会社に勤めていても、フリーランスで仕事をしていても、相手が雇う側でも こちらが雇う側でも、仕事相手とランチやディナーを共にする機会がある。新しいビジネスをスタートする時や、もうビジネスの交渉はできていて これから先の進み具合を計る時や、もっとプログレスが欲しい時、もっと生産率を高めたい時などに、会議室でのミーティングでなく、外での食事の場が選ばれる事が多々ある。
もうビジネスが長い関係なら、非常にカジュアルに出かけられ、たまには家族や子どもの事など、プライベートな話を織り込んだリラックスした会話ができるが、まだ初期の段階で、ビジネスに行き着くかどうか、売り込みの最中の場合は、そうカジュアルにはいかない。
カジュアルな店を選び、自分がどれだけ 型にはまらない、フレキシブルな人間かをアピールすることができるが、フォーマルな店を選び、自分がどれだけコンサバティブで、きちんとしたビジネスマインドを持っているかをアピールすることもできる。または、最近浮上してきて、注目を集めている店を選び、自分が流行に敏感で、それをすばやくキャッチする鼻が利くことをアピールすることもできる。
でもここで気をつけたいのが、その最近流行りの店の人気度を把握する、ということ。自分と同じ鼻利きと自負する人間が 他に五萬といる場合、ビジネスミールの機会は Disasterとなる。
仕事を取り付けるまでには これから まだまだ時間がかかり、さまざまな段階を踏んでいかなければならない場合、当たり障りのない軽い昼食が好まれるわけだが、最近流行りのヒップな店だと、たとえランチでも、その流行度合いによって問題が発生するわけだ。
例えば、シアトルで近年開発が進んでいる South Lake Unionのエリアにある注目の「Portage Bay Café」。予約を取らないので、待ち時間が30分から40分、最終的には 1時間待つ事になりかねない人気店。
今街でBreakfast & Lunchといえばここだ、という大層な前触れをされると、 招待された方の期待度は高まる。せっかく来たんだし、30分くらい待てる、ということでレジの周りやら、外の歩道で他の先客たちと待つ。招いた方は ちとバツが悪いが、招かれた方も 今さら引っ込めない。相手を立てる上でも 待てると言いきるしかない。
さて、この待ち時間がだんだん気不味くなってくる。ただぼーと無言で突っ立っているわけにはいかないので、カジュアルな会話をお互い投げあう。10分ほどで、最初の“Get to know each other”的な質問は尽きる。次に、レストランの特徴や設立、オーナーのユニークな逸話など、知ってる限りの話題を提供する。「Portage Bay Café」の食材のほとんどがオーガニックで、地域のオーガニック農場から直接仕入れをしているんだ。とにかく ここのレストランの料理は、安心して体に取り入れることができるんだよ、とひとしきり語った後は、フロントのホストのお姉さんにメニューを借りる。どれもおいしそうだねえ。迷っていまうよ、どれがお勧めの品か、などと メニューに食入る。ケージフリーのオーガニックの卵の、オムレツもいいが、フルーツバーで 色々なオーガニックのフレッシュフルーツを自由にトッピングできる フレンチトーストやパンケーキもいいねえ。
30分が経過しても、まだ名前は呼ばれない。注文するミールもすでに決まった。店内を、小さな欠片でもいいから 次の話題のきっかけとなるもはないかと、頭をぐるぐる回して探す。そしてここで、やむなく本来の目的である商談が始まる。
この押し合い圧し合いしている入り口のドア付近で、立ったまま、仕事に関する質問が始まる。雇う側は、相手の経験やプロぶりを計り、どれだけ 関連する事業に精通しているかを見定め、利益生産としての可能性を見出すような質問を投げる。雇われる方は それらの質問に答えながら自分をアピールすると共に、雇い主の方の事業ぶりを逆に質問したりする。
やっと1時間後に名前を呼ばれ、向かい合って席に着いた時には、何も話す事がない状態になっている。もうここで話せる話題とは、料理のおいしさと、一皿の量の多さだけである。無言の間が ビジネスの進展に危機を与えかねない。
外に出て、じゃあ例の書類忘れずに送ってよ、なんて言いながら、別れの挨拶とする。ちょっと下降気味だったテンションを上げるかのごとく、異様に力強い握手を交わす。
ビジネスの成功の行方は知れずとも、「Portage Bay Café」で食事ができたという事実だけは、その日の大きな収穫となることは間違いない。唯一つ、ビジネスマンとして、メモ書きを忘れないで欲しいチェック事項である。
Kiki
Portage Bay Cafe
