Sunday, January 29, 2012

おいしい話 No. 47「めで鯛」

また 新しい年が明けてしまった。2011年なんて!
少女の頃の私には 遥か彼方の未来で、どんな世の中になっているのかなんて想像もつかなかった。早く大きくなって 大人になった自分を見てみたい、と年を取ることを急いだ。その待ちきれなかった未来が、ものすごく あっという間にやって来て、そこにすっかり大人になった自分がいる。その大人になった自分が、今度は、年を取る速度を緩めたいと 願っている。あんなにじれったく、スローに1年が過ぎていった子供の頃なのに、なぜ今は、Bullet Trainのように、時間が過ぎていくのだろう。不思議だ。新年明けて 年を取ることが、本当におめでたいのか、わからなくなってきているここ数年である。

だからと言って、新年を憂鬱な気分で明けるわけにはいかない。正月に行う行動がその1年に影響する、と心から信じている私は、元旦に何か意義ある事をして、ハッピーでなければならない。その後の364日も意義があり、ハッピーな日々であるようにするために。たとえそれが 瞬きしている間に過ぎて行ったとしても。

今年の案は、鯛の姿焼きを頂く、である。「めで鯛」という事で、縁起担ぎとして、来る福を祝おうじゃないかという趣向。
鯛の姿焼きなんぞ、親戚の結婚式の披露宴で、テーブルの真ん中にでーんと横たわっているのを見たぐらい。それなのに、なぜこの正月は鯛の姿焼きに執着しているかは、自分でもよくわからない。去年メキシコで一回食べてやろうと試みて、失敗に終わった屈辱もあるのか。
とにかく 魚を一匹丸々買ってきて料理をするなど、母親の元を離れてアメリカに来て以来、一度もないので、さてはて、どこで購入できるのやら、と考えた。近所のスーパーマーケットの鮮魚コーナーを思い浮かべる。あれ、魚を丸ごと売ってる?ましてや鯛なんて、置いてある?
そこで浮かんだのが、Uwajimaya。あそこならぜったい売っているはず。何にしても、大晦日にUwajimayaに買い物に行くのは、私の毎年の、新年を迎える行事なのだから、その時に確認できる。
鮮魚のセクションの前には沢山の行列ができていた。みんな鍋用の魚を買っているのか。キョロキョロと鯛の姿を探す。期待通り、丁度いい大きさの鯛が丸々氷の上に横たわっていた。鮮魚のお兄さんに「鯛を一匹ちょうだい!」と注文する。
するとお兄さんが、一匹持ち上げて私に見せながら、どうしたい、というような質問をしてきた。ぽかんとしている私に ハラワタを取るか、と聞いてきた。
はっ、そうだ そういうものがあった。本当にそのまま 「丸ごと」料理をしようとしていた自分がちょっと恥ずかしくなった。切り身にしなくていいからハラワタだけとってくれと頼んだ。
さて、元旦の早い午後、鯛の料理が始まる。ハビーの案で、イタリア風マッシュルームと鯛の鉄鍋焼き、に挑戦することになった。ハビーがみつけたレシピを読む。「ナントカというのを取った後」という一節があった。聞いた事のない単語が挿入されていた。「何?」と聞き返す。また「ナントカ」と繰り返すけど、わからない。なんだそれは 違う言葉で説明しろというと、何やら魚の表面にあるものをまずは取らないといけないという。そこでまた はっとする。「ウロコ」だ! またしても ウロコがついたまま「丸ごと」料理をしようとしていた。いただきまーす、と出来上がった料理を口に入れて、泣きそうになるハビーと自分を想像しただけで、冷や汗がでそうになった。元旦にはぜったい起こってほしくない、disaster である。
しだいに、昔母親と魚料理を一緒にしたのを思い出した。包丁の背でウロコを逆撫でして取った記憶がある。2、3度包丁を動かしただけで、ウロコがあちらこちらへと飛び散り、私の顔や髪の毛に張り付いた。あの鮮魚のお兄さんに ウロコも取ってもらえばよかったと、後悔。でも、プラスティックの袋の中でその処理を行い、なんとか台所中がウロコだらけにならずに済んだ。

