や豚肉を乗せてうまいこと巻こうとするけど、これが容易でない。巻き上がりが なんかゆるかったり、なかなか綺麗に海老が姿を現してくれなかったり、異様に長くなったり太くなったり。きばって春巻きを提供することを公言した手前、悪戦苦闘する私の額に薄らと汗が滲む。そうするうちにも皿がてんこ盛りになっていった。
皮がくっつき合うのを避けるため、レタスを飾り兼、仕切りに使ったら、なんだかとってもおいしそうに見えたからすごい。訪れた友人から十分にお褒めの言葉を頂き、縁も酣となった頃には、見事にレタスだけが横たわるのみという状況になっていた。ピーナッツソースまで手作りというところまで今回はいかなかったが、長い道のりを経て、達成感を得ることのできた生春巻き作りだった。
あのRice paperだと すっかり信じられていた例の袋は、またキッチンのPantryの暗闇に戻された。揚げ春巻きに至るまで、この後どのぐらいの月日を、じっと眠り続ける事になるのやら。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2009年5月号
Wednesday, August 17, 2011
おいしい話 No. 25「ステーキ屋さん」
ステーキって、どうしてあんなに高いんでしょう。ただちょっと厚みのある 1枚の肉を焼いただけなのに。
そりゃあ その肉が牛の体のどの部分から切り取られたか、その牛がどの地方で、どのように育てられたか、ということによって値段が変わってくるっていう、市場の価格状況があるのはわかるけど、和牛の完璧な霜降り肉でもないのに、基本的な味付けは塩コショウに赤ワイン ジュッ、っていう料理に対して、そんなに大層に 料金乗せなくても、と思ってしまう。
まあ ステーキは焼き方が命、なんていうのはわかるけど、実際 焼きにかかっている時間は少ない。ミディアムレアとかレアがいいなんていう注文には、労働時間はカットされる。
10歩ゆずって、たとえそんなシンプル料理にだって、一流の 腕のいいシェフが必要だとしよう。火加減だのひっくり返すタイミングだの、ウンチクを言い出すと限がないからね。特に老舗のステーキ店なんか 中途半端なシェフをおいておくと その名が立たない、なんてこともあるわけだし。
が、しかし、そんな給料取りの、コストの高い腕利きシェフを雇っておいて、サイドもついてこない、焼いたステーキをデン!と色気のない皿にの真ん中において出すような料理をよし、とするのはどんなものなのか。これが”America’s Favorite”と豪語していいものだろうか。
ステーキ屋に行って常に嘆き声をこぼさずにいられないのは、アートの心をまったく無視したプレゼンテーションの乏しさのせいである。先日行ったMorton’s Stake Houseでその悲しい確認をまたしてしまった。ステーキ屋ってどこに行っても同じだ、と無念な感に落ちいってしまった。
この1枚の肉に49ドル!? 神戸牛でも松阪肉でもないよね? 彩りに添えられるブロッコリーとかほうれん草のソテーとか、角を丸めたニンジンのグラッセル、ホクホクに仕上げた粉ふき芋はどこ? ほらちょっと気の利いたレストランでステーキ頼むと付いてくるじゃない? え、ブロッコリーが欲しいなら サイドで別にオーダーしろって?
メニューを見ると、サイドディッシュとしてブロッコリー8ドル、マッシュドポテト7ドル、アスパラガス9ドル。大きさだげが自慢かのように横たわるステーキを見下ろしながら、これって、もし サイドディッシュをオーダーしないと、本当に肉だけを食べている状態だよね、と ちょっと野性的な気分になってきた。
このサイドディッシュ達がまた 怒りを引き起こす。まるで ただスティームしただけのブロッコリーや 茹でただけのようなアスパラガス(しかも あの長さのまま)、大量生産されたであろうマッシュドポテトがそれぞれ、これまた 色気のない皿にてんこ盛りになって運ばれてくる。それらのサイド達は もう洗練された料理と 何マイルもかけは離れている。
食は目から、なんていうけど、日本人からすると、逆に目玉が飛び出る、っていう感じかしら。愛でる目がいらないって感じ? こういうのって 逆にそそられない。Feedされてるって言った方が早いかも。やっぱり ここで文化の違いが表れている、ということなのだろうか。開拓時代の料理が そのまま高級な店内で気取って出されており、アメリカ人の大好物、そして その人気は不滅だ、ということなのだろうか。
この店の50ドルのクーポンを貰って行っておいて この文句の言いようはないだろうけど、まあ普通ならちょっと足すだけで おいしい料理が楽しめるだろうと思って行ったハビーと私。メニュー開いた時にその浅はかさが明らかとなった。「え、ステーキ一枚で もうクーポンが飛ぶわけ?」とメニューに顔を隠しながら目をキョロキョロさせた。