South Lake Union
391 terry ave n
seattle 98109
206.462.6400
Posted on 夕焼け新聞 2010年9月号
Thursday, December 29, 2011
Friday, December 23, 2011
おいしい話 No. 41「クチコミの威力」
ポートランドでは わかりやすい繁華街の中や、ヒップで注目のエリアでなく、「こんなところに??」と思うような場所に レストランや バーを見つけることが多々ある。住宅街の中に一件ぽつんと看板を出していたり、ここは立地条件悪いでしょ、と思うような忙しい、または全く忙しくない交差点付近に小さなドアを構えていたり。まさに「クチコミ」という伝がないかぎり、商売なりたたないように見える場所にある。
そういうお店は、たいがい、その存在感もはっきりせず、通りから中の様子がわからない作りになっている。営業しているのか、していないのか。客が入っているのかいないのか。中の様子が外からでは まるでイメージできない。ドアを押して 一歩踏み入れるのはとても勇気のいることで、ガラ空きで従業員が退屈していたり、居心地の悪い客層だったりしたら、もうどうしようもなくなってしまう。それゆえ、誰か もうすでに行ったことのある人の推薦状と、その推薦者本人同伴でないと、なかなか行きにくいのである。
しかし、しかし、こういう、ビジネスをするには立地条件の悪そうなところにあるお店は、ユニークで個性的な特徴を持っていることが多い。店の小さな表構えとは対照的に奥行きが広かったり、かわいらしいガーデンパティオが裏庭にあったり。どうしてまた こんなに沢山の客がこの店のことを知っているのだろう、と不思議に思うほど店内が賑わっていたり。おしゃれでセンス溢れる内装だったり。 表からはまったく想像がつかない、いきいきとした雰囲気がクリエイトされていたりするのだ。一種の隠れ家的な要素と、他に知られていない、という優越感が、一度来た客の心を掴むのだろか。
NEのMLK通りにある「ALU」もそんなお店のひとつ。交通量の多い直線の道路の脇に立ち並ぶ建物の中に ある日突然看板が立った。車で通り過ぎる際に目をやっても、「ALU」という文字だけで、何のビジネスかは、わかりにくかった。人の出入りを見ることもなく、中の様子が見て取れるわけでもなかったので、少しの興味はあるものの、毎日の通勤で 目をやるだけで終わっていた。
そんな時、クチコミが私のところにも回ってきた。実はワインバーらしく、ワインにあったしゃれた料理も出す、とか。すでに何回か行ったことのある友人が、一緒に行こうと誘ってくれた。同伴者獲得!ということで ある日の夕方訪れてみた。
私の車窓から見たイメージでは、外に階段があり、それを上がった二階に入り口がある、と思いこんでいた。店の前で待ち合わせをした友人が、「さて、階段は、と、、、」と、どこかに行こうとしている私を引きとめ、「ここから入るのよ」と、ずーっと ガレージの入り口だと思っていたグレーのシャッターを指差した。そしてそのシャッターはガラガラと上に引き上げる戸ではなく、映画などで、隠し部屋に入る時に見る仕掛け扉のように、その戸を押すと回転して開くのだ。何回か来たことのあるこの友人がいなければ、入店は不可能だったと言い切れる。
一歩踏み入れると、美しいインテリアで施されていた内装が、外の世界を瞬間に忘れさせる。古いヨーロッパ調のソファーとテープルがゆったりと並べられ、落ち着いた照明がそれらを照らし、ビロードの朱色がきらめいていた。
二階に続く階段を上がると、カジュアルだけど落ち着いたダイニングエリアが広がる。バーを横切り、裏口にある扉を抜けると、パラソルとテーブルを並べた ガーデンパティオがあった。
誰があのシャッターの奥に、こんな世界が広がっていると想像するだろうか。
こうやって 賑やかにパティオでワイングラスを傾けて楽しんでいる人達も、クチコミ、同伴がなければ、ここの存在を知る由がない。
ここで私の関心が向けられたのは、一見レストランやバーとしては利益を得られそうにない物件を選び、設備投資をするオーナー達だ。彼らのビジネスに対する決断力と大金をつぎ込む肝っ玉の太さである。このオーナー達が、20代後半や30代前半だったりするから、もっと驚く。そして それが彼らのクールなところなのか、決して飲み放題の旗を振ることもなく、派手な電飾を外装のいたるところに施すこともなく、あくまでも ひっそり感をキープしている。
こういうタイプの店は、人々の話題にならず、半年や1年以内で消えていくのも多いが、クチコミ効果が高まり、雑誌に取り上げられるようにまでなり、さらに商売繁盛に繋がっている店もある。