鉄鍋で、ニンニクをオリーブオイルで炒めた後、塩コショーした鯛を寝かし、軽く白ワインをふり、蓋をして蒸し焼きにする。別の鍋で塩コショー、白ワイン、玉葱、パセリ、オリーブオイルで炒めたマッシュルームを焼きあがった鯛に載せて出来上がり。とてもシンプルで、あっさりとした味付けが、魚の風味を生かしている。
こんがりとした焼き色を付け、美しく横たわった鯛を眺めながら笑顔のこぼれるハビーと私。
フランス産の白ワインを頂きながら、イタリア風味の鯛をお箸でつつく二人。
今年も、トラブルを最小限に抑え、美味しいものを食べてシアワセだなあ、と思える一年になること間違いなし!

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2011年2月号

Tuesday, January 24, 2012

おいしい話 No. 46「食は笑顔の源」

子供の頃、ご飯を食べていると機嫌がいい、とよく言われた。母親に叱られて泣きじゃくっていても、「ご飯ですよ」の一言で それはぴたりと止まり、自分の大好物な豚の生姜焼きだった時には、涙と鼻水でぐじゃぐじゃな顔から にんまり笑顔がこぼれていたようだ。

その習性はいい大人になった今も変わらない。カクテルが入るとその機嫌の良さがグンと増すようだが。「美味しいものを食べに行こう」と前振りをされただけで、笑顔になる。美味しいものを口にするだけで、高揚する。そして、「おしかったね」を連呼して満足する。そんな単純に食をエンジョイするパターンだったが、最近それに ひとつのステップが加わった。ちょっとオタクの入ったうちのハビーが料理に興味を持ち始めてからは、使われた材料をGuessしないではテーブルを立てないようになった。

「ナントカのマリネ」とかいう一品だと、そのマリネソースのレシピを用心深く舌の上で分析する。「ナントカのソース添え」も、ソースだけを必ずフォークの先で救いあげ、何度も口に運んでアナライズする。プロのシェフ気分だ。さすが、料理の本を読みまくっているハビー、私の聞いたことのないハーブやスパイスの名前をあげる。果たして それらの味の検討がつくものかと思いきや、コレはカイヤン、ケッパー、クミン、という具合にいくから不思議だ。

先日、近所のバーレストランRadio Roomの「Between The Button」を注文した時も、同じステップが踏まれた。それは グラタン皿に盛られたボタンマッシュルームの一品。オーブンから出されたばかりの熱々のマッシュルームから出た水分と合えたソースが、ぐつぐつと皿の底で煮立っている。フランスパンが添えられていて、そのソースに浸して食べる。美味しい物を食べている喜びで勢いがつき、マッシュルームがあっという間に無くなった。ソースも一滴も残すまいと、フランスパンを擦りつけて食べている、その時にハビーの質問が始まった。「このソース何で 出来てると思う?」

確かに美味しいが、何でできているかはわからない。
クリーミーだとすぐグラタンのホワイトソースを思い出すが、小麦粉が入っている食感ではないよね。バターと、まあ こういうタイプの料理だと、たいてい白ワインが入っているよね、と歯切れの悪い感じでリストアップしていると、ニンニクとシャロットも もちろんだね、とハビーが断定口調で入ってきた。あと生クリームとパセリ、それから 塩、コショーってとこかな。
「じゃあ このオレンジ色はどこから来ているの?」という私の質問に、ハビーの息が止まった。そうなのだ、ずっと気になっていたのだが、このソースはオレンジ色をしていたのだ。ハビーが素早くちぎったパンを ソースに浸して口に投げ込んだ。うーん、トマトでもないし、チリソースでもない。マーマレードでもないし、ニンジンでもない。このオレンジ色は何なのだ?
限界が来たハビーがサーバーのおねえさんを捕まえた。「ああ、それはパプリカね」とのお答え。「パプリカかあああ!」と、さも近いところまでGuessしてたかのような大袈裟な反応の二人。まだまだ修行が足りないようで。

