Saturday, October 29, 2011

おいしい話 No. 34「移動ピザ釜」

ポートランドはユニークな人やお店が多い街だなあと、いつも思う。人々の個性が強く、誰が何と言おうとも、どういう評価をしようとも、自分が信じたことを貫き通す、という特徴があるように思う。世間体とか、こうあるべき、という型を無視した、はっきり言って、もろ自由人の集まり。そして、自分たちのやってる事やアイデアは クールでイケている、という確固たる自信。
その不動の自信はどこから来るのだろう、、、。こちらが、明らかに「?」と思うような事でも、あちらさんの自信満々のトークとアクションに、こっちまで呑まれてしまうから不思議だ。

12月ともなると、町内のあちこちにクリスマスツリー屋さんが 空き地などに店を広げ始める。うちの二件先の空き地も、ある日クリスマスツリー屋さんと化して商売を始めていた。毎年ツリーを買って飾ってきたけど、今年はいいかなあ、なんて思ってたところに、引きずって帰れる距離にツリー屋さんができたもんだから、また今年もツリーを飾ろうか、という気になってきた。
日もすっかり落ちたある夕方、ハビーと二人でツリーの買い物に繰り出した。金網のフェンスで囲まれた小さな空き地内に、沢山のツリーがところ狭しと並べられ、色とりどりのクリスマスライトが、辺り一面、煩いくらいチカチカと飾れられていた。
ここは 一般の短期ツリー屋さんには見られない ちょっと変わった商いを広げていた。入り口を入ったところに 煌々とした照明付きのガラスのショーケースが置かれ、ガラス細工の何かが並べられていた。ナンだろうこの鮮やかな色の丸い物達は、と覗き込むハビーと私。
「ハロー ガイズ!それは地元のアーティストが作ったガラスのクリスマスオーナメントだよ!」と元気な声が横から聞こえた。声のする方に体を起こして目をやると、パーカーにジーンズ姿のお兄ちゃんが、バックグラウンドに流れるロックに乗りながら、大きな台の上で何かをこねていた。
この大きな台とは、貨物トラックの平らな荷台のような物で、タイヤが付いており、その上にはミニチュア版鎌倉のような、穴の開いた、こん盛りとしたものが乗っていた。ただそれは、雪ではなく土で作られており、中にはゴウゴウと火が燃えていた。
「ピザだ!!」とハビーが狂喜を発する。パーカーのお兄ちゃんがニンマリ笑顔で答える。私は「出た」、と 心の中で一声をあげる。

並べられたツリーの間を縫い、品定めをしている私の後を小走りに追いながら、ハビーが耳打ちをしてくる。「いやー、あのピザはなかなかおいしそうだよ。どうだい、ひとつ今夜はピザをディナーにするってのは。」
そこにツリーの向こうから お兄ちゃんの声が。「ツリーは20ドル。でも 値段交渉、大いに受けるよ!」
それなら、ということで、値切り担当の私は、選んだツリーを掴んで、「ピザも買うし、ツリーも小さいから、15ドルにして」と頼む。ロックにノリノリのお兄ちゃんは、あっさりOKを出す。しまった、10ドルと言えばよかった、と舌打ちする私。背後から、ハビーが嬉しそうに顔を出す。
さて、どんなピザが好きかい?と聞いてきたが、メニューがない。どんなピザがあるのかい?と聞き返すと、なんでもできるよ、ベジタブルでもミートでも!と返ってくる。「何が好きかい?」「ベジタブルもミートも好きなんだけど、、、。」「オッケー、君たちが好きなのが完璧にわかった。僕に任せて!」と言って、ピザの生地をこね始めた。
どういうこと?と思っている私の横で、ハビーは興奮気味。楽しみでしょうがない、という風だ。
一見怪しいが、ようく見ると、ピザ生地や釜、ピザを出し入れするシャベルみたいなヘラも本格的だし、出来たピザを取り出して切るまな板もマーブルだったりする。手作りのソースも釜に入れた後、甘く香ばしい匂いを放ち始めた。

12月25日が過ぎた後、このお兄ちゃんはどうするのだろう。この空き地で、ツリーをとっぱらった後も、ピザ屋として商売を続けるのだろうか。それとも新たな地を求めて、この釜を引っ張って旅にでるのだろうか。

降り始めた雨のせいか、電気がショートを起こし、突然回りの華やかだったライトが消え、ロックの音楽も止まった。私たちのピザが入った釜だけが、オレンジ色の火を上げて 暗闇に浮き上がった。
お兄ちゃんは 焦りもせず、ま、こんな事もあるもんさ、という態度で直し始めた。私にはありえない人生観とイディオロジーを持った人達。そんな人達が、ポートランドには溢れているように思われる。