これが不思議なことに、店内が満員なのである。商売繁盛なのである。老若男女みんなステーキが大好きなのである。この値段がちっとも気にならないのである。
大きな切り身で出てきたステーキはあっという間に飽きてしまった。シェフの技や、美の心、繊細で細かい料理への施しはどこにもみられなかった。結局 プラス120ドルの出費に、胸もいっぱい、気持ちもいっぱい、で 残り物を詰めたプラスティックバッグを抱え、店を出た。
この120ドルの、いや170ドルの価値はどこに値するのだろうか。気の利いたプレゼンテーションでないことは確かです。
Kiki
Morton’s the Stakehouse
213 SW Clay St Portland, OR 97201
(503) 248-2100
Posted on 夕焼け新聞 2009年4月号
Saturday, August 6, 2011
おいしい話 No. 24「回転寿司」
回転寿司で一番思い出深いのは、何年ぶりかに日本に帰った時。大阪の大使館でビザをおろしてもらうというのが 大体の目的で、二日ほど大阪のホテルに滞在した。9月だというのにものすごい蒸し暑さで、NWの気候気分で軽いコートなんか着てった私がアホに見えたのは間違いない。関空に降り立つや、軽いコートがずっしーんと、すでにパンパンのスーツケースを引っ張る腕に重くのしかかった。湿気が壁となって私の行く手を塞ぐ。「なんや これぇ!」と大阪人でもないのに 大阪弁が連発で飛び出した。
この蒸し暑さに、すんなりビザがおりるか、という緊張で、気分は低迷気味。次の日に朝早く大使館に出向き、長いこと待たされて、入館した後も、自分の名前が呼び出されるまで、手に汗を掻きながら、はらはらドキドキと待ち時間は続いた。審査官に冷たく却下の宣告を受けた申請者達を何人か見た後は、もう地獄の審判を待っているような気分。「アメリカにあるアタシのアパートどうなるんだろう」なんて心配までし始める始末。
1日中座り続けて やっと自分の順番が来た時は、あっけにとられるくらいあっさりと面接は終わり、問題なくビザが下りた。
大使館を出た私は、緊張から溶けて へろへろな骨抜き状態になりつつも、空腹で喉もカラカラだということに気が付き、近所の商店街を当て所もなく歩いていた。すると、回転寿司屋ののれんが目にとまった。ショーケースに飾られている蝋で作られた見本の寿司がものすごく美味しそうに見えた。ここは ひとつ、お祝いということで ぱーっと寿司でもいこうか、と自分を盛り上げ、そののれんをくぐった。
「-ぇい、-らっしゃいっ!」という勢いのいい声が私の入店を迎えてくれた。席に着いた私は 当然のごとく 中生ジョッキを注文。さっき「1日中」と大袈裟に言っていたが、本当はまだ昼前だった。女一人 昼前からビールをぐびぐびいく姿に一瞬ギョッとした様子の おやじだったが、気を取り直して、私が不自由していないか尋ねてくれた。
回転台をぐるぐる回る寿司は 今やもう回転台をぐるぐる回る寿司ではなかった。そのりっぱなこと! 回転寿司が上等になっている! 回転寿司も知らない間に ここまでなったか、と思った。ほどよい大きさの切り身のネタに、軽く握られたシャリが上品に横たわり、へたな寿司屋に引けをとらない見栄えを放っていた。
好物のイカやハマチ、サバなんかを次々と掴んで頬張っていると、きりりと手拭を頭に巻いたおやじが 回転台の内側で手持ちぶさに突っ立っていることに気が付いた。なるほど、回転寿司屋といえども、回っている物だけしか食べれないわけではない。回ってない物は 頼んで握ってもらえるのだ。
というわけで、おやじを働かせるべく、白身の魚や、ウニ、イクラなど、まだ人入り前で出していない寿司を一つ一つ注文した。
この おやじが握って、回転台ごしに渡される寿司は、シャリがほのかに暖かく、本当においしかった。重い心配事が肩から降りたことと、ビールがまわってきたことと、久しぶりの寿司ということなのか、雲の上の天国にいるような気分だった。
あれから 無事アメリカの自分のアパートにも戻ることができ、様々な年を重ねてきた現在の私であるが、その後も、たまに 一人で回転寿司屋に出かける時がある。たいてい、無償に「寿司」と名の付くものを食べたい、でも貧乏、という状況の時なのだが、機械からこぼれ落ちるシャリにスライスの魚の切り身をちょこんと乗っける、という職人作業を見ないようにすることが鉄則。
そんな中、初めて行ったパールディストリクトにあるマリンポリスで、大阪のあの回転寿司屋を思わす、嬉しい体験をしてきた。閉店間近だったからか、回転台が空き々で、自分の食べたい物が回ってなかったため、メニューから注文をすると、日本人らしき職人さんがささっと握って出してくれた。これが繊細で美味かった。ウニ、焙りサーモン、ホタテと、一品、また一品と、カウンターが回っていることも忘れて、寿司を握ってもらった。そのうち「トロのこんなとこ入ってますけど」なんて、メニューにない物まで登場したりして、私の座るその一角が、普通の寿司屋に化していた。
