Monday, August 29, 2011

おいしい話 No. 27「カンパニー ベネフィット」


大昔、営業なんていうものをやっていた時は、「接待」という名の残業があった。残業なんてちょっとネガティブな響きで言ってみたが、実際は大変おいしい思いをさせてもらった。接待する側、される側と、両方の立場を交互に回りながら、普通の給料で 普通に暮らしていては味わうことのない食事を楽しませてもらった。「経費で落とす」というこの魔法の言葉が頭をめぐると、両者の気分も大きくなり、安心してあれやこれやと、少々お高めでも注文することができた。高級霜降り神戸牛、フグ刺し、馬刺し、鯨刺し。伊勢海老の刺身に タラバガニやアワビの網焼き。マツタケご飯から土瓶蒸しまでのマツタケ三昧に、鱧や鯛、トロなどのお造り。貧乏家族に生まれ育った私が初めて行った寿司屋、中華料理屋、焼肉屋も接待だった。
時はバブル全盛期。私の友人の会社も例外なく羽振りがよかった。会社として一ヶ月に設定された経費の枠があり、それが使い切れてないと社員に「どこでもいいからメシ食って、領収書を持って来い」と特別任務が渡された。なんと嬉しい時間外労働であろう。そして持つべきものはやはり友、いつもその友人が、4万、5万の現金を手に「どこ行きたい?」と誘ってくれたのだ。お陰で、今月はここのフレンチ、来月はあそこの懐石、と庶民の私には近寄りがたい食事処に行かせてもらった。
しかし、バブル期崩壊は文字通り、私のグルメ期崩壊でもあった。経費の設定金額もガクっと下げられ、接待の内容も目的や詳細を明確にすることが求められ、大得意さんを相手としてもそんなに大盤振る舞いもできなくなり、その頻度もすっかり減ってしまった。もちろん、私の友人からのグルメの旅への招待もぴたりと止まった。自社、他社関係なく受けていたカンパニーベネフィットが もう受けられなくなってしまったのだ。
そこの追い討ちをかけたのが 私の渡米という行動。真の貧乏時代が始まった。学生で、アルバイトを渡り歩く生活をしていた私は、接待なんていう行事に関わることもなく、グルメから180度離れたところに居た。バブル崩壊から十数年、今だ不況が悪化していくことしか耳にしない中、接待という言葉は消えてしまったのでは、もう誰もそんなことをしている会社はないのでは、と思うようになった。
そんな中、私も長いブランクを経て、会社員として社会に再復帰した。そして会社でのあるお食事会に参加させてもらう機会があった。このお食事会、実は出張で来ていたあるお得意さんを招いて、おいしいものをご馳走しようという会だった。え、これはもしや あの幻の「接待」と呼ばれる行事では?
これが蓋を開けてびっくりした。まずは、この客人、自ら希望のレストランを指定。臆気もなく街で1、2を争う高級ステーキハウスを選んだ。加えてうちの会社のお偉いさんたちは、ちょっと怯んだ私の顔をよそに余裕な態度。それを確認するや否や、私の小心者魂が これはうまいものにありつける!というイヤラシイ期待の心に変わり、胃のあたりからワサワサ、ドキドキし始めた。
まずは軽く前菜から摘んで行きましょうと、生ガキ、甘エビ、キャビア、タラバガニ、毛ガニの盛り合わせが選ばれた。ビールの後はワインでも行きましょうか、と店に限定数しか置いていないピノ ノアールが選ばれた。そこにウエイターが通常の2倍の値段がするKobe beefがあと2枚で売り切れとなる、と報告してきた。ひえー 開店1時間半、$100近いステーキがもう売り切れになるってどういこと? と思っている傍で この客人が当然その1枚を注文。各人がそれぞれ注文をしている間、私は ”well marbled”(霜降り、と解釈)と説明されたステーキを注文してやると構えていた。いくら年の功はいっていても、私はあくまでも新入社員なわけだから、注文は普通のステーキ欄から(でもせっかくだからお高めを)選ぶでしょう、と思っていた。そしてとうとう最後に私の番が来た時、私の注文をしようとする言葉を うちのお偉いさんの衝撃的な一言がさえぎった。「その最後の1枚を注文しなさい」。
仰天して、耳を疑う私に、「遠慮しないで頼みなさい」と更なる余裕なお言葉。このお言葉が夢なのか、あのバブル崩壊が夢だったのか。私の長いブランクが嘘だったのか、不景気ニュースがガセなのか、ここには昔の接待習慣が健在していた。すると、じわーっと「経費で落ちるんですよね」という観念が蘇ってきた。
私のチョイスはあっさり変更され、そんなに強く勧められるなら、という建て前で、その最後の1枚のステーキを注文した。やっぱり年の功のためずうずうしさを抑えきれない新人社員。会社勤めも、いろんなタイプのベネフィットを考えると 辞められないもんですね。

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2009年6月号

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