Thursday, December 29, 2011

おいしい話 No. 42「ビジネス ミール」

会社に勤めていても、フリーランスで仕事をしていても、相手が雇う側でも こちらが雇う側でも、仕事相手とランチやディナーを共にする機会がある。新しいビジネスをスタートする時や、もうビジネスの交渉はできていて これから先の進み具合を計る時や、もっとプログレスが欲しい時、もっと生産率を高めたい時などに、会議室でのミーティングでなく、外での食事の場が選ばれる事が多々ある。
もうビジネスが長い関係なら、非常にカジュアルに出かけられ、たまには家族や子どもの事など、プライベートな話を織り込んだリラックスした会話ができるが、まだ初期の段階で、ビジネスに行き着くかどうか、売り込みの最中の場合は、そうカジュアルにはいかない。

カジュアルな店を選び、自分がどれだけ 型にはまらない、フレキシブルな人間かをアピールすることができるが、フォーマルな店を選び、自分がどれだけコンサバティブで、きちんとしたビジネスマインドを持っているかをアピールすることもできる。または、最近浮上してきて、注目を集めている店を選び、自分が流行に敏感で、それをすばやくキャッチする鼻が利くことをアピールすることもできる。

でもここで気をつけたいのが、その最近流行りの店の人気度を把握する、ということ。自分と同じ鼻利きと自負する人間が 他に五萬といる場合、ビジネスミールの機会は Disasterとなる。
仕事を取り付けるまでには これから まだまだ時間がかかり、さまざまな段階を踏んでいかなければならない場合、当たり障りのない軽い昼食が好まれるわけだが、最近流行りのヒップな店だと、たとえランチでも、その流行度合いによって問題が発生するわけだ。

例えば、シアトルで近年開発が進んでいる South Lake Unionのエリアにある注目の「Portage Bay Café」。予約を取らないので、待ち時間が30分から40分、最終的には 1時間待つ事になりかねない人気店。
今街でBreakfast & Lunchといえばここだ、という大層な前触れをされると、 招待された方の期待度は高まる。せっかく来たんだし、30分くらい待てる、ということでレジの周りやら、外の歩道で他の先客たちと待つ。招いた方は ちとバツが悪いが、招かれた方も 今さら引っ込めない。相手を立てる上でも 待てると言いきるしかない。
さて、この待ち時間がだんだん気不味くなってくる。ただぼーと無言で突っ立っているわけにはいかないので、カジュアルな会話をお互い投げあう。10分ほどで、最初の“Get to know each other”的な質問は尽きる。次に、レストランの特徴や設立、オーナーのユニークな逸話など、知ってる限りの話題を提供する。「Portage Bay Café」の食材のほとんどがオーガニックで、地域のオーガニック農場から直接仕入れをしているんだ。とにかく ここのレストランの料理は、安心して体に取り入れることができるんだよ、とひとしきり語った後は、フロントのホストのお姉さんにメニューを借りる。どれもおいしそうだねえ。迷っていまうよ、どれがお勧めの品か、などと メニューに食入る。ケージフリーのオーガニックの卵の、オムレツもいいが、フルーツバーで 色々なオーガニックのフレッシュフルーツを自由にトッピングできる フレンチトーストやパンケーキもいいねえ。
30分が経過しても、まだ名前は呼ばれない。注文するミールもすでに決まった。店内を、小さな欠片でもいいから 次の話題のきっかけとなるもはないかと、頭をぐるぐる回して探す。そしてここで、やむなく本来の目的である商談が始まる。
この押し合い圧し合いしている入り口のドア付近で、立ったまま、仕事に関する質問が始まる。雇う側は、相手の経験やプロぶりを計り、どれだけ 関連する事業に精通しているかを見定め、利益生産としての可能性を見出すような質問を投げる。雇われる方は それらの質問に答えながら自分をアピールすると共に、雇い主の方の事業ぶりを逆に質問したりする。
やっと1時間後に名前を呼ばれ、向かい合って席に着いた時には、何も話す事がない状態になっている。もうここで話せる話題とは、料理のおいしさと、一皿の量の多さだけである。無言の間が ビジネスの進展に危機を与えかねない。
外に出て、じゃあ例の書類忘れずに送ってよ、なんて言いながら、別れの挨拶とする。ちょっと下降気味だったテンションを上げるかのごとく、異様に力強い握手を交わす。
ビジネスの成功の行方は知れずとも、「Portage Bay Café」で食事ができたという事実だけは、その日の大きな収穫となることは間違いない。唯一つ、ビジネスマンとして、メモ書きを忘れないで欲しいチェック事項である。