なんにせよ、結論は、「お客様は神様です」。良いお口で語ってもらうには、店も人間も内側のプレゼンテーションが大事ということなのね。
Kiki
Alu Wine Bar and lounge
2831 NE ML King Jr. Blvd.
Portland, OR 97212
(503) 262-9463
Posted on 夕焼け新聞 2010年8月号
そういうお店は、たいがい、その存在感もはっきりせず、通りから中の様子がわからない作りになっている。営業しているのか、していないのか。客が入っているのかいないのか。中の様子が外からでは まるでイメージできない。ドアを押して 一歩踏み入れるのはとても勇気のいることで、ガラ空きで従業員が退屈していたり、居心地の悪い客層だったりしたら、もうどうしようもなくなってしまう。それゆえ、誰か もうすでに行ったことのある人の推薦状と、その推薦者本人同伴でないと、なかなか行きにくいのである。
しかし、しかし、こういう、ビジネスをするには立地条件の悪そうなところにあるお店は、ユニークで個性的な特徴を持っていることが多い。店の小さな表構えとは対照的に奥行きが広かったり、かわいらしいガーデンパティオが裏庭にあったり。どうしてまた こんなに沢山の客がこの店のことを知っているのだろう、と不思議に思うほど店内が賑わっていたり。おしゃれでセンス溢れる内装だったり。 表からはまったく想像がつかない、いきいきとした雰囲気がクリエイトされていたりするのだ。一種の隠れ家的な要素と、他に知られていない、という優越感が、一度来た客の心を掴むのだろか。
NEのMLK通りにある「ALU」もそんなお店のひとつ。交通量の多い直線の道路の脇に立ち並ぶ建物の中に ある日突然看板が立った。車で通り過ぎる際に目をやっても、「ALU」という文字だけで、何のビジネスかは、わかりにくかった。人の出入りを見ることもなく、中の様子が見て取れるわけでもなかったので、少しの興味はあるものの、毎日の通勤で 目をやるだけで終わっていた。
そんな時、クチコミが私のところにも回ってきた。実はワインバーらしく、ワインにあったしゃれた料理も出す、とか。すでに何回か行ったことのある友人が、一緒に行こうと誘ってくれた。同伴者獲得!ということで ある日の夕方訪れてみた。
私の車窓から見たイメージでは、外に階段があり、それを上がった二階に入り口がある、と思いこんでいた。店の前で待ち合わせをした友人が、「さて、階段は、と、、、」と、どこかに行こうとしている私を引きとめ、「ここから入るのよ」と、ずーっと ガレージの入り口だと思っていたグレーのシャッターを指差した。そしてそのシャッターはガラガラと上に引き上げる戸ではなく、映画などで、隠し部屋に入る時に見る仕掛け扉のように、その戸を押すと回転して開くのだ。何回か来たことのあるこの友人がいなければ、入店は不可能だったと言い切れる。
一歩踏み入れると、美しいインテリアで施されていた内装が、外の世界を瞬間に忘れさせる。古いヨーロッパ調のソファーとテープルがゆったりと並べられ、落ち着いた照明がそれらを照らし、ビロードの朱色がきらめいていた。
二階に続く階段を上がると、カジュアルだけど落ち着いたダイニングエリアが広がる。バーを横切り、裏口にある扉を抜けると、パラソルとテーブルを並べた ガーデンパティオがあった。
誰があのシャッターの奥に、こんな世界が広がっていると想像するだろうか。
こうやって 賑やかにパティオでワイングラスを傾けて楽しんでいる人達も、クチコミ、同伴がなければ、ここの存在を知る由がない。
ここで私の関心が向けられたのは、一見レストランやバーとしては利益を得られそうにない物件を選び、設備投資をするオーナー達だ。彼らのビジネスに対する決断力と大金をつぎ込む肝っ玉の太さである。このオーナー達が、20代後半や30代前半だったりするから、もっと驚く。そして それが彼らのクールなところなのか、決して飲み放題の旗を振ることもなく、派手な電飾を外装のいたるところに施すこともなく、あくまでも ひっそり感をキープしている。
こういうタイプの店は、人々の話題にならず、半年や1年以内で消えていくのも多いが、クチコミ効果が高まり、雑誌に取り上げられるようにまでなり、さらに商売繁盛に繋がっている店もある。