それでもへこたれないハビーの 次のAttemptは、「Between The Button」を自宅で再現すること。つまり、同じ一品を レシピの情報収集だけで、自分たちで作れるか、という挑戦だ。これは伊丹十三の映画、「たんぽぽ」と同じ試みだ、というハビー。登場人物がいろんなラーメン屋に行っては、その秘伝のスープの味を分析し、それを元に、だめな自分のラーメン屋を立て直す。
同じ試みなのは 人の店に行っては、秘伝であろうとなかろうと、ああでもない、こうでもないと、と言ってそのレシピの正体を暴こうとするところ。あえて言うならば、こうやって食べ物の会話をしていることが夫婦間の向上であるということだろうか。食べている時はもちろんだが、食べ物の話をしている時が一番機嫌のいい二人なのだから。

さて、今までは人に作ってもらった食事で、いつもニコニコだったハビーと私。今回の「Between The Button」自宅再現計画で、実技とチームワークの良さが問われる事になる。自分達で 美味しい物、美味しいはずの物、美味しくなくてはいけない物を作っている時も、ニコニコでいられる二人なのであろうか。




Kiki
kiki.art.pdx@gmail.com



Radio Room
1101 Northeast Alberta Street
Portland, OR 97211-5001
(503) 287-2346


Posted on 夕焼け新聞 2011年1月号

Sunday, January 15, 2012

おいしい話 No. 45「文句の効果」

日本を恋しく思う理由の一つは居酒屋で、郊外に行けば居酒屋も Hilsboroに行けば一軒、Beavertonに行けば一軒という感じであるが、ポートランドのダウンタウンにないとは どういうことだこの街は!と、いつも文句を言っている、という話を以前にした事があるが、その通りずうっと文句を言い続けていた。
私は仕事の帰りに ちょっと一杯行きますか、というノリですぐに行ける居酒屋がダウンタウン区画内に欲しかった。車で20分、30分の距離ではなくて、ヘベレケになっても タクシー代もそれほど気にしないで家に帰れる距離に。
アメリカ人が経営する“イザカヤ”スタイルの店で、“創作”イザカヤ料理を頂いても、「うーん、、、」という言葉にならない低い声の後に、「ちょっと 違うんだよね」という、不満を抑えきれない感情が飛び出すだけ。
なぜいつも そういう店に行く度に、残念な悲しい気持ちになるのか。それは、日本にあるあの純粋な居酒屋を求めて行くからなのだ!
と言う訳で、私のシツコイ文句がまた発生する。「誰か ダウンタウンに居酒屋作ってよ!!」