Kiki

Portage Bay Cafe
South Lake Union
391 terry ave n
seattle 98109
206.462.6400



Posted on 夕焼け新聞 2010年9月号

Friday, December 23, 2011

おいしい話 No. 41「クチコミの威力」

ポートランドでは わかりやすい繁華街の中や、ヒップで注目のエリアでなく、「こんなところに??」と思うような場所に レストランや バーを見つけることが多々ある。住宅街の中に一件ぽつんと看板を出していたり、ここは立地条件悪いでしょ、と思うような忙しい、または全く忙しくない交差点付近に小さなドアを構えていたり。まさに「クチコミ」という伝がないかぎり、商売なりたたないように見える場所にある。
そういうお店は、たいがい、その存在感もはっきりせず、通りから中の様子がわからない作りになっている。営業しているのか、していないのか。客が入っているのかいないのか。中の様子が外からでは まるでイメージできない。ドアを押して 一歩踏み入れるのはとても勇気のいることで、ガラ空きで従業員が退屈していたり、居心地の悪い客層だったりしたら、もうどうしようもなくなってしまう。それゆえ、誰か もうすでに行ったことのある人の推薦状と、その推薦者本人同伴でないと、なかなか行きにくいのである。
しかし、しかし、こういう、ビジネスをするには立地条件の悪そうなところにあるお店は、ユニークで個性的な特徴を持っていることが多い。店の小さな表構えとは対照的に奥行きが広かったり、かわいらしいガーデンパティオが裏庭にあったり。どうしてまた こんなに沢山の客がこの店のことを知っているのだろう、と不思議に思うほど店内が賑わっていたり。おしゃれでセンス溢れる内装だったり。 表からはまったく想像がつかない、いきいきとした雰囲気がクリエイトされていたりするのだ。一種の隠れ家的な要素と、他に知られていない、という優越感が、一度来た客の心を掴むのだろか。

NEのMLK通りにある「ALU」もそんなお店のひとつ。交通量の多い直線の道路の脇に立ち並ぶ建物の中に ある日突然看板が立った。車で通り過ぎる際に目をやっても、「ALU」という文字だけで、何のビジネスかは、わかりにくかった。人の出入りを見ることもなく、中の様子が見て取れるわけでもなかったので、少しの興味はあるものの、毎日の通勤で 目をやるだけで終わっていた。
そんな時、クチコミが私のところにも回ってきた。実はワインバーらしく、ワインにあったしゃれた料理も出す、とか。すでに何回か行ったことのある友人が、一緒に行こうと誘ってくれた。同伴者獲得!ということで ある日の夕方訪れてみた。
私の車窓から見たイメージでは、外に階段があり、それを上がった二階に入り口がある、と思いこんでいた。店の前で待ち合わせをした友人が、「さて、階段は、と、、、」と、どこかに行こうとしている私を引きとめ、「ここから入るのよ」と、ずーっと ガレージの入り口だと思っていたグレーのシャッターを指差した。そしてそのシャッターはガラガラと上に引き上げる戸ではなく、映画などで、隠し部屋に入る時に見る仕掛け扉のように、その戸を押すと回転して開くのだ。何回か来たことのあるこの友人がいなければ、入店は不可能だったと言い切れる。
一歩踏み入れると、美しいインテリアで施されていた内装が、外の世界を瞬間に忘れさせる。古いヨーロッパ調のソファーとテープルがゆったりと並べられ、落ち着いた照明がそれらを照らし、ビロードの朱色がきらめいていた。
二階に続く階段を上がると、カジュアルだけど落ち着いたダイニングエリアが広がる。バーを横切り、裏口にある扉を抜けると、パラソルとテーブルを並べた ガーデンパティオがあった。
誰があのシャッターの奥に、こんな世界が広がっていると想像するだろうか。
こうやって 賑やかにパティオでワイングラスを傾けて楽しんでいる人達も、クチコミ、同伴がなければ、ここの存在を知る由がない。

ここで私の関心が向けられたのは、一見レストランやバーとしては利益を得られそうにない物件を選び、設備投資をするオーナー達だ。彼らのビジネスに対する決断力と大金をつぎ込む肝っ玉の太さである。このオーナー達が、20代後半や30代前半だったりするから、もっと驚く。そして それが彼らのクールなところなのか、決して飲み放題の旗を振ることもなく、派手な電飾を外装のいたるところに施すこともなく、あくまでも ひっそり感をキープしている。

こういうタイプの店は、人々の話題にならず、半年や1年以内で消えていくのも多いが、クチコミ効果が高まり、雑誌に取り上げられるようにまでなり、さらに商売繁盛に繋がっている店もある。
なんにせよ、結論は、「お客様は神様です」。良いお口で語ってもらうには、店も人間も内側のプレゼンテーションが大事ということなのね。


Kiki

Alu Wine Bar and lounge
2831 NE ML King Jr. Blvd.
Portland, OR 97212
(503) 262-9463



