アメリカに来て、昔は当たり前のようにやっていた事を、やらなくなってしまった事の一つに、洋服をクリーニングに出す、というのがある。日本で仕事をしていた時は 毎週一回はクリーニング屋に通っていたものだが、カジュアルがすっかり身に付いたアメリカ生活では、年に1、2回行けばいい方、という状態になっている。怠慢と貧乏症が加わって、それはドライクリーニングじゃないですか、という服も普通の洗剤で、普通に家で洗っている。
そんな中 先日、友人の結婚式に夫婦で呼ばれた。最後に履いたのはいつだろうと思われるハビーの一張羅のズボンをクローゼットから取り出した。そして 美しい結婚式の真っ只中、ハビーのズボンにこびり付いた汚れを発見した。この渇ききった、擦るとぼろぼろっと欠片が落ちてくるような汚れは、明らかに今日付いたものではない。でも いったい いつ?
さすがに、ハビーのママが張り切って仕立ててくれたシルク製の生地を、家の強烈洗濯機で洗うのは気が引け、久しぶりにクリーニング屋に持ち込むことにした。
職場の近くにあるこのクリーニング屋は、会社員をターゲットに朝7時から店を開いている。いつも前を通るのに、利用したことは一度もなかった。
店に足を踏み入れると、人の出入りを知らせるベルが高々となり響く。一瞬その音の大きさにたじろぐが、奥から人が出てくる気配はない。「ハロー、ハロー」と奥に向かって声を掛けてみるが まったく人気がない。一旦表の通りに出て、あのベルの音を起こさせる。「ジリジリジリジリ-ン」また店内に入ってきて「ジリジリジリジリ-ン」。それを2、3回繰り返してみた。やはり店内は静まり返っている。どうしたもんかと困っていると、ついにアジア人のおばちゃんがトイレと思われるドアを開けて わたわたと出てきた。昭和のおばちゃんパーマを思わす形良くカールされた髪を両手で整えながら、カウンターにやってくる。店に一人しかいないところで トイレに入っている最中に、あんなにしつこくベルを鳴らして悪かったかしら、と思いながらハビーのズボンを渡す。
「Name? Telephone number?」ぶっきら棒に なまった単語で私のインフォメーションを尋ねる。「Wednesday.Ok?」「Huh? Oh, yes, I can come pick it up on Wednesday.」
無事に預けたことだし、とその場を立ち去ろうとすると、おばちゃんが私のどこかを指さしながら何かを訴え始めた。最初は何を言っているのか理解できず、おばちゃんの睨みつけている場所を探そうと、体をあっちに、こっちに、とひねらせた。ついにおばちゃんが私のジャケットの袖口に視線をあて、「ボタン」と言っていることがわかった。「はあ、ボタン?」と袖口を上げると、カフスのボタンが糸一本で命をつなげている状態であることがわかった。怠慢であるというこの持って生まれた性格が、いつまでたっても更生されることもなく、この年になってもボタンがとれかかってブラブラしているような上着をきているなんて。恥ずかしさと共に、母親の怒りの顔が浮かんできた。
おばちゃんは 縫い付けてあげるから脱げ、と、もう針と糸を手にしながら殆んど命令口調で私を促す。「Now?」「Now!」
おばちゃんは針を口に挟んで、糸を巻きからひっぱり出す。今度はその糸の先っちょを口に入れて唾で塗らしてとんがらせる。そしてその先を針の穴に入れる。まさに自分の母親の針仕事を見ているようだった。
ちょっとノスタルジックな気分になっておばちゃんの手さばきを見ていると、今度は「Eat candy!」と命令する。おばちゃんが顎で指した先には、チョコレートや飴の入ったガラスのジャーがあった。
それを一つ摘み、口に入れる。
甘いイチゴ味の飴を舌で転がしながら、店内を見回す。偽の仰々しい花が花瓶に飾れ、古いミシンと糸の箱がカウンターの向こう側に置いてある。全く同じ柱時計が二つ、壁に並んで賭けられている。一つはポートランド現時間。もう一つは違う時間帯を指している。おばちゃんの手書きの「Korea」と書いた紙が貼り付けられていた。昭和風女優のカレンダーには、韓国語で あちこちにメモがされている。きっと韓国にいる子供や孫達の誕生日を書き記しているんだろうな、とセンチメンタルに勝手な想像をする。
きっとおばちゃんにも 私のようなだらしない娘がいるのだろう。今にもボタンが取れそうな服を平気で着ているのに、自分の娘を思ったのだろう。
縫い賃の請求もせず、私を追い出すおばちゃんに、少し母を思いながら、「おばちゃん、また必ずクリーニング出しにくるからね。」と誓った私だった。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2010年10月号
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