そんな空しい日々の中、仕事中のハビーから電話が入った。「2週間前にダウンタウンに居酒屋ができたんだよ、知ってた!?」受話器を握り仁王立ちの私の眉がぴくりと動いたが、ハビーのことだからまた“ヒュージョン系”、“もどき系”にだまされているのでは、と思った。「へえ、、」なんて気のない返事をしていたら、開店前にたまたまその店の前を通りかかった際に、店長さんらしき日本人を見かけ、無理やり中に入って話を聞いた、という。その人はポートランド滞在期間まだ一ヶ月ちょい、ポートランドに居酒屋を開くために日本から来たとか。ハビーが、「彼がイザカヤと言ったその言い方が サムライみたいだったんだよ!」と、面白がって喜んでいた。
その無邪気なコメントにまた私の眉がぴくりと動いた。日本から来てまだ間もない?わざわざ居酒屋を開こうと?そして「イザカヤ」の言い方が侍みたいだったと? これは、きっと 私の求め続けている居酒屋に違いない!とっても強い確信だった。
ハビーが電話口で、ちょっとここ1週間ばかし忙しいが、その後で 一緒に行ってみよう、という。オッケー、と言って電話を切ったその手で 友人の電話番号を回す。この事実を知った後で、一週間も待てるわけないではないか。さっそく翌日、その友人と期待あふれる気持ちでその居酒屋に出向いた。
まず、SW SalmonとPark Ave.というロケーションが非常によろしい。「Shigezo」というネーミングがちょっと男っぽすぎかと思ったが、まあこれもStraight forwardでいいだろう。明らかに日本人しか付けない名前、というところがいい兆候でもある。
入り口から入って左手が寿司のカウンターがあるバーエリアで、右手が畳みテーブルエリア、そして中央に炉端というデザインで、思ったより広い内装になっている。席について まずはビール、とジョッキ(またはマグと言う)でグイっといく。これこれ、これなのよ、私の求めていたメニューは!と揚げ出し豆腐、餃子、お好み焼き、きゅうりとタコの酢の物、漬物、と居酒屋定番メニューを一揆に注文する。パクパクと口にしながら「うーん!」という歓喜の声を漏らす。 友人とよかったねーっと 目頭を押さえながらお互いの肩を叩き合う。あとは、ちょこちょこオーダーしながら、ちょこちょこ飲んで長居する日本の客スタイルを アメリカ人のサーバーが解ってくれるといいのだケド、と願いながら 締めの握り寿司を注文。これまた白マグロのヅケ風や本蟹の握りなど、驚きなほど美味しかった。カウンターで握る日本人の職人を、誇りに似た気持ちで眺める。常連になります、と心に誓った。

常連第一歩として 一週間後にハビーとまた訪れた。これも美味しかったよ、あれも美味しかったよ、と過去形でメニューの品を説明する私に、「Wait a minute」がかかった。君は僕なしで もうすでに来たのかい、と嘆きの声を出す。でもね、ハニー、ポートランドに居酒屋がないと嘆く私の叫びは、もう聞かなくてよくなるのよ、と 答えにならない返事でごまかす。
神様が パイオニアスクエアから徒歩数分の所に、私の、いや日本人の癒しの場を作ってくれた。文句でも 言い続けてみると、効力はあるようだ。