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年1月号

Sunday, October 23, 2011

おいしい話 No. 33「カオソイを尋ねて三千里」

人間というのは 自分の欲求を満たすために 果てしない努力をするものだ。人々はキャリアで成功して裕福な生活ができるようにと、日夜働きまくる。スポーツ選手は優勝のメダルを手にいれるために、永遠とも思われる練習に励む。幼い頃に母を失くしたマルコは、その母と再会を果たすまで、諦めることなく 苦難の旅を続ける。うちのハビーのカオソイ探しも、似たようなもんである。

真のカオソイをアメリカで見つけるまで、彼のそれを追い求める過酷な旅は終わらない。
タイ滞在中に、生涯に食べたことのないある料理に出会ったハビーは、帰国してからも、もう一度その一品に出会うために、なんとか本物に近い味をここアメリカで見つけるために、その探求の旅を始めた。
ハビーと出会った頃、幻のタイ料理の話してくれた。ヌードルスープなのだけど、普通のヌードルスープじゃない。カレーの味がするけれども、タイカレーでもないし、カレーうどんでもない。揚げた麺がのっかっているけど、もちろん 九州名物皿うどんでもない、と。私には その一品の想像がつかなかった。
アメリカではカオソイKhao SoiはPad Thai NoodleやGreen curryのように普及しておらず、タイレストランで見つけることはほとんど皆無だ、と当時のハビーは嘆く。通常Pad Thai NoodleとGreen curryしか頼まなかった私は、彼の悲痛な嘆きが全く伝わってこなかった。

そんな中、シアトルのBroadwayにある「Noodle Studio」(現在閉業)でカオソイがメニューにあるのを見つけた。アメリカで初めて見つけた!! そして、やっと私に伝説のその一品を見せることができる!ということで大興奮のハビー。運ばれてきた器に、こんもりと盛られた揚げヌードルを見てニンマリ。その喜び様は ヨダレが口の端から飛び出しそうな勢いだった。
箸をカレー色したスープにつっこんで掻き混ぜると中から卵麺が姿を現した。ズズズとスープをすすった後、ちょっと口をへの字に曲げながらうなずく。ズズズと麺をすすった後も またちょっと口をへの字に曲げてうなずく。「Yeah, it’s okey。 yeah, it’s okey。」を繰り返すハビー。私も片方の眉を吊り上げながら、味見の手を延ばす。なんとも説明できない味がした。
アメリカでカオソイを見つけることができたのは非常にナイスではあるが、何かが「Not quite right」だったようだ。
同じくBroadwayにあるRom Mai Thaiは、シアトルに住んでいた時の私のお気に入りのタイレストラン。アメリカでの カオソイとの初めての出会いに不完全燃焼なハビーは メニューに載っていないが、そこで働いているタイのお兄ちゃんに聞いてみた。すると、「もちろん知ってますよ。あなたのために特別に作ってあげましょう!」と軽快な調子でオーダーを取ってくれた。大喜びのハビーだったが、彼の情熱とは裏腹に、私はやっぱり その料理と味に強い印象は受けなかった。したがって、一緒になって追いかけ続ける思いなど生まれてこなかった。

ポートランドに移ってきて、暫くたったある日、パーフェクトなカオソイを見つけた!とハビーが大騒ぎで家に帰ってきた。DivisionにあるPok Pokがタイで食べたのと非常に近いカオソイを作るというのである。もうその頃には、カオソイと鼻息荒く語られても何のことを言っているのか、忘れていた私。
しかし、一度Pok Pokのカオソイを食してからは、まるでそのヌードルスープに初めて出会ったかのごとく、一揆に恋に落ちてしまった。そして ハビーの三千里の旅の後についていくようになってしまった。
Pearl districtのPeem Kaewのカオソイのスープはかなりいい味を出していたが、Pok Pokのように鶏肉を骨ごと煮込んだような深さが足りない。AlbertaのOne Thaiはスープが足りなく、麺が卵麺ではない。揚げ麺が多すぎてもダメだし、スープが少なすぎてもだめ。鶏肉は骨ごと時間をかけてスープと一緒に煮込まれてないとだめだし、カレー風味が強すぎてもだめ。
完璧への厳しい探求は続く。
同じくAlbertaのThai Noonはよく行くのに見かけたことがないと思ったら、オフメニューで注文があれば作るとか。高くて近寄らなかったSaim Societyもその一品をメニューに乗せていることを確認。BeavertonにあるRama Thaiの評判は高く、驚いたことにダウンタウンのSauseboxでも見つけることができる。
現在の時点で、Pok Pokが彼の言う本物の味に一番近いものを出しているとか。それでも「Not quite right」な評価を下す彼の旅は、果てしなく続いていく。