なんにせよ、結論は、「お客様は神様です」。良いお口で語ってもらうには、店も人間も内側のプレゼンテーションが大事ということなのね。
Kiki
Alu Wine Bar and lounge
2831 NE ML King Jr. Blvd.
Portland, OR 97212
(503) 262-9463
Posted on 夕焼け新聞 2010年8月号
Sunday, December 11, 2011
おいしい話 No. 40「アメリカ食文化」
アメリカに来るまで 味わうことのなかった食べ物、飲み物というのが沢山ある。元彼が野球観戦の時に必ず手にしていた「ドクターペッパー」と「チリドッグ」、ホストのママに持たされたとクラスメートがランチとして持って来たた「ピーナッツバター アンド ジェリーサンドイッチ」、風邪を引くと魔法の薬のように出された「キャンベル チキンヌードルスープ」に、誰かの誕生日に呼ばれると必ず並べられている チョイスなしバタークリームのみ、カラフル カップケーキ。そして サンクススギビングのターキーに添えて出される「クランベリーソース」。あるお宅に呼ばれ、それが缶詰めから盛られたジェリー状の物だった時は 完全にデザートだと思っていた。
私にとっては、数々の衝撃的な出会いだったわけだが、アメリカ人の日常生活に普通に存在しているそれらの食品は、子供から大人まで愛され、アメリカの食文化となっている。その大雑把で、ストレートで、単一の味。一口トライする前にためらいの数秒、覚悟を決める数秒が必要だった。まあ 瞬間的に拒否反応を起こし、「あまり好みませぬ」という判定を下してきたわけだが、そんな大味食品の中でも「マカロニ アンド チーズ」は違っていた。
チーズ大好き人間の私は妙にハマってしまったのだ。あの Kraft ブランド Safeway価格1箱99セントに。マカロニと粉チーズのパウチが入っており、チーズをミルクとバターで溶かし、茹でたマカロニを混ぜるという代物。チーズ大好き人間と言いながらも、このチーズが 全くチーズと言いがたいほど粘りや糸引き感がない。ミルクをちょっと少なめに入れたり、バターを多く入れたりして「Thick」感を出そうと苦戦した。
たまに3箱で1ドルなどという激安セールに当たると、3箱買い、1箱分のマカロニに対して 2袋のチーズを贅沢に使ったりしたもんだ。
ベビーシッターをしていた7歳の男の子が、このチーズに たっぷりのミルクを入れてスープのようにして食べるのが好きなのを見た時は、眉をしかめずにはいられなかった。
ある日、元彼のステップマザー宅のBBQパーティーに呼ばれた時、そこで出されたホームメード マカロニ アンド チーズにえらく感動した。まず、Kraftブランドを使わず、ホームメードが出来ることに驚き、そしてその2種類のチーズをたっぷりと使い 粘りも濃さもよろしくできた味わいに、日本人ながらも家庭の温かみを感じた。
ESL中盤レベルの英語力で、レシピの説明の理解があやふやだったが、Safewayのチーズ売り場で、マカロニ アンド チーズが簡単にできるチーズのブロック売りを見つけた時は、ステップマザーはこれを使ったに違いない、と喜んだ。これもKraftブランドだったかは覚えていなが、3ドルくらいで、白と黄色の二種類のチェダー チーズがマーブル状に入り混じった塊。要するに バターとミルクで溶かせば あら不思議、簡単にマカロニ アンド チーズができる、という代物だった。チーズ好きの私は、小さいパウチの粉チーズをせこせこ使うレベルから グレードアップして、このチーズを惜しみなく使い、自分好みのどろどろの一品を作った。ホームメードの物とは程遠く、明らかに「Craft」な味がしたが、なぜか この大味にハマってしまった。
今はもうそれほど頻繁に食べることはないが、時々懐かしくなって食べたくなることがある。そんな気持ちになるのは、マカロニ アンド チーズをレストランなどのメニューでみる時だ。名前には懐かしさを感じるが、それを7ドル、8ドルで売っていることに対しては、いささか納得がいかない。
この間 行った 少々お高めのイタリアンレストランで10ドルの値段がついているのには目が点になった。が、身分不相応にもそんなところに行ってしまったものだから、頼みは 一番安いこの10ドルのマカロニ アンド チーズしかなく、小さい小山に上品に盛られたマカロニを、一つ一つ不甲斐無い思いで食べた。
ハビーに 断然Kraftより味が優れていてランクが上、と紹介された1箱3ドルのAnniesブランドが、懐かしい大味を楽しみたい時のレスキュー商品となっている。1箱茹でると、ボール二つの大盛りマカロニ アンド チーズができる。それをスプーンでごそっとすくって もぐもぐと食べる。ああ、私もすっかりアメリカの食文化に染まってしまったのね、と感じる一時。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年7月号
私にとっては、数々の衝撃的な出会いだったわけだが、アメリカ人の日常生活に普通に存在しているそれらの食品は、子供から大人まで愛され、アメリカの食文化となっている。その大雑把で、ストレートで、単一の味。一口トライする前にためらいの数秒、覚悟を決める数秒が必要だった。まあ 瞬間的に拒否反応を起こし、「あまり好みませぬ」という判定を下してきたわけだが、そんな大味食品の中でも「マカロニ アンド チーズ」は違っていた。
