Friday, December 9, 2011

おいしい話 No. 39「カルパッチョ」

南国の海を目の前にして育った私は 新鮮な刺身を あたりまえのように週に3日は夕食で食べていた。どちらかというと焼き魚より 刺身を好む。生好きは 魚介類に限らない。社会に出て初めて連れて行ってもらった カウンターの回らない寿司屋で食べた新鮮生牛肉の握り寿司や、焼肉屋で食べたユッケは、魔法の食べ物のように私を虜にした。もう2度食べるチャンスはないと思われる鯨の刺身や馬刺しも、遠慮なく頂いたもんだ。生肉にまったく抵抗がない私は、焼肉も あんまり焼かない派で、ステーキも限りなくレアに近いミディアムレアを好む。
地元には似つかわない、とってもおしゃれなイタリアンレストランがオープンした時、「カルパッチョ」なる生肉料理があることを知った。それはフグ刺しよりも薄いのではないかと思われる薄さにスライスされた生肉を、フグ刺しのようにお皿に敷き詰めて、オリーブオイル、レモン汁、塩コショウなどでシンプルに味付けされた一品である。私の中で その美味しさは ユッケに続く衝撃があり、あれっきりのカルパッチョ、と心に残ったままだった。
シアトルの「Machiavelli」というイタリアンレストランで 数年ぶりにカルパッチョとご対面をした。カルビ二切れ分に相当するのではないかと思われるほとの薄切り肉が皿に広げられているわけだが、お値段はカルビ二切れ分なわけはなく、その当時、一皿9ドルから12ドルくらいした。そんなわけで、友達とシェアなんかすると、あっという間に消えてなくなる。本当は、自分だけに一品注文して まるでフグ刺しを豪快に食べる人のように、皿の上にフォークを走らせ、肉をかき集めて食べたいところなのだが。
それから後に、「Wasabi Bistro」で ハマチやマグロなどの和風カルパッチョを味わった。刺身用に切られた自分のチョイスの魚を ポン酢ベースのソースで頂く。軽くハラピーニョのみじん切りが振られていて ニンニクやわさびと違うピリ辛感があり、これまた虜になった。ここもまた 一品12ドルほどしたように思う。大きくなって 出世したら 一品まるまる自分で食べるんだあ!と 心に誓ったものだ。

あれから 数年、すっかり大きくなって、出世した私は、ふと舌がカルパッチョを求めていることに気がついた。イタリアンレストランに行く度に、前菜あたりでカルパッチョ、正しくはCarpaccio、を探したが、以外になかなか作っている店がないことに気が付いた。イタリアンレストランと名を出しておいて、カルパッチョを置いてないとは、どういうことだ、と憤慨していた。魚バージョンでもぜんぜんいいのに、と思っていたが、フュージョン系の店や寿司屋でも見ることがなかった。
友達とハッピーアワーに行こうよ、と話しているその電話口でぐずった。「カルパッチョが食べたい。」
友達が「あそこは?ここは?」と知ってる限りのポートランドのイタリアンレストランの名を挙げた。カチャカチャとコンピューターのキーボードを叩き、検索をしたが、掲載しているメニューでCarpaccioの文字を見つけることはなかった。私のクズリ度が高まる。
困り果てた友達が、「“カルパッチョ”で検索しなよ」と一言。まさに盲点をついた名案だ。興奮するその勢いでカルパッチョの綴りを叩いた。
出てきた、出てきた。ポートランドダウンタウンエリアでカルパッチョが食べられる店3軒が現れた。
その中の一件一件のメニューをチェックしていた私の心が躍った。Bastas Italian Restaurantはカルパッチョがハッピーアワーのメニューにあり、なんと5ドルではないか! しかも平日で5時から11時までという、型破りなハッピーアワー。5時に仕事が終わって、5時半にはお店に着いて、6時半のハッピーアワー終了までに しっかり注文するぞ、という通常のあせった体勢ではなく、余裕で臨めるわけだ。

テーブルに着いた私は、メニューを手に友達に一言、「カルパッチョ、一皿 一人でいかせてもらいます。」やっと念願の日が来た。一人でフグ刺しをさらうようにカルパッチョを食べられる日が。5ドルという値段が私の心から罪悪感を消してくれる、というのが実情の出世街道を行く私。少々薄っぺらではあるが、味のあるカルパッチョに魅せられている今日この頃だ。


Kiki



Bastas Trattoria
Italian Restaurant & Bar
410 Northwest 21st Avenue
Portland, OR 97209-1104
(503) 274-1572



Posted on 夕焼け新聞 2010年6月号

No comments:

Post a Comment