Posted on 夕焼け新聞 2010年8月号

Sunday, December 11, 2011

おいしい話 No. 40「アメリカ食文化」

アメリカに来るまで 味わうことのなかった食べ物、飲み物というのが沢山ある。元彼が野球観戦の時に必ず手にしていた「ドクターペッパー」と「チリドッグ」、ホストのママに持たされたとクラスメートがランチとして持って来たた「ピーナッツバター アンド ジェリーサンドイッチ」、風邪を引くと魔法の薬のように出された「キャンベル チキンヌードルスープ」に、誰かの誕生日に呼ばれると必ず並べられている チョイスなしバタークリームのみ、カラフル カップケーキ。そして サンクススギビングのターキーに添えて出される「クランベリーソース」。あるお宅に呼ばれ、それが缶詰めから盛られたジェリー状の物だった時は 完全にデザートだと思っていた。

私にとっては、数々の衝撃的な出会いだったわけだが、アメリカ人の日常生活に普通に存在しているそれらの食品は、子供から大人まで愛され、アメリカの食文化となっている。その大雑把で、ストレートで、単一の味。一口トライする前にためらいの数秒、覚悟を決める数秒が必要だった。まあ 瞬間的に拒否反応を起こし、「あまり好みませぬ」という判定を下してきたわけだが、そんな大味食品の中でも「マカロニ アンド チーズ」は違っていた。
チーズ大好き人間の私は妙にハマってしまったのだ。あの Kraft ブランド Safeway価格1箱99セントに。マカロニと粉チーズのパウチが入っており、チーズをミルクとバターで溶かし、茹でたマカロニを混ぜるという代物。チーズ大好き人間と言いながらも、このチーズが 全くチーズと言いがたいほど粘りや糸引き感がない。ミルクをちょっと少なめに入れたり、バターを多く入れたりして「Thick」感を出そうと苦戦した。
たまに3箱で1ドルなどという激安セールに当たると、3箱買い、1箱分のマカロニに対して 2袋のチーズを贅沢に使ったりしたもんだ。
ベビーシッターをしていた7歳の男の子が、このチーズに たっぷりのミルクを入れてスープのようにして食べるのが好きなのを見た時は、眉をしかめずにはいられなかった。

ある日、元彼のステップマザー宅のBBQパーティーに呼ばれた時、そこで出されたホームメード マカロニ アンド チーズにえらく感動した。まず、Kraftブランドを使わず、ホームメードが出来ることに驚き、そしてその2種類のチーズをたっぷりと使い 粘りも濃さもよろしくできた味わいに、日本人ながらも家庭の温かみを感じた。
ESL中盤レベルの英語力で、レシピの説明の理解があやふやだったが、Safewayのチーズ売り場で、マカロニ アンド チーズが簡単にできるチーズのブロック売りを見つけた時は、ステップマザーはこれを使ったに違いない、と喜んだ。これもKraftブランドだったかは覚えていなが、3ドルくらいで、白と黄色の二種類のチェダー チーズがマーブル状に入り混じった塊。要するに バターとミルクで溶かせば あら不思議、簡単にマカロニ アンド チーズができる、という代物だった。チーズ好きの私は、小さいパウチの粉チーズをせこせこ使うレベルから グレードアップして、このチーズを惜しみなく使い、自分好みのどろどろの一品を作った。ホームメードの物とは程遠く、明らかに「Craft」な味がしたが、なぜか この大味にハマってしまった。
今はもうそれほど頻繁に食べることはないが、時々懐かしくなって食べたくなることがある。そんな気持ちになるのは、マカロニ アンド チーズをレストランなどのメニューでみる時だ。名前には懐かしさを感じるが、それを7ドル、8ドルで売っていることに対しては、いささか納得がいかない。
この間 行った 少々お高めのイタリアンレストランで10ドルの値段がついているのには目が点になった。が、身分不相応にもそんなところに行ってしまったものだから、頼みは 一番安いこの10ドルのマカロニ アンド チーズしかなく、小さい小山に上品に盛られたマカロニを、一つ一つ不甲斐無い思いで食べた。
ハビーに 断然Kraftより味が優れていてランクが上、と紹介された1箱3ドルのAnniesブランドが、懐かしい大味を楽しみたい時のレスキュー商品となっている。1箱茹でると、ボール二つの大盛りマカロニ アンド チーズができる。それをスプーンでごそっとすくって もぐもぐと食べる。ああ、私もすっかりアメリカの食文化に染まってしまったのね、と感じる一時。

Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2010年7月号

Friday, December 9, 2011

おいしい話 No. 39「カルパッチョ」

南国の海を目の前にして育った私は 新鮮な刺身を あたりまえのように週に3日は夕食で食べていた。どちらかというと焼き魚より 刺身を好む。生好きは 魚介類に限らない。社会に出て初めて連れて行ってもらった カウンターの回らない寿司屋で食べた新鮮生牛肉の握り寿司や、焼肉屋で食べたユッケは、魔法の食べ物のように私を虜にした。もう2度食べるチャンスはないと思われる鯨の刺身や馬刺しも、遠慮なく頂いたもんだ。生肉にまったく抵抗がない私は、焼肉も あんまり焼かない派で、ステーキも限りなくレアに近いミディアムレアを好む。
地元には似つかわない、とってもおしゃれなイタリアンレストランがオープンした時、「カルパッチョ」なる生肉料理があることを知った。それはフグ刺しよりも薄いのではないかと思われる薄さにスライスされた生肉を、フグ刺しのようにお皿に敷き詰めて、オリーブオイル、レモン汁、塩コショウなどでシンプルに味付けされた一品である。私の中で その美味しさは ユッケに続く衝撃があり、あれっきりのカルパッチョ、と心に残ったままだった。
シアトルの「Machiavelli」というイタリアンレストランで 数年ぶりにカルパッチョとご対面をした。カルビ二切れ分に相当するのではないかと思われるほとの薄切り肉が皿に広げられているわけだが、お値段はカルビ二切れ分なわけはなく、その当時、一皿9ドルから12ドルくらいした。そんなわけで、友達とシェアなんかすると、あっという間に消えてなくなる。本当は、自分だけに一品注文して まるでフグ刺しを豪快に食べる人のように、皿の上にフォークを走らせ、肉をかき集めて食べたいところなのだが。
それから後に、「Wasabi Bistro」で ハマチやマグロなどの和風カルパッチョを味わった。刺身用に切られた自分のチョイスの魚を ポン酢ベースのソースで頂く。軽くハラピーニョのみじん切りが振られていて ニンニクやわさびと違うピリ辛感があり、これまた虜になった。ここもまた 一品12ドルほどしたように思う。大きくなって 出世したら 一品まるまる自分で食べるんだあ!と 心に誓ったものだ。

あれから 数年、すっかり大きくなって、出世した私は、ふと舌がカルパッチョを求めていることに気がついた。イタリアンレストランに行く度に、前菜あたりでカルパッチョ、正しくはCarpaccio、を探したが、以外になかなか作っている店がないことに気が付いた。イタリアンレストランと名を出しておいて、カルパッチョを置いてないとは、どういうことだ、と憤慨していた。魚バージョンでもぜんぜんいいのに、と思っていたが、フュージョン系の店や寿司屋でも見ることがなかった。
友達とハッピーアワーに行こうよ、と話しているその電話口でぐずった。「カルパッチョが食べたい。」
友達が「あそこは?ここは?」と知ってる限りのポートランドのイタリアンレストランの名を挙げた。カチャカチャとコンピューターのキーボードを叩き、検索をしたが、掲載しているメニューでCarpaccioの文字を見つけることはなかった。私のクズリ度が高まる。
困り果てた友達が、「“カルパッチョ”で検索しなよ」と一言。まさに盲点をついた名案だ。興奮するその勢いでカルパッチョの綴りを叩いた。
出てきた、出てきた。ポートランドダウンタウンエリアでカルパッチョが食べられる店3軒が現れた。
その中の一件一件のメニューをチェックしていた私の心が躍った。Bastas Italian Restaurantはカルパッチョがハッピーアワーのメニューにあり、なんと5ドルではないか! しかも平日で5時から11時までという、型破りなハッピーアワー。5時に仕事が終わって、5時半にはお店に着いて、6時半のハッピーアワー終了までに しっかり注文するぞ、という通常のあせった体勢ではなく、余裕で臨めるわけだ。

テーブルに着いた私は、メニューを手に友達に一言、「カルパッチョ、一皿 一人でいかせてもらいます。」やっと念願の日が来た。一人でフグ刺しをさらうようにカルパッチョを食べられる日が。5ドルという値段が私の心から罪悪感を消してくれる、というのが実情の出世街道を行く私。少々薄っぺらではあるが、味のあるカルパッチョに魅せられている今日この頃だ。


Kiki



Bastas Trattoria
Italian Restaurant & Bar
410 Northwest 21st Avenue
Portland, OR 97209-1104
(503) 274-1572



Posted on 夕焼け新聞 2010年6月号

Thursday, December 8, 2011

おいしい話 No. 38「メキシコ家族旅行」

ここ数年、年に一回、ハビーの両親と弟と一緒にメキシコに家族旅行に行くのが恒例になってきた。私が一番最初に参加したのは 付き合い始めて半年、まだ結婚などの話が出る前で、ハビーの両親には1回しか会ったことがなかった。つまり2回目のご対面で、いきなり家族旅行に参加してしまったわけ。さすが、アメリカ人の心の大きさは大陸の大きさのようです。
カルチャーの違いというか、1回しか会ったことないのに、もう家族旅行に参加してしまった私は 緊張して、どういう行動に出てよいものかと、いつもドギマギしていた。プラス、初めてのメキシコ旅行で 言葉も土地感覚も全くなかった私は、ただひたすら、自分が何をしたいと言うこともなく、皆の意見にすべて同意しながら、後をついて回っていた。