チーズ大好き人間の私は妙にハマってしまったのだ。あの Kraft ブランド Safeway価格1箱99セントに。マカロニと粉チーズのパウチが入っており、チーズをミルクとバターで溶かし、茹でたマカロニを混ぜるという代物。チーズ大好き人間と言いながらも、このチーズが 全くチーズと言いがたいほど粘りや糸引き感がない。ミルクをちょっと少なめに入れたり、バターを多く入れたりして「Thick」感を出そうと苦戦した。
たまに3箱で1ドルなどという激安セールに当たると、3箱買い、1箱分のマカロニに対して 2袋のチーズを贅沢に使ったりしたもんだ。
ベビーシッターをしていた7歳の男の子が、このチーズに たっぷりのミルクを入れてスープのようにして食べるのが好きなのを見た時は、眉をしかめずにはいられなかった。
ある日、元彼のステップマザー宅のBBQパーティーに呼ばれた時、そこで出されたホームメード マカロニ アンド チーズにえらく感動した。まず、Kraftブランドを使わず、ホームメードが出来ることに驚き、そしてその2種類のチーズをたっぷりと使い 粘りも濃さもよろしくできた味わいに、日本人ながらも家庭の温かみを感じた。
ESL中盤レベルの英語力で、レシピの説明の理解があやふやだったが、Safewayのチーズ売り場で、マカロニ アンド チーズが簡単にできるチーズのブロック売りを見つけた時は、ステップマザーはこれを使ったに違いない、と喜んだ。これもKraftブランドだったかは覚えていなが、3ドルくらいで、白と黄色の二種類のチェダー チーズがマーブル状に入り混じった塊。要するに バターとミルクで溶かせば あら不思議、簡単にマカロニ アンド チーズができる、という代物だった。チーズ好きの私は、小さいパウチの粉チーズをせこせこ使うレベルから グレードアップして、このチーズを惜しみなく使い、自分好みのどろどろの一品を作った。ホームメードの物とは程遠く、明らかに「Craft」な味がしたが、なぜか この大味にハマってしまった。
今はもうそれほど頻繁に食べることはないが、時々懐かしくなって食べたくなることがある。そんな気持ちになるのは、マカロニ アンド チーズをレストランなどのメニューでみる時だ。名前には懐かしさを感じるが、それを7ドル、8ドルで売っていることに対しては、いささか納得がいかない。
この間 行った 少々お高めのイタリアンレストランで10ドルの値段がついているのには目が点になった。が、身分不相応にもそんなところに行ってしまったものだから、頼みは 一番安いこの10ドルのマカロニ アンド チーズしかなく、小さい小山に上品に盛られたマカロニを、一つ一つ不甲斐無い思いで食べた。
ハビーに 断然Kraftより味が優れていてランクが上、と紹介された1箱3ドルのAnniesブランドが、懐かしい大味を楽しみたい時のレスキュー商品となっている。1箱茹でると、ボール二つの大盛りマカロニ アンド チーズができる。それをスプーンでごそっとすくって もぐもぐと食べる。ああ、私もすっかりアメリカの食文化に染まってしまったのね、と感じる一時。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年7月号
Friday, December 9, 2011
おいしい話 No. 39「カルパッチョ」
南国の海を目の前にして育った私は 新鮮な刺身を あたりまえのように週に3日は夕食で食べていた。どちらかというと焼き魚より 刺身を好む。生好きは 魚介類に限らない。社会に出て初めて連れて行ってもらった カウンターの回らない寿司屋で食べた新鮮生牛肉の握り寿司や、焼肉屋で食べたユッケは、魔法の食べ物のように私を虜にした。もう2度食べるチャンスはないと思われる鯨の刺身や馬刺しも、遠慮なく頂いたもんだ。生肉にまったく抵抗がない私は、焼肉も あんまり焼かない派で、ステーキも限りなくレアに近いミディアムレアを好む。
地元には似つかわない、とってもおしゃれなイタリアンレストランがオープンした時、「カルパッチョ」なる生肉料理があることを知った。それはフグ刺しよりも薄いのではないかと思われる薄さにスライスされた生肉を、フグ刺しのようにお皿に敷き詰めて、オリーブオイル、レモン汁、塩コショウなどでシンプルに味付けされた一品である。私の中で その美味しさは ユッケに続く衝撃があり、あれっきりのカルパッチョ、と心に残ったままだった。
シアトルの「Machiavelli」というイタリアンレストランで 数年ぶりにカルパッチョとご対面をした。カルビ二切れ分に相当するのではないかと思われるほとの薄切り肉が皿に広げられているわけだが、お値段はカルビ二切れ分なわけはなく、その当時、一皿9ドルから12ドルくらいした。そんなわけで、友達とシェアなんかすると、あっという間に消えてなくなる。本当は、自分だけに一品注文して まるでフグ刺しを豪快に食べる人のように、皿の上にフォークを走らせ、肉をかき集めて食べたいところなのだが。