回ってなくても、回ってる値段。流れている物を食べろと怒られそうだが、これが私のお勧め、回転寿司屋でのおいしい食べ方ということ。
Kiki
Marinpolice Sushi Land Pearl District
135 NW 10th St
Portland, OR 97209
(503) 546-9933
Posted on 夕焼け新聞 2009年3月号
この蒸し暑さに、すんなりビザがおりるか、という緊張で、気分は低迷気味。次の日に朝早く大使館に出向き、長いこと待たされて、入館した後も、自分の名前が呼び出されるまで、手に汗を掻きながら、はらはらドキドキと待ち時間は続いた。審査官に冷たく却下の宣告を受けた申請者達を何人か見た後は、もう地獄の審判を待っているような気分。「アメリカにあるアタシのアパートどうなるんだろう」なんて心配までし始める始末。
1日中座り続けて やっと自分の順番が来た時は、あっけにとられるくらいあっさりと面接は終わり、問題なくビザが下りた。
大使館を出た私は、緊張から溶けて へろへろな骨抜き状態になりつつも、空腹で喉もカラカラだということに気が付き、近所の商店街を当て所もなく歩いていた。すると、回転寿司屋ののれんが目にとまった。ショーケースに飾られている蝋で作られた見本の寿司がものすごく美味しそうに見えた。ここは ひとつ、お祝いということで ぱーっと寿司でもいこうか、と自分を盛り上げ、そののれんをくぐった。
「-ぇい、-らっしゃいっ!」という勢いのいい声が私の入店を迎えてくれた。席に着いた私は 当然のごとく 中生ジョッキを注文。さっき「1日中」と大袈裟に言っていたが、本当はまだ昼前だった。女一人 昼前からビールをぐびぐびいく姿に一瞬ギョッとした様子の おやじだったが、気を取り直して、私が不自由していないか尋ねてくれた。
回転台をぐるぐる回る寿司は 今やもう回転台をぐるぐる回る寿司ではなかった。そのりっぱなこと! 回転寿司が上等になっている! 回転寿司も知らない間に ここまでなったか、と思った。ほどよい大きさの切り身のネタに、軽く握られたシャリが上品に横たわり、へたな寿司屋に引けをとらない見栄えを放っていた。
好物のイカやハマチ、サバなんかを次々と掴んで頬張っていると、きりりと手拭を頭に巻いたおやじが 回転台の内側で手持ちぶさに突っ立っていることに気が付いた。なるほど、回転寿司屋といえども、回っている物だけしか食べれないわけではない。回ってない物は 頼んで握ってもらえるのだ。
というわけで、おやじを働かせるべく、白身の魚や、ウニ、イクラなど、まだ人入り前で出していない寿司を一つ一つ注文した。
この おやじが握って、回転台ごしに渡される寿司は、シャリがほのかに暖かく、本当においしかった。重い心配事が肩から降りたことと、ビールがまわってきたことと、久しぶりの寿司ということなのか、雲の上の天国にいるような気分だった。
あれから 無事アメリカの自分のアパートにも戻ることができ、様々な年を重ねてきた現在の私であるが、その後も、たまに 一人で回転寿司屋に出かける時がある。たいてい、無償に「寿司」と名の付くものを食べたい、でも貧乏、という状況の時なのだが、機械からこぼれ落ちるシャリにスライスの魚の切り身をちょこんと乗っける、という職人作業を見ないようにすることが鉄則。
そんな中、初めて行ったパールディストリクトにあるマリンポリスで、大阪のあの回転寿司屋を思わす、嬉しい体験をしてきた。閉店間近だったからか、回転台が空き々で、自分の食べたい物が回ってなかったため、メニューから注文をすると、日本人らしき職人さんがささっと握って出してくれた。これが繊細で美味かった。ウニ、焙りサーモン、ホタテと、一品、また一品と、カウンターが回っていることも忘れて、寿司を握ってもらった。そのうち「トロのこんなとこ入ってますけど」なんて、メニューにない物まで登場したりして、私の座るその一角が、普通の寿司屋に化していた。
回ってなくても、回ってる値段。流れている物を食べろと怒られそうだが、これが私のお勧め、回転寿司屋でのおいしい食べ方ということ。
Kiki
Marinpolice Sushi Land Pearl District
135 NW 10th St
Portland, OR 97209
(503) 546-9933
Posted on 夕焼け新聞 2009年3月号
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