先週末ハビーと二人、2泊3日でシアトルに行ってきた。友人宅に泊まり、毎日外に食べに出かけた。寿司、タイワニーズ(ショウロンポーが旨かったあ)、ラーメン、そしてまたラーメン(トンコツ系こってりスープが流行っているようだ)。
良く食べて、飲んで、遊んで帰ってきたその夜、もちろん夕飯など作りたくない。でもまた外食するには、懐も痛いし、罪悪感で心も痛い。じゃあ、New Seasons辺りで 出来合いの惣菜でも買ってくるよ、とハビーがお使いに出てくれた。こういう時、フットワークの軽いダンナはありがたい。気持ちよーく行ってくれるから。そして、買ってくる物が違う。アーティチョーク、蟹、チーズの混ぜ物をヒラメで巻いた、後はオーブンに入れるだけ、の生を買ってきた。すでに下準備されていると言っても、オーブンに入れて自分で焼かなきゃいけないんだよ。オーブンは面倒臭くて億劫だ、というイメージしかない私、面倒臭い、と思った。でもハビーは、電子レンジに入れて料理するのと変わりはないよ、No biggie、とやっぱり軽い。エライ。じゃあ、任せた。
ずーっと暴飲暴食だったから、ちょっとヘルシーなものが食べたいと思ってね、とハビー、こんがり焼けたヒラメの横に、ケールサラダとアスパラガスのリゾットを盛り合わせる。旅行帰りの疲れた心身で、私には絶対思いつかぬ惣菜の選択。しかし、惣菜ではあるが、家で食べるご飯が一番美味しい、と思った。散々外で食べ歩いた後、留まるところはこの思いだった。
でも一体何故なのだろう。どんなに外で美味しい物を食べて来ても、家で食べる料理が一番と思う。そういえば、うちの母親、外食した後、家に帰ってくると必ずお茶漬けを食べてたなあ。お出かけ用の靴と洋服を脱ぎ飛ばし、シミーズのまんまで、自分の漬けた梅干しを取り出し、ズルズルお茶漬け食べてたよなあ、やっぱりこれが一番おいしい、とか言いながら。
楽しい外食やバケーションでも、家から一歩外に出ると、どこか緊張し、神経が張ってしまうもので、シミーズでうろうろできる家に帰ると、心が落ち着つき、梅干し茶漬けがどんな料理よりも美味しいと思うのだろう。プロのシェフが作った外の「硬い」料理は、疲れさせ、うちで食べる力の抜けた「和かい」料理がホッとさせるのかもしれない。
そこから思考が 家庭で作る料理、に移る。
家庭料理が一番と思うのは、おとっつあんだけじゃない。アタシもそう思う。
自分の味付けで、自分の好みに合わせて作った料理が何より。そうやってアタシの好みで育てる家族はアタシの好みを受け継ぎ、家族全員の好みになっていく。
私は、カレー、トンカツ、スクランブルエッグなど、外で注文しない料理がいくつかある。自分で作るのが一番美味しいと思っているから。そうするとハビーも 家で食べる方が美味しい!と言い始め、これらの食事を外で注文しなくなった。ああ、「家族の絆」って。こうやって築かれていくのね、と思った。少々ブレインワッシュ的な感じだけど。
こんな風に家庭の味について語っていると、ハビーが袖を捲り始めた。「オッケー、わかった、ボクがこの週末家庭料理を作ってあげるよ!」と威勢を切った。あれ、別に催促していたわけじゃないけど、作ってくれるの?アジの開きに 肉じゃが、揚げナスの浸し、とか?
作ってくれたのは チキンの味噌付け焼き、ローストしたビーツのサラダ、そしてかぼちゃのリゾット。うーん、やっぱり懲るヤツは発想が違う。前日から下準備に入るところなど 私にはありえない話。ハビーが自慢気に、自分が開発したという味噌マリネのレシピを挙げていく。「みりんは入れないの?」「ノー! 横から色々言わないの。すべて任せてればいいから!」
料理をする男が買いものに行くと、3つも4つも買い物袋がカウンターに並ぶはめになる。パーフェクトな仕上がりとプレゼンテーションの為に、別に無くてもいいんじゃないの?と思うような材料もしっかり買ってくる。本人プロと競い合う意気込み。ファンシーなアイデアと家庭料理は結び付かないような気がするんだけど。でも、不思議な事に、ハビーの「特別」な料理、ちゃんとハビーの味がするんだなこれが。ソースやドレッシングやマリネの中に確実にある。数年の結婚生活の間で、その味にすっかり慣れ親み、私にとっての家庭の味になっている。
帰る家があること、「やっぱり家庭料理が一番だね」と思えること、それって、最高に幸福なことだよね。
Kiki
Posted on 夕焼け新聞 2014年6月号
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