それから後に、「Wasabi Bistro」で ハマチやマグロなどの和風カルパッチョを味わった。刺身用に切られた自分のチョイスの魚を ポン酢ベースのソースで頂く。軽くハラピーニョのみじん切りが振られていて ニンニクやわさびと違うピリ辛感があり、これまた虜になった。ここもまた 一品12ドルほどしたように思う。大きくなって 出世したら 一品まるまる自分で食べるんだあ!と 心に誓ったものだ。
あれから 数年、すっかり大きくなって、出世した私は、ふと舌がカルパッチョを求めていることに気がついた。イタリアンレストランに行く度に、前菜あたりでカルパッチョ、正しくはCarpaccio、を探したが、以外になかなか作っている店がないことに気が付いた。イタリアンレストランと名を出しておいて、カルパッチョを置いてないとは、どういうことだ、と憤慨していた。魚バージョンでもぜんぜんいいのに、と思っていたが、フュージョン系の店や寿司屋でも見ることがなかった。
友達とハッピーアワーに行こうよ、と話しているその電話口でぐずった。「カルパッチョが食べたい。」
友達が「あそこは?ここは?」と知ってる限りのポートランドのイタリアンレストランの名を挙げた。カチャカチャとコンピューターのキーボードを叩き、検索をしたが、掲載しているメニューでCarpaccioの文字を見つけることはなかった。私のクズリ度が高まる。
困り果てた友達が、「“カルパッチョ”で検索しなよ」と一言。まさに盲点をついた名案だ。興奮するその勢いでカルパッチョの綴りを叩いた。
出てきた、出てきた。ポートランドダウンタウンエリアでカルパッチョが食べられる店3軒が現れた。
その中の一件一件のメニューをチェックしていた私の心が躍った。Bastas Italian Restaurantはカルパッチョがハッピーアワーのメニューにあり、なんと5ドルではないか! しかも平日で5時から11時までという、型破りなハッピーアワー。5時に仕事が終わって、5時半にはお店に着いて、6時半のハッピーアワー終了までに しっかり注文するぞ、という通常のあせった体勢ではなく、余裕で臨めるわけだ。
テーブルに着いた私は、メニューを手に友達に一言、「カルパッチョ、一皿 一人でいかせてもらいます。」やっと念願の日が来た。一人でフグ刺しをさらうようにカルパッチョを食べられる日が。5ドルという値段が私の心から罪悪感を消してくれる、というのが実情の出世街道を行く私。少々薄っぺらではあるが、味のあるカルパッチョに魅せられている今日この頃だ。
Kiki
Bastas Trattoria
Italian Restaurant & Bar
410 Northwest 21st Avenue
Portland, OR 97209-1104
(503) 274-1572
Posted on 夕焼け新聞 2010年6月号
地元には似つかわない、とってもおしゃれなイタリアンレストランがオープンした時、「カルパッチョ」なる生肉料理があることを知った。それはフグ刺しよりも薄いのではないかと思われる薄さにスライスされた生肉を、フグ刺しのようにお皿に敷き詰めて、オリーブオイル、レモン汁、塩コショウなどでシンプルに味付けされた一品である。私の中で その美味しさは ユッケに続く衝撃があり、あれっきりのカルパッチョ、と心に残ったままだった。
シアトルの「Machiavelli」というイタリアンレストランで 数年ぶりにカルパッチョとご対面をした。カルビ二切れ分に相当するのではないかと思われるほとの薄切り肉が皿に広げられているわけだが、お値段はカルビ二切れ分なわけはなく、その当時、一皿9ドルから12ドルくらいした。そんなわけで、友達とシェアなんかすると、あっという間に消えてなくなる。本当は、自分だけに一品注文して まるでフグ刺しを豪快に食べる人のように、皿の上にフォークを走らせ、肉をかき集めて食べたいところなのだが。
それから後に、「Wasabi Bistro」で ハマチやマグロなどの和風カルパッチョを味わった。刺身用に切られた自分のチョイスの魚を ポン酢ベースのソースで頂く。軽くハラピーニョのみじん切りが振られていて ニンニクやわさびと違うピリ辛感があり、これまた虜になった。ここもまた 一品12ドルほどしたように思う。大きくなって 出世したら 一品まるまる自分で食べるんだあ!と 心に誓ったものだ。
あれから 数年、すっかり大きくなって、出世した私は、ふと舌がカルパッチョを求めていることに気がついた。イタリアンレストランに行く度に、前菜あたりでカルパッチョ、正しくはCarpaccio、を探したが、以外になかなか作っている店がないことに気が付いた。イタリアンレストランと名を出しておいて、カルパッチョを置いてないとは、どういうことだ、と憤慨していた。魚バージョンでもぜんぜんいいのに、と思っていたが、フュージョン系の店や寿司屋でも見ることがなかった。
友達とハッピーアワーに行こうよ、と話しているその電話口でぐずった。「カルパッチョが食べたい。」
友達が「あそこは?ここは?」と知ってる限りのポートランドのイタリアンレストランの名を挙げた。カチャカチャとコンピューターのキーボードを叩き、検索をしたが、掲載しているメニューでCarpaccioの文字を見つけることはなかった。私のクズリ度が高まる。