今年のメキシコ家族旅行は、私にとって あの初参加依来2回目の、Puerto Vallartaという市が選ばれた。頻繁に会うことができない距離に住んでいるから、家族で一緒に過ごす時間を作るための家族旅行、が趣旨なわけで、ホテル代など主な費用はこの御両親様から出ていることを考えると、あんまり自分勝手な行動はとれない。が、自分達の意志で行動し、自分達なりに楽しめる日を1日持ってもいいじゃないか、ということで、数日滞在する中の1日はハビーと二人だけで過ごすことになった。
そこで 二人が選んだのはダウンタウン。Puerto Vallartaはメキシコの西海岸にある市で、ダウンタウンは海に面した海岸にある。最初の旅行で来た時に 強く印象に残っていたのが、ビーチ通り沿いに転々と設置されていたオブジェ達。どこの芸術家の作品なのかわからないが、何か宗教的で、宇宙的で、未来的で、強い願いや希望を表現していた。
もう1度あのオブジェ達を見たい、今度こそは写真に収めたい、という私の不完全燃焼から来た思いが ふつふつと沸き起こる。なぜ不完全燃焼なのかというと、つきあって間もない彼氏の一家について回ってた最初の旅では、カバンからカメラを出すことさえもできなかったほどのドギマギ状態だったのだ。なんてウブな私! 今回、このオブジェ達をまた見ることができた喜びで、私は写真を何枚も撮った。これでもか、と言わんばかりに。

ビーチ通りをさらに歩き続けると、砂浜にロマンチックに赤いクロスのテーブルを出し、藁のパラソルを立てたレストランが見えた。あら素敵なお店じゃないの、と近づいていくとその隣にも、またその隣にも、ロマンチックなレストランが並んでいるのが見えた。前に来た時には、ここまで足を延ばさなかったので気がつかなかったが、主に観光客を対象としたレストランがビーチ上にぎっしり並んでおり、それぞれが広げたテーブルとパラソルで 訪れる人々を呼び込んでいた。
すっかり雰囲気に呑まれたハビーと私はここで夕食を取ろうというこになった。そこまでの決断はよかったが、ハビーが鯛の丸焼きをレモンとバターとガーリックで頂く料理を食べたい、と言い出した。それに対して私が、新鮮な白身魚、海老などを使ったメキシコ風シーフードサラダのCebicheを食べたい、と言い出す。お互いをハッピーにするために、その両方を、おいしく、安く食べられる店をみつけなければならなくなった。
一件一件外に掛けているメニューを覘きながら、レストランの立ち並ぶビーチを、上ったり下ったり。鯛はあるがCebicheがない。Cebicheはあるが鯛がない。Cebicheも鯛もあるが、鯛が切り身で姿焼きじゃない、などと決めかねているうちに、気が付いたら太陽が水平線にどんどん傾き始めた。そして、ビーチに並ぶテーブルにはキャンドルが飾られ、松明に火が灯され始めた。
とうとう陽がすっかり落ちてしい、決断できない自分達に嫌気がさしてきた頃に、やっと無理矢理1件の店に入った。そこはビーチ沿いでもなければ、鯛もCebicheも置いておらず、それは特大マルガリータと、マリアッチの陽気なおじさんたちの演奏にとってかわる、という、私たちに非常に有り勝ちな結末となった。
私たちが 何故かクラムチャウダーなどをすすっているその頃、ハビーの両親と弟は、どこかで鯛の丸焼きを食べていたと翌日判明。自分の意志がどうだとか、ワケのわからないことを行って別行動などするものではない。家族旅行では 家族と共に行動し、両親の意見に素直に同意して後を付いて回る事。途中どうであれ、結果、美味しい物を逃す事はない。家族と一緒に過ごす時間はとっても大事なのです。特にこんな優柔不断な二人には。

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年5月号

Tuesday, November 22, 2011

おいしい話 No. 37「ある一定の年齢に達すると、、、」

ある一定の年齢に達してしまうと、いろんな意味で 野心が失せて行くものだなあと、ある一定の年齢に達してしまった私は思う。美しさを追求するあまり トリートメントにパックにマッサージと1時間風呂を重ねる毎日。殿方に好まれたいと化粧に30分、ブローに30分、洋服選びに1時間かけていたあのエネルギーにあふれていた若き頃。脱いだらスゴイのイメージを頭に、高いスポーツクラブの会員になり、週に3回のジム通いを欠かさなかった闘魂の日々。
私の中での「野心」というのは まあ モテタイということに直結していたわけだけど、近頃の私は、10分のクイックシャワーに、5分のダッシュメークに、濡れた髪は自然乾燥の毎日。下腹の肉を掴みながら、これはどこからやってきたのだろうと他人事のように疑問に思い、吸引で脂肪を取るのはいくらかかるのだろうかと、安易な道を思案している。
まったく 野心のボルテージはゼロ地点まで下がってしまっているわけだ。
いったいナゼ。
「ハニー、またバスタブの排水溝が君の髪の毛で詰まっているよ!!」とハビーの怒り声が風呂場から飛んでくる。そうだ、このぬるま湯のように心地よい既婚生活が、私から緊張感を取り去っているわけだ。スイートなハビーに大切に守られている、婚活というものをもう2度としなくていい、という安泰感が、精神のゆるみ、身体のゆるみに繋がっているようだ。
でも ここからどうやって 若い頃のような緊張感のある生活に戻すことができるのかしら。こんなに優しいハビーがいるのに、外に向かって モテタイ野心を掻き立てるのもおかしな話だし、第一、世間の男たちは 既婚者と解ると 後ずさりし、そそくさと会話を終了に持っていこうとするではないか。プラス、ある一定の年齢に達すると、どんなにごまかそうとがんばっても、ごまかしきれない現実が、シワの間から滲みでてくるものなのだ。
結果、パジャマのままのカウチポテトなわけである。