Kiki




Posted on 夕焼け新聞 2009年12月号

Thursday, October 20, 2011

おいしい話 No. 32「魔法の煮込みハンバーグ」

昔一緒に住んでいたルームメートが時々作っていた煮込みハンバーグが 突然、無償に食べたくなった。彼女のハンバーグは、1個でお腹いっぱいになるジャイアントサイズで、何をどうやっているのか 私が過去に作ったハンバーグより柔らかく、お箸で割ると 肉汁がじゅわーっと出てくる。そうとう煮込んでいるとみられるデミグラスソースのような洋風ソースは、こってりまろやか、ご飯が進む進む。
当時、彼女が台所に立って、この煮込みハンバーグに取り掛かっている時は、ろくに注意も払わず、カウンターの端にひじを乗せ、ワインを飲みながらボーイフレンドの話やゴシップを捲くし立てていたもんだから、作り方なんぞ 知る由もなかった。
アメリカにはデミグラスソースの缶が売られていない、とか ココアパウダーが隠し味なのだよ、驚きじゃない?とか 言っていたが、出来上がりを待つのみの私は ふ~ん、と相槌をうちながら、右から左だった。
彼女が遠い街に引越ししてしまった今、XXちゃんの煮込みハンバーグが食べたいなあ、なんて甘えても 作ってもらうことはできない。この収まるところのない欲求を満たすには、自分で取り掛かるしかない。ということで 彼女に緊急メールを発信した。
求む:煮込みハンバーグのレシピ。

翌日、彼女から 返信メールでレシピが送られてきた。こっそりそれを会社のプリンターで印刷し、仕事の帰りにマーケットに直行した。まずは ハンバーグの材料から、と ショッピングカートを押して 精肉コーナーに。分量を確認するために 例のコピーをかばんから取り出して開いた。「ハンバーグの材料:牛&豚 挽肉、玉葱、にんじん(お好み)、ニンニク(お好み)、卵、パン粉、牛乳。」分量が書かれていない。「煮込みソースの材料:ケチャップ、中濃ソース、赤ワイン、デミグラスソース(なかったら無糖ココアパウダー)、マヨネーズ、水、トマトピューレ、チキンブイヨン、塩コショウ。」ここにも分量は一切書かれていない。紙を握る手のひらに ジワリと汗がにじみ出た。
とにかく、大量に作ってお弁当用に保存するつもりでいるから、挽肉は大目に買っておこう、と判断し、牛と豚を合わせて2LB包んでもらう。だいたいの材料は家にあるけど トマトピューレがない。トマトソースのコーナーに行くと、「トマトペースト」はあるが「トマトピューレ」が見あたらない。「ペースト」と「ピューレ」の違いはなんなんだろう。しばらく悩んだが、「同じようなもんだ」という結論を出し、カートに入れる。「中濃ソース」ってどういう意味だろう。それって「とんかつソース」と同じようなもんだろうか。とんかつソースなら家にあるんだけど。ということで、これも代用決定。

家に帰って エプロンを掛け、材料を並べ、まずはハンバーグから、と例のコピーをまた取り出した。「普通のハンバーグの作り方と最初は同じ。作ったら、、、」と、彼女の作り方手順はそこから始まっていた。

ハンバーグってどうやって作るんだったっけ、、、。

一瞬硬直した私の体から手が伸び、電話を掴む。「あのさあ、みじん切りにした玉葱って炒めるんだったけ?」「う~ん、たぶん炒めると思う。私は面倒くさい時はそのまま入れちゃうけどね。」「パン粉ってどのくらい入れるの?」「う~ん、適当かな。」「煮込みの調味料はどのくらい入れるの?」「う~ん、それも適当かな。味を見ながらちょっとつづ入れていくと わかるよ、自分で。」
彼女の作り方手順は、ケチャップとソースは半カップぐらいかな、とかココアパウダーは2、3杯か もうちょっと、とか、ブイヨンは2個ぐらい、とか、アバウトな目安で最後まで通されていた。
「30分くらい煮込んだ後に、バターと小麦粉で炒めた玉葱とマッシュルームのスライスを追加して更に30分煮込む。」そして、「多分、こんな感じ。」と締めくくられていた。料理の経験があり、想像力豊かな人しか作れないようなレシピだ。私の唯一の頼みは、彼女の煮込みハンバーグを愛した我が舌のみ。あの味にむけて味見をしながら教えられた調味料を鍋に投げ込んでいく。

1時間後、2日くらい煮込んだのではと思われるような こってりソースの柔らかい煮込みハンバーグができあがった。あんなに適当に作ったとは思えない出来ばえに大感激。なんて大雑把で、簡単で、見た目が豪華な煮込みハンバーグなんだろう。そうかあ、だから彼女も 一緒になってワインを飲み、私のゴシップに大いに同調しながらも、余裕でこの料理ができたわけね。


Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2009年11月号

Sunday, October 9, 2011

おいしい話 No. 31「結婚と恋愛」

昔 もう何年も嫁に行ける機会も、暖かく心の広いオファーもなく、行き送れのレッテルを貼られ、自分は欠陥商品だと思っていた独身の頃、ありえないようなドラマチックな恋愛物語をよく夢想していた。障害に直面したり、トラブルに巻き込まれたりしながらも、最後には男前のお兄さんが現れ、そこからサラリと救い出してくれる。そして、当たり前のように恋愛が始まり、とんとん拍子に結婚に雪崩れ込む。
そんな夢を追いながらも、同時に、結婚したら恋愛はそこで終わる、とも思っていた。よく恋愛と結婚は別、なんて気取ったコメントをファッション雑誌なんかで見かけたりしたが、実は真実なんじゃないかと、冷静ながらも 半分脅されているような感覚で思っていた。
つきあっているボーイフレンドの話しをして盛り上がる独身女友達のことを羨ましいなあ、と思ったのは、たいがいその子が結婚式をあげて新婚旅行から帰ってくるまで。というのもボーイフレンドの話をする独身女の盛り上がり方は、勢いがあり、テンション高く、終わりがない。喧嘩をしただのなんだのと文句を言いながらも、イベントのプランは欠かさない。
しかし、あんなに恋愛に精を尽くし、盛り上がっていた女友達が、結婚という札を手にし、ハネムーンという壁をタッチして戻ってくると、テレビの前に横たわり、腹を掻きながら微動だにしない。ロマンチックで素敵だった王子様は、「うちの亭主」呼ばわりで、結婚前には聞くことのなかった欠点が延々と披露される。
こんなに独身人生が長いと、こういう現象を周りでみる回数も必然的に増え、早く独身おサラバしたいところだが、果たしてそれでいいのだろうか、という不安も間違いなく植えつけられた。結婚がゴールではない、という名言を吐いた人がいるが、実はゴールなのでは、と密かに思ったものだ。

そんな私もついにハビーと出会い、本当に100年待った気分で彼の白いタイツにしがみ付いた。あの手、この手を使いながら、やっと「めでたし、めでたし」で、本を閉じるところまできた。
さて、ここから、「ずーっと 幸せにくらしたそうな」というのを実現するにはどうしたらいいのだろう。
マリッジライセンスにサインをしてから早数年経つが、別ものとされている結婚と恋愛をブレンドするのには、かなりの努力が必要だ。ゴールのはずが、休んでいられない。継続は力なり、そして 愛なり!
私が思うに、夫婦で食事を一緒に取ることが、ひとつの秘訣じゃないかと。人間が生きるために、欠くことのできないのが食事であり、美味しいものを食べると至福の時を感じる。そして恋愛中のデートには、必ず、このひと時がプランに入っているではないか。

先日ハビーと仕事の後、待ち合わせをしてバーで一杯飲んだ後、チャイナタウンにあるPingという居酒屋風アジア料理の店に行った。ちょっとタイ料理の傾向がありながら、串焼きなんかもあり、ガラクタ屋から収集してきたような昭和レトロのオブジェやポスターなど、懐かしい感じのお店だ。おしゃれなんだけど、高架下のイメージで、最近の私のお気に入りである。
私のお気に入りということは、もちろん皆のお気に入りということで、木曜日の夕方とは言え、満員御礼がでていた。開いている席がないと言われ、口を尖らせながら恨めしげに店内を見渡すと、友人カップルが窓側の席に座っているのが目に入った。
すかさず駆けつけ、どうしてるんだ、と尋ねたら、ダウンタウンで働いている彼女が引けるころに、ビーバートンで仕事を終えた彼が、バスに乗ってにやって来て、一緒にご飯を食べに来た、というではないか。以前私が、Pingに来たら絶対飲むようにと、熱く語って勧めた芋焼酎のグラスが二人の手にあった。結婚8年目のこの夫婦、私に希望を与えてくれた。第一に 明らかに会話があり、新しい物に興味がある。そして 美味しいものを食べるという至福の時を喜んで分かち合っている。
ゴールだとか、別ものとか、そこに区切りや境をつけようとせず、出会った頃から継続していくもの、という捕らえ方をしたら、時間や食事をシェアしていきたいという気持ちも変わらず在り続けるのではないかな。花火のような盛り上がりの熱は下がったとしても、床暖房のように、変わらず、心地よい暖かさのある恋愛が、結婚の中に生存するはず。
結論:釣った魚と一緒に餌を食べるべし。

Kiki


Ping
102 NW 4th Ave.
Portland, OR 97209


Posted on 夕焼け新聞 2009年10月号