困り果てた友達が、「“カルパッチョ”で検索しなよ」と一言。まさに盲点をついた名案だ。興奮するその勢いでカルパッチョの綴りを叩いた。
出てきた、出てきた。ポートランドダウンタウンエリアでカルパッチョが食べられる店3軒が現れた。
その中の一件一件のメニューをチェックしていた私の心が躍った。Bastas Italian Restaurantはカルパッチョがハッピーアワーのメニューにあり、なんと5ドルではないか! しかも平日で5時から11時までという、型破りなハッピーアワー。5時に仕事が終わって、5時半にはお店に着いて、6時半のハッピーアワー終了までに しっかり注文するぞ、という通常のあせった体勢ではなく、余裕で臨めるわけだ。
テーブルに着いた私は、メニューを手に友達に一言、「カルパッチョ、一皿 一人でいかせてもらいます。」やっと念願の日が来た。一人でフグ刺しをさらうようにカルパッチョを食べられる日が。5ドルという値段が私の心から罪悪感を消してくれる、というのが実情の出世街道を行く私。少々薄っぺらではあるが、味のあるカルパッチョに魅せられている今日この頃だ。
Kiki
Bastas Trattoria
Italian Restaurant & Bar
410 Northwest 21st Avenue
Portland, OR 97209-1104
(503) 274-1572
Posted on 夕焼け新聞 2010年6月号
Thursday, December 8, 2011
おいしい話 No. 38「メキシコ家族旅行」
ここ数年、年に一回、ハビーの両親と弟と一緒にメキシコに家族旅行に行くのが恒例になってきた。私が一番最初に参加したのは 付き合い始めて半年、まだ結婚などの話が出る前で、ハビーの両親には1回しか会ったことがなかった。つまり2回目のご対面で、いきなり家族旅行に参加してしまったわけ。さすが、アメリカ人の心の大きさは大陸の大きさのようです。
カルチャーの違いというか、1回しか会ったことないのに、もう家族旅行に参加してしまった私は 緊張して、どういう行動に出てよいものかと、いつもドギマギしていた。プラス、初めてのメキシコ旅行で 言葉も土地感覚も全くなかった私は、ただひたすら、自分が何をしたいと言うこともなく、皆の意見にすべて同意しながら、後をついて回っていた。
今年のメキシコ家族旅行は、私にとって あの初参加依来2回目の、Puerto Vallartaという市が選ばれた。頻繁に会うことができない距離に住んでいるから、家族で一緒に過ごす時間を作るための家族旅行、が趣旨なわけで、ホテル代など主な費用はこの御両親様から出ていることを考えると、あんまり自分勝手な行動はとれない。が、自分達の意志で行動し、自分達なりに楽しめる日を1日持ってもいいじゃないか、ということで、数日滞在する中の1日はハビーと二人だけで過ごすことになった。
そこで 二人が選んだのはダウンタウン。Puerto Vallartaはメキシコの西海岸にある市で、ダウンタウンは海に面した海岸にある。最初の旅行で来た時に 強く印象に残っていたのが、ビーチ通り沿いに転々と設置されていたオブジェ達。どこの芸術家の作品なのかわからないが、何か宗教的で、宇宙的で、未来的で、強い願いや希望を表現していた。
もう1度あのオブジェ達を見たい、今度こそは写真に収めたい、という私の不完全燃焼から来た思いが ふつふつと沸き起こる。なぜ不完全燃焼なのかというと、つきあって間もない彼氏の一家について回ってた最初の旅では、カバンからカメラを出すことさえもできなかったほどのドギマギ状態だったのだ。なんてウブな私! 今回、このオブジェ達をまた見ることができた喜びで、私は写真を何枚も撮った。これでもか、と言わんばかりに。
ビーチ通りをさらに歩き続けると、砂浜にロマンチックに赤いクロスのテーブルを出し、藁のパラソルを立てたレストランが見えた。あら素敵なお店じゃないの、と近づいていくとその隣にも、またその隣にも、ロマンチックなレストランが並んでいるのが見えた。前に来た時には、ここまで足を延ばさなかったので気がつかなかったが、主に観光客を対象としたレストランがビーチ上にぎっしり並んでおり、それぞれが広げたテーブルとパラソルで 訪れる人々を呼び込んでいた。
すっかり雰囲気に呑まれたハビーと私はここで夕食を取ろうというこになった。そこまでの決断はよかったが、ハビーが鯛の丸焼きをレモンとバターとガーリックで頂く料理を食べたい、と言い出した。それに対して私が、新鮮な白身魚、海老などを使ったメキシコ風シーフードサラダのCebicheを食べたい、と言い出す。お互いをハッピーにするために、その両方を、おいしく、安く食べられる店をみつけなければならなくなった。
一件一件外に掛けているメニューを覘きながら、レストランの立ち並ぶビーチを、上ったり下ったり。鯛はあるがCebicheがない。Cebicheはあるが鯛がない。Cebicheも鯛もあるが、鯛が切り身で姿焼きじゃない、などと決めかねているうちに、気が付いたら太陽が水平線にどんどん傾き始めた。そして、ビーチに並ぶテーブルにはキャンドルが飾られ、松明に火が灯され始めた。