Kiki
kiki.art.pdx@gmail.com




Shigezo
1005 SW Park Ave.
Portland, OR 97204
503-688-5202



Posted on 夕焼け新聞 2010年12月号

Sunday, January 8, 2012

おいしい話 No. 44「日本料理の本」

買い物好きのうちのハビーは アマゾンのウェブサイトが大好き。実際のお店に行って、商品を手に取ってみたり、決めるまでに何軒も回ったり、という買い物は嫌いなくせに、オンライン上で、商品のウンチクや消費者のReviewを読んだりして買うのが好きなようだ。
彼のWish Listは3ページほど連なり、誕生日やクリスマス前になると きちんとアップデートされ、プライオリティー度もしっかり表示されている。何をプレゼントに買っていいのか アイデアも薄れてくると そのリストからオーダーすれば、物は何であれ 必ず喜んでくれるので間違いはない。
でも 特別なお祝い事以外で 彼のWish Listを訪れてくれる親切な人は誰もいないので、そういう場合は 自分でせっせと購入している。先日も仕事から帰ってくると、アマゾンの箱がポーチでハビーの帰りを待っていた。
購入する商品は大概、コンピューター系、CD、DVD、本、といった類だが、今回 ハビーが箱から取り出したのは、料理の本だった。なるほど最近料理に興味を持ち始めていたようだが、いきなり 世界各国の料理本を購入したようだ。タイに、チャイニーズ、メキシカン、そしてベトナミーズ、イタリアン、ジャパニーズ、と一揆に6冊も。私の中で 料理の本といえば 写真が命で、どんなにおいしそうに写真が撮られているかが、その料理を作るモチベーションになる。写真のない料理の本など 出来上がりの感じが不明なので、味はともかく 見た目的に きちんと出来たのか判断しにくいのでいけない。
しかし、ハビーが購入した本は、ほとんど写真がなく、ページがぎっしりと字で埋め尽くされている。特にジャパニーズの本など、4センチほどの厚みの中、カラー写真は4ページしかなく、あとのイメージは鉛筆書きの挿絵のみなのである。
また衝動買いしたな、と冷ややかな目で見る私に、これらはすばらしい本なんだと引かない。つまりウンチク好きで、オタクなハビーは、材料の原点、料理の発信源などの、基本を語るこういう本がすばらしい料理の本で、本格的に料理を始める自分としては、この基本の知識を得る事から始めないと完璧ではない、ただ言われるままに材料を買ってきて 計って作っているようでは、何も理解できない、できるわけない、というわけだ。最近ちょっと2、3品料理を作るようになってきたハビー。もう世界の料理を独自の力で、活字から制覇しようという試みのようだ。
バッタ物を吟味するかのように、鯛の絵が載ったハードカバーの「Japanese Cooking」を手にとってみた。副題で「A simple art」とある。著者の名前は Shizuo Tsujiで、日本人のようだ。日本語版の翻訳ではなく、日本以外の国に住むEnglish speakerを対象として出版されたみられる日本料理の本。
内容の構成は、本当に ウンチクから始まる。つまり、和食で昔から基本とされている材料の一点一点について百貨時点のように説明されている。「Konbu」「Kinoko」「Kampyo」「Kuri」「Gobo」「Sansho」「Togarashi」など。この商品は、こういうマーケットで、こういう名前で、こんなパッケージで売られている、という親切な助言もある。
次には、様々なタイプの器の話。どの器が、どの料理の盛り合わせに使われるか、そして どのように食台に並べられるか。
そして今の世の中誰が包丁など自分で研ぎます?ましてやEnglish Speakerが?と突っ込みたくなる包丁の研ぎ方の章もきちんとある。二枚、三枚の魚の下ろし方、旨いダシの取り方、鍋の仕度に必要な要点など、日本の懐石料理の厨房で、熟練した板前さんに、優しく丁寧に いろはを習っているような気分になる。まあこのShizuo Tsujiさんが、熟練した和食の板前さんであるとは思うのだが、この「和食とは」とか「Art」とか、日本食の繊細でシンプルで、それでいて主張のある味を作り出す「美」というものを、外国人に写真ではなく、文章で伝えようとしているところに驚いた。一応、日本で生まれ育った私は、項目項目に書かれた説明を読んで、簡単にその色形をイメージできるのだが、果たして外国人はどういう画像や味を想像するのだろう。所々に入れられた簡単な挿絵は助けになるのだろうか。
簡単で、解り易く、和食文化とそのスピリチュアルを教える、そして日本人には、それを再認識させる、なんとも不思議な本である。
日本人の自分が 英語で 日本人として当たり前の知識である和の味を学ぶ。
それをうちのハビーがアマゾンで、非常にすばらしい本だ、と選んで購入するなんて。ほんとうに へんな感覚になる。

Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2010年11月号

Monday, January 2, 2012

おいしい話 No. 43「飴と、郷愁と、クリーニング屋」

アメリカに来て、昔は当たり前のようにやっていた事を、やらなくなってしまった事の一つに、洋服をクリーニングに出す、というのがある。日本で仕事をしていた時は 毎週一回はクリーニング屋に通っていたものだが、カジュアルがすっかり身に付いたアメリカ生活では、年に1、2回行けばいい方、という状態になっている。怠慢と貧乏症が加わって、それはドライクリーニングじゃないですか、という服も普通の洗剤で、普通に家で洗っている。

