また 新しい年が明けてしまった。2011年なんて!
少女の頃の私には 遥か彼方の未来で、どんな世の中になっているのかなんて想像もつかなかった。早く大きくなって 大人になった自分を見てみたい、と年を取ることを急いだ。その待ちきれなかった未来が、ものすごく あっという間にやって来て、そこにすっかり大人になった自分がいる。その大人になった自分が、今度は、年を取る速度を緩めたいと 願っている。あんなにじれったく、スローに1年が過ぎていった子供の頃なのに、なぜ今は、Bullet Trainのように、時間が過ぎていくのだろう。不思議だ。新年明けて 年を取ることが、本当におめでたいのか、わからなくなってきているここ数年である。
だからと言って、新年を憂鬱な気分で明けるわけにはいかない。正月に行う行動がその1年に影響する、と心から信じている私は、元旦に何か意義ある事をして、ハッピーでなければならない。その後の364日も意義があり、ハッピーな日々であるようにするために。たとえそれが 瞬きしている間に過ぎて行ったとしても。
今年の案は、鯛の姿焼きを頂く、である。「めで鯛」という事で、縁起担ぎとして、来る福を祝おうじゃないかという趣向。
鯛の姿焼きなんぞ、親戚の結婚式の披露宴で、テーブルの真ん中にでーんと横たわっているのを見たぐらい。それなのに、なぜこの正月は鯛の姿焼きに執着しているかは、自分でもよくわからない。去年メキシコで一回食べてやろうと試みて、失敗に終わった屈辱もあるのか。
とにかく 魚を一匹丸々買ってきて料理をするなど、母親の元を離れてアメリカに来て以来、一度もないので、さてはて、どこで購入できるのやら、と考えた。近所のスーパーマーケットの鮮魚コーナーを思い浮かべる。あれ、魚を丸ごと売ってる?ましてや鯛なんて、置いてある?
そこで浮かんだのが、Uwajimaya。あそこならぜったい売っているはず。何にしても、大晦日にUwajimayaに買い物に行くのは、私の毎年の、新年を迎える行事なのだから、その時に確認できる。
鮮魚のセクションの前には沢山の行列ができていた。みんな鍋用の魚を買っているのか。キョロキョロと鯛の姿を探す。期待通り、丁度いい大きさの鯛が丸々氷の上に横たわっていた。鮮魚のお兄さんに「鯛を一匹ちょうだい!」と注文する。
するとお兄さんが、一匹持ち上げて私に見せながら、どうしたい、というような質問をしてきた。ぽかんとしている私に ハラワタを取るか、と聞いてきた。
はっ、そうだ そういうものがあった。本当にそのまま 「丸ごと」料理をしようとしていた自分がちょっと恥ずかしくなった。切り身にしなくていいからハラワタだけとってくれと頼んだ。
さて、元旦の早い午後、鯛の料理が始まる。ハビーの案で、イタリア風マッシュルームと鯛の鉄鍋焼き、に挑戦することになった。ハビーがみつけたレシピを読む。「ナントカというのを取った後」という一節があった。聞いた事のない単語が挿入されていた。「何?」と聞き返す。また「ナントカ」と繰り返すけど、わからない。なんだそれは 違う言葉で説明しろというと、何やら魚の表面にあるものをまずは取らないといけないという。そこでまた はっとする。「ウロコ」だ! またしても ウロコがついたまま「丸ごと」料理をしようとしていた。いただきまーす、と出来上がった料理を口に入れて、泣きそうになるハビーと自分を想像しただけで、冷や汗がでそうになった。元旦にはぜったい起こってほしくない、disaster である。
しだいに、昔母親と魚料理を一緒にしたのを思い出した。包丁の背でウロコを逆撫でして取った記憶がある。2、3度包丁を動かしただけで、ウロコがあちらこちらへと飛び散り、私の顔や髪の毛に張り付いた。あの鮮魚のお兄さんに ウロコも取ってもらえばよかったと、後悔。でも、プラスティックの袋の中でその処理を行い、なんとか台所中がウロコだらけにならずに済んだ。
鉄鍋で、ニンニクをオリーブオイルで炒めた後、塩コショーした鯛を寝かし、軽く白ワインをふり、蓋をして蒸し焼きにする。別の鍋で塩コショー、白ワイン、玉葱、パセリ、オリーブオイルで炒めたマッシュルームを焼きあがった鯛に載せて出来上がり。とてもシンプルで、あっさりとした味付けが、魚の風味を生かしている。
こんがりとした焼き色を付け、美しく横たわった鯛を眺めながら笑顔のこぼれるハビーと私。
フランス産の白ワインを頂きながら、イタリア風味の鯛をお箸でつつく二人。
今年も、トラブルを最小限に抑え、美味しいものを食べてシアワセだなあ、と思える一年になること間違いなし!
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2011年2月号
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