Sunday, March 6, 2016

おいしい話 No. 104「家族への思い」

うちに来る日本の週刊誌を読んでいると、認知症に関する記事が多い。ほとんど何らかの形で毎週のように取り上げている。現代の日本では、認知症は深刻な国民の健康問題なのだということが 伺える。
そして 友人や知人から両親や親戚の人などが、認知症と診断された、またはその気配あり、などという話を聞くと 週刊誌の記事が とても身近な事として感じる。ここで、海外に住んでいる日本人の私達が、日本にいる家族、特に両親が認知症やその他の病気になった時、看護に関してどういう対応をすべきか、深刻な悩みとなるはず。もし私の両親が生きていたら、そして もし看護を必要とする病気になっていたら、ここにいる私はどういう選択をするだろう、と自分に立場を置き換えててみたりする。
3年前に郷里に帰った時、伯母を訪ねた。この伯母は母の姉で、私が物心付いた時から独身で一人暮らしをしていた。歩いて行ける距離に住んでいた伯母の家に、私は子供のころから一人でひょこっと訪ねては、テレビを見て、お菓子を食べて、たまに晩御飯も食べて帰ってくる、という事をしょっちゅうやっていた。定年までお茶の会社で終身雇用を全うし、お花とお茶を嗜めていた。着物が好きで、私の成人式用の着物も母に付いて来てくれ、アドバイスをくれたり、結婚式に呼ばれる度に、着付けをしてくれたりした。嫁入り前の女性なら お茶やお花の最低の作法ぐらい知っておく必要があるという母の押しで、20代になってからは 伯母の家に特別に作られたお茶室で お茶のお稽古を受け、活花を習った。
私はある時、気が付いた。私は伯母とこうやって交流を続けていたのは、子供ながらに、独り身の彼女を気遣っていたところがあるのだと。
伯母はよくお花の展覧会や、カジュアルなお茶会に連れて行ってくれた。その後、一緒にお茶をしたり、ご飯を食べたりするのが、彼女にとっての楽しみである事を知っていた。私が大好きなお寿司やさんにも、年に1度、連れて行ってくれた。それは 私がアメリカに移って、時々帰省しても継続される行事だった。
数年前、その伯母が転んだと兄から知らせを受けた。その時に足腰を痛め、そこから元気だった伯母が 見る見る健康状態を失って行った。
3年前に帰った時、伯母の家は すっかりベッドが中心の部屋に模様替えされていた。あの燐としていたお茶室も、物置に変わっていた。
伯母はデイケアーのサービスを受けるようになっていた。ヘルパーさんに 週に何回か来てもらい、食事を作ってもらい、お風呂に入れてもらい、掃除、洗濯をしてもらう。伯母はすっかり年老いていた。あまりの変わりように 私は ショックを受けた。それでも 伯母は私とお寿司を食べに行く事を楽しみにしていて、ゆっくり時間を掛けながら着替えをし、ソックスを履いた。タクシーを伯母の家まで呼び、杖を突きながら歩く伯母を支え、一緒に出掛けた。
3年ぶりに帰った今年も、伯母を訪ねた。伯母はほぼ寝たきりの状態になっていた。「よく帰って来たね。ごめんね、おばちゃんねえ もう一緒にお寿司行けないよ。」なんとか起き上がり、クッションを背にもたれかけ、ベッドに座る伯母は とても小さく見えた。「これで おばちゃんの分も美味しいお寿司を食べておいで。」小袋に入った1万円札をそっと手渡してくれた。
動けなくなるってこんなに 人間の身体を弱くしてしまうんだ。健康に気を付けていても事故で身体を痛めたら、年老いた身体が元の状態に戻るのは容易ではない。これで認知症が同時に発生したりしたら、伯母は独りでどうやって生きていくのだろう。伯母に対してこんな風に気がとがめるのであるから、実の両親との間だと どんなに辛いだろう。
そんな想像をして心を痛めている間、伯母はヘルパーさんが用意してくれたカレーライスを ぺろりと全部平らげた。薬も、どの薬を食後に飲んで、どの薬を食間に飲んで、と説明してくれる。週の何曜日の何時から どのヘルパーさんが来てくれる。先週どのヘルパーがさんが来てくれて、何をしてくれたか、洗濯物を箪笥のどの引き出しに入れてくれたか、など、すごい記憶力を披露するではないか。身体の衰えとは別に、頭はとてもしっかりしている。私の方がよっぽどヒドイ。長年飲んで来た抹茶のせいか?(週刊誌の記事に、お茶が認知症に良いと書いてあった。)少し安心した。
「毎年クリスマスカードを送ってくれるよね」と、伯母が言った。きっと英語の住所を書けないから 伯母から返事が来た事は一度も無く、もう今年はいいかな、なんて思っていた所に、実はとても楽しみにしている事を 始めて知った。私はまたアメリカに戻り、今度は何年後に帰省できるかわからない。でも 伯母が元気な限り、私からだと認知できる限り、クリスマスカードを送り続けなくては、それが遠くに暮らしている今の私が 唯一出来るケアだと思った。




Posted on 夕焼け新聞 2016年1月号

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