そんな中 先日、友人の結婚式に夫婦で呼ばれた。最後に履いたのはいつだろうと思われるハビーの一張羅のズボンをクローゼットから取り出した。そして 美しい結婚式の真っ只中、ハビーのズボンにこびり付いた汚れを発見した。この渇ききった、擦るとぼろぼろっと欠片が落ちてくるような汚れは、明らかに今日付いたものではない。でも いったい いつ?
さすがに、ハビーのママが張り切って仕立ててくれたシルク製の生地を、家の強烈洗濯機で洗うのは気が引け、久しぶりにクリーニング屋に持ち込むことにした。

職場の近くにあるこのクリーニング屋は、会社員をターゲットに朝7時から店を開いている。いつも前を通るのに、利用したことは一度もなかった。
店に足を踏み入れると、人の出入りを知らせるベルが高々となり響く。一瞬その音の大きさにたじろぐが、奥から人が出てくる気配はない。「ハロー、ハロー」と奥に向かって声を掛けてみるが まったく人気がない。一旦表の通りに出て、あのベルの音を起こさせる。「ジリジリジリジリ-ン」また店内に入ってきて「ジリジリジリジリ-ン」。それを2、3回繰り返してみた。やはり店内は静まり返っている。どうしたもんかと困っていると、ついにアジア人のおばちゃんがトイレと思われるドアを開けて わたわたと出てきた。昭和のおばちゃんパーマを思わす形良くカールされた髪を両手で整えながら、カウンターにやってくる。店に一人しかいないところで トイレに入っている最中に、あんなにしつこくベルを鳴らして悪かったかしら、と思いながらハビーのズボンを渡す。

「Name? Telephone number?」ぶっきら棒に なまった単語で私のインフォメーションを尋ねる。「Wednesday.Ok?」「Huh? Oh, yes, I can come pick it up on Wednesday.」
無事に預けたことだし、とその場を立ち去ろうとすると、おばちゃんが私のどこかを指さしながら何かを訴え始めた。最初は何を言っているのか理解できず、おばちゃんの睨みつけている場所を探そうと、体をあっちに、こっちに、とひねらせた。ついにおばちゃんが私のジャケットの袖口に視線をあて、「ボタン」と言っていることがわかった。「はあ、ボタン?」と袖口を上げると、カフスのボタンが糸一本で命をつなげている状態であることがわかった。怠慢であるというこの持って生まれた性格が、いつまでたっても更生されることもなく、この年になってもボタンがとれかかってブラブラしているような上着をきているなんて。恥ずかしさと共に、母親の怒りの顔が浮かんできた。

おばちゃんは 縫い付けてあげるから脱げ、と、もう針と糸を手にしながら殆んど命令口調で私を促す。「Now?」「Now!」
おばちゃんは針を口に挟んで、糸を巻きからひっぱり出す。今度はその糸の先っちょを口に入れて唾で塗らしてとんがらせる。そしてその先を針の穴に入れる。まさに自分の母親の針仕事を見ているようだった。
ちょっとノスタルジックな気分になっておばちゃんの手さばきを見ていると、今度は「Eat candy!」と命令する。おばちゃんが顎で指した先には、チョコレートや飴の入ったガラスのジャーがあった。
それを一つ摘み、口に入れる。
甘いイチゴ味の飴を舌で転がしながら、店内を見回す。偽の仰々しい花が花瓶に飾れ、古いミシンと糸の箱がカウンターの向こう側に置いてある。全く同じ柱時計が二つ、壁に並んで賭けられている。一つはポートランド現時間。もう一つは違う時間帯を指している。おばちゃんの手書きの「Korea」と書いた紙が貼り付けられていた。昭和風女優のカレンダーには、韓国語で あちこちにメモがされている。きっと韓国にいる子供や孫達の誕生日を書き記しているんだろうな、とセンチメンタルに勝手な想像をする。
きっとおばちゃんにも 私のようなだらしない娘がいるのだろう。今にもボタンが取れそうな服を平気で着ているのに、自分の娘を思ったのだろう。
縫い賃の請求もせず、私を追い出すおばちゃんに、少し母を思いながら、「おばちゃん、また必ずクリーニング出しにくるからね。」と誓った私だった。


Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年10月号