とうとう陽がすっかり落ちてしい、決断できない自分達に嫌気がさしてきた頃に、やっと無理矢理1件の店に入った。そこはビーチ沿いでもなければ、鯛もCebicheも置いておらず、それは特大マルガリータと、マリアッチの陽気なおじさんたちの演奏にとってかわる、という、私たちに非常に有り勝ちな結末となった。
私たちが 何故かクラムチャウダーなどをすすっているその頃、ハビーの両親と弟は、どこかで鯛の丸焼きを食べていたと翌日判明。自分の意志がどうだとか、ワケのわからないことを行って別行動などするものではない。家族旅行では 家族と共に行動し、両親の意見に素直に同意して後を付いて回る事。途中どうであれ、結果、美味しい物を逃す事はない。家族と一緒に過ごす時間はとっても大事なのです。特にこんな優柔不断な二人には。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年5月号
カルチャーの違いというか、1回しか会ったことないのに、もう家族旅行に参加してしまった私は 緊張して、どういう行動に出てよいものかと、いつもドギマギしていた。プラス、初めてのメキシコ旅行で 言葉も土地感覚も全くなかった私は、ただひたすら、自分が何をしたいと言うこともなく、皆の意見にすべて同意しながら、後をついて回っていた。
今年のメキシコ家族旅行は、私にとって あの初参加依来2回目の、Puerto Vallartaという市が選ばれた。頻繁に会うことができない距離に住んでいるから、家族で一緒に過ごす時間を作るための家族旅行、が趣旨なわけで、ホテル代など主な費用はこの御両親様から出ていることを考えると、あんまり自分勝手な行動はとれない。が、自分達の意志で行動し、自分達なりに楽しめる日を1日持ってもいいじゃないか、ということで、数日滞在する中の1日はハビーと二人だけで過ごすことになった。
そこで 二人が選んだのはダウンタウン。Puerto Vallartaはメキシコの西海岸にある市で、ダウンタウンは海に面した海岸にある。最初の旅行で来た時に 強く印象に残っていたのが、ビーチ通り沿いに転々と設置されていたオブジェ達。どこの芸術家の作品なのかわからないが、何か宗教的で、宇宙的で、未来的で、強い願いや希望を表現していた。
もう1度あのオブジェ達を見たい、今度こそは写真に収めたい、という私の不完全燃焼から来た思いが ふつふつと沸き起こる。なぜ不完全燃焼なのかというと、つきあって間もない彼氏の一家について回ってた最初の旅では、カバンからカメラを出すことさえもできなかったほどのドギマギ状態だったのだ。なんてウブな私! 今回、このオブジェ達をまた見ることができた喜びで、私は写真を何枚も撮った。これでもか、と言わんばかりに。
ビーチ通りをさらに歩き続けると、砂浜にロマンチックに赤いクロスのテーブルを出し、藁のパラソルを立てたレストランが見えた。あら素敵なお店じゃないの、と近づいていくとその隣にも、またその隣にも、ロマンチックなレストランが並んでいるのが見えた。前に来た時には、ここまで足を延ばさなかったので気がつかなかったが、主に観光客を対象としたレストランがビーチ上にぎっしり並んでおり、それぞれが広げたテーブルとパラソルで 訪れる人々を呼び込んでいた。
すっかり雰囲気に呑まれたハビーと私はここで夕食を取ろうというこになった。そこまでの決断はよかったが、ハビーが鯛の丸焼きをレモンとバターとガーリックで頂く料理を食べたい、と言い出した。それに対して私が、新鮮な白身魚、海老などを使ったメキシコ風シーフードサラダのCebicheを食べたい、と言い出す。お互いをハッピーにするために、その両方を、おいしく、安く食べられる店をみつけなければならなくなった。
一件一件外に掛けているメニューを覘きながら、レストランの立ち並ぶビーチを、上ったり下ったり。鯛はあるがCebicheがない。Cebicheはあるが鯛がない。Cebicheも鯛もあるが、鯛が切り身で姿焼きじゃない、などと決めかねているうちに、気が付いたら太陽が水平線にどんどん傾き始めた。そして、ビーチに並ぶテーブルにはキャンドルが飾られ、松明に火が灯され始めた。
とうとう陽がすっかり落ちてしい、決断できない自分達に嫌気がさしてきた頃に、やっと無理矢理1件の店に入った。そこはビーチ沿いでもなければ、鯛もCebicheも置いておらず、それは特大マルガリータと、マリアッチの陽気なおじさんたちの演奏にとってかわる、という、私たちに非常に有り勝ちな結末となった。
私たちが 何故かクラムチャウダーなどをすすっているその頃、ハビーの両親と弟は、どこかで鯛の丸焼きを食べていたと翌日判明。自分の意志がどうだとか、ワケのわからないことを行って別行動などするものではない。家族旅行では 家族と共に行動し、両親の意見に素直に同意して後を付いて回る事。途中どうであれ、結果、美味しい物を逃す事はない。家族と一緒に過ごす時間はとっても大事なのです。特にこんな優柔不断な二人には。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年5月号
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