そんなある日、気分を変えるに限る!と、とうとう重い腰をあげ、パジャマから 久しぶりに丹念に選んだ服に着替え、女友達と夜の街へと繰り出した。
年齢を聞かれても「二十、、、才!」と堂々と答えれた独身の頃は、バーで自分の財布を取り出す必要など全くなかった(という記憶)。今では 友達も私も年齢を聞かれると聞こえない振りをしたり、見た目と苦しいギャップが出ないところで年齢をごまかしたりする事を、全くに自然に行うようになった。それでも、私の薬指に 人の目を突き刺すように光る100キャラットの指輪(本人検証)を見ると、バーに群がるハンター達も 3メートル以内に近寄ってくる事はない。
ということで女友達と、もちろん二人きり、あるバーのテーブルで ひたすらしゃべる事に集中していた。会話にポーズが入るのはワインをすすっている時だけで、アルコールが補給されると、さらに勢いがつき、誰も間に割り込めない状態だった。
そこにウエイターが、突然、躊躇なく割り込んできた。「あの、あちらのカウンターの男性が、お嬢様方に何か御飲み物を買われたいとおっしゃっているのですが。」私たちのBullet Trainに急ブレーキがかかった。疑いの目でそのウエイターを見上げる私たち。頭が一生懸命、何が起こっているのか理解しようと奮闘している。ぽかんと口を開けたまま返事をしない私たちに ウエイターが再度、ゆっくり丁寧に同じセリフを言って聞かせた。
「あちらの方」と示された方に体を傾け、目を細めてその紳士を探す。微笑を浮かべ、軽く指先だけで合図を送ってくる 頭の禿げた50過ぎの男がいた。友達としばし顔を見合わせる。「それじゃあ 同じワインを頂くわ」と注文し、私達の会話は再起動された。
今度は 痺れを切らしたその男が自ら、私達の会話を中断しに来た! 薬指のサインもノープロレム。すっかり私達の席に居を構え、自分がどんなにサクセスフルかをアピールし始めた。友達が私の視線をその男の手に促す。さっき取ったであろう指輪の後がくっきりと薬指に残っていた。この男、秘めた目的を水面下に、しゃべりの「技」をフル使用。次のお酒も奢ると言って聞かない。遠慮なく、一番高いシャンパンを注文してみた。
ある一定の年齢に達すると、こういう状況を冷静に捉え、頂けるものは しっかり頂いて、上手にお暇することができるようになる。

家に帰るや否や、即座にパジャマに着替え、コメディショーを見ているハビーの横にぴたりと寄り添う。やっぱり、ある一定の年齢に達すると、これくらいの湯加減が、一番健康的である、という結論を出した。


Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年4月号

Sunday, November 20, 2011

おいしい話 No. 36「女一人、バーにて。」

私もポートランドに暮らし始めて もう数年が経ち、お金が有る無しにかかわらず、様々なレストランやバーに出没して、行った事ない場所なんかない、かのようだけれど、やっぱり まだまだ甘ちゃんのようだ。毎日新しい店がオープンしているんじゃないかと思われるこの街の レストラン、バーの多さには 全く追いつけていない。
その大半の「行ったことのないレストラン、バー」というのが ホテル内で営業している店たち、ということに最近気が付いた。ホテルには大概 しゃれたバーや レストランがあるものだけど、いつも選択肢に入ってこない。なぜいつも「忘れて」しまうのだろう。
ひとつの理由はたぶん 7、8年前、最後に日本に帰った時に泊まったホテルのラウンジで カクテル1杯に1500円取られたことが、トラウマ的ダメージを私に脳に与えているのだと思う。ホテルのバー イコール 高い、という理由で自動消去されているようだ。
でも、最近 私の中で、レストランはさておき、ホテルのバーを見直そうブームが起きている。
ホテルのレストランの 高くて気取っているだけで、料理はまずい、という偏見はしっかり健在しており、それを覆す経験はまだしていないので、今だ評価の格上げはない。しかし、ここポートランドでは、どこで飲んでも基本的にバーのビール、ワイン、カクテルの味や値段に さほど変わりがないので、他の要素が評価の重要ポイントになるのだ。
ホテルは 旅のお客さんをもてなすために、落ち着いた、寛ぎのある雰囲気をコンセプトに造られているので、バーエリアも ゆったりとした空間を基本に壁の色調や 照明がデザインされている。そして 一回ズバっと座ってしまうと 旅で疲れた体をすっかり癒してくれる あのクッションの効いた贅沢なカウチたち。旅で秒刻みに走り回る客達も、バーエリアに入ると 時計がゆっくり回っているように感じられる。同じ場所を共有する他の客人たちも、騒がしいガキんちょ達でなく、場所をわきまえたアダルトな方々ばかり。カクテルサーバーたちも やんややんやと煩く、5分毎にやってきたりしない。ちゃんと時を計らって、ほっといてくれるのだ。
そして なんといってもホテルのバーのご賞味は、一人で何の引け目もなく飲めることだ。私ぐらいの大人な女になると 一人で行く 行きつけのバーのひとやふたつ持っていたいものだ。普通の飲み屋だと「寂しい女」「孤独な女」に映るところが、ホテルのバーだと違う。いや、日本のホテルのバーは情事の密会の場所というイメージがあるが(テレビの見すぎ?)、外国のホテルのバーだと、一人で飲んでいても、「タフな商談を取りまとめ、はーっと 一息つきに来たデキル女」だったり、「遅いフライトまで時間があるから その時間を使って仕事から暫し自分に戻っているデキル女」に映るわけだ。例え寂しい一人旅をしている女に見えても、「傷心」でありながら「燐」とした姿に見えるから 決してDesperateではないわけだ(これも かなりテレビの見すぎ?)。
ま、結論から言うと ホテルのバーはこういう妄想劇をかきたててくれて、一人でバーで飲んでいるという状況を 自分の中で 正当化できるわけ。これは場末のTavernじゃ無理な心理作業なのよ。
そんなわけで、近頃の私は Riverplace Hotelのバー、Three DegreesでWillamette Riverを窓越しに見つめながら、「商談で来たポートランド。ここに住んでいる友人と約束しているDinnerの時間まで、シャドネーを片手に、寛ぎながらも、今日の仕事を振り返っているデキル女」になっていたり、Hotel deLuxeのバー、The Driftwood roomで、マティーニのグラスを傾けながら、「今日が最後のビジネストリップ。部屋に上がる前に、バーテンダーと談話を楽しみにきたデキル女」になったりしている。
実際、現実として 私がどう世間様に移っているかは 不明であるが、ま、それはあえて気にせず、一人でバーに行ってみたい、でもちょっとその勇気がなーい、という女性にはホテルのバーがお勧めです。私のように 自分の妄想劇のテーマを持って行くことは あくまでも補足ですが、適用される場合は それに合わせて ワードローブを決めるのも楽しいでしょう。でも 間違っても、ホテル側に勘違いされて 追い出されるようなカッコウはしないように。

Kiki


Riverplace Hotel
1510 Southwest Harbor Way
Portland, OR 97201

Hotel deLuxe
729 SW 15th Ave.
Portland, OR 97205


Posted on 夕焼け新聞 2010年3月号

Sunday, November 6, 2011

おいしい話 No. 35「キーワードはコミュニティー」

先日、1月16日に行われた、Yuuyake Shimbun主催の「コミュニティー新年会」に行ってきた。2010年の新年会ということで、集まった人たちが一緒に映画を見て楽しむ、という趣向。なにやら入場料はタダ、スナックや飲み物もタダというわけで、普段 腰の非常に重い私も、簡単にお誘いにノッてしまった。

会場は 宇和島屋の近くにあるKyokushin Karate Dojo。お隣でIto Clinicを開業している伊藤さんが、この道場で空手を教えているとか。練習を終えたばかりなのか、胴着を着たちびっ子達が 他のちびっ子達と交って走りまわっている。親御さんたちや Yuuyake Shimbunの広告を見て集まった人達が 賑やかに交流をしている中に 私も飛び入りでおじゃました。

今夜のメインイベントは 映画鑑賞。あの有名な宮崎駿監督の「ハウルの動く城」が上映される。子供の頃は 世界名作劇場(元カルピスこども劇場)の「赤毛のアン」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などお馴染みのアニメを毎日くらいつくように見ていたのに、大人になってからは あまり興味を持たなくなってしまった。映画館に足を踏み入れることもなく、DVDを自ら借りることもなく、アニメから すっかり遠のいていたので、こういう機会はとても新鮮に思えた。

上映前に 歓談している参加者を中央に集め、伊藤さんから コミュニティー代表としてのスピーチがあった。地域で活躍しているビジネスがスポンサーとなり、こういう企画を考案、実行し、地域の人々の交流、絆をどんどん深めて行きたい、というのが本来の目的とおっしゃる。そういう希望に溢れる意志に、私はちょっと驚いた。日本に居たって 地域の交流を、なんて言ってる所は少ないのに。ましてや 個人主義のここアメリカにバラバラに住んでいる日本人の間で、そういう意識を強く持って 実際に行動を起こしているなんて。

プロジェクターの光が 道場の白い壁に映し出された。いよいよ上映が始まるようだ。興奮したちびっ子達に混じって私も スクリーンの前に陣取る。そして 茶色い紙袋に入ったスナックが参加者全員に配られた。「あら わたくしにも頂けるなんて?」と 大人ぶってみたものの、一旦その紙袋を手にすると、子供の頃に感じた「嬉しい」気持ちがグッと沸いて来て、にんまり笑いを抑えることは出来なかった。

部屋の電気が落とされ、いよいよ映画が始まった。待っていられない子供達がさっそく袋をガザゴソと開けて ボリボリとスナックをかじる音が響く。私も暗闇をいいことに こっそり自分の袋を開いて 中身を確かめる。おせんべいに「うまい棒」に「チュッパチャップス」(知ってます??)、そして小分けにジップロックに入れられた「かっぱえびせん」などバラエティーにとんだお菓子が入っていた。それを見て私は更にグググッときてしまった。なんて子供心をくすぐるおやつ袋なんだろう! 大人のはずの私も すっかりくすぐられてしまった。
マットレスで敷き詰めれられた道場の床に体育座りし、スクリーンのアニメを食い入るように見ながらも、お菓子を口に持っていく手は休まない。私は自分の子供時代にタイムスリップしたような気がした。
私の子供のころは 近所に公民館があり、地域の交流の場としてよく利用されていた。新年会、節分、ひな祭りに、子供の日、七夕祭りに、お月見、そしてクリスマス会と、地区会の会長を筆頭に親達が計画を立て、年中行事がそこで行われていた。それらの行事を通して、小学校のクラスで会わない同地区の友達と遊べたり、PTAとは違う親達の交流が深められる機会となった。ゲームをしたり、歌を歌ったり、演劇をしたり、もちろんおやつもしっかり与えられて、本当に楽しくって みんなが仲良かった思い出。そういうものを この道場から本格的に作り上げていこうとしているんだな、と思った。

「ハウルのナントカ」っていうのは 聞いたことあったけど、私には ああいう宮崎駿の独特でストレンジな世界にはついていけない、と思っていたら なんと、映画の終わりで からっぽのお菓子の袋を握り締め、感動してぽーっとしている自分がいた。戦争も争いもダメ。世界人類仲良く暮らさなければ。小さい事からコツコツと。自分が居るコミュニティーから作り上げて行く事が大事なのです!
悟ったように大きな気分になって帰って来た私。興奮してハビーに話すと、「Haul’s Moving Castleだろ?もちろん 観てるさ。あったりまえだろ。あんなCoolな映画、君は今まで観た事なかったワケ???」と見下げるように言われた。「コミュニティー新年会」、参加してよかったです、、、。

Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2010年2月号

Saturday, October 29, 2011

おいしい話 No. 34「移動ピザ釜」

ポートランドはユニークな人やお店が多い街だなあと、いつも思う。人々の個性が強く、誰が何と言おうとも、どういう評価をしようとも、自分が信じたことを貫き通す、という特徴があるように思う。世間体とか、こうあるべき、という型を無視した、はっきり言って、もろ自由人の集まり。そして、自分たちのやってる事やアイデアは クールでイケている、という確固たる自信。
その不動の自信はどこから来るのだろう、、、。こちらが、明らかに「?」と思うような事でも、あちらさんの自信満々のトークとアクションに、こっちまで呑まれてしまうから不思議だ。

12月ともなると、町内のあちこちにクリスマスツリー屋さんが 空き地などに店を広げ始める。うちの二件先の空き地も、ある日クリスマスツリー屋さんと化して商売を始めていた。毎年ツリーを買って飾ってきたけど、今年はいいかなあ、なんて思ってたところに、引きずって帰れる距離にツリー屋さんができたもんだから、また今年もツリーを飾ろうか、という気になってきた。
日もすっかり落ちたある夕方、ハビーと二人でツリーの買い物に繰り出した。金網のフェンスで囲まれた小さな空き地内に、沢山のツリーがところ狭しと並べられ、色とりどりのクリスマスライトが、辺り一面、煩いくらいチカチカと飾れられていた。
ここは 一般の短期ツリー屋さんには見られない ちょっと変わった商いを広げていた。入り口を入ったところに 煌々とした照明付きのガラスのショーケースが置かれ、ガラス細工の何かが並べられていた。ナンだろうこの鮮やかな色の丸い物達は、と覗き込むハビーと私。
「ハロー ガイズ!それは地元のアーティストが作ったガラスのクリスマスオーナメントだよ!」と元気な声が横から聞こえた。声のする方に体を起こして目をやると、パーカーにジーンズ姿のお兄ちゃんが、バックグラウンドに流れるロックに乗りながら、大きな台の上で何かをこねていた。
この大きな台とは、貨物トラックの平らな荷台のような物で、タイヤが付いており、その上にはミニチュア版鎌倉のような、穴の開いた、こん盛りとしたものが乗っていた。ただそれは、雪ではなく土で作られており、中にはゴウゴウと火が燃えていた。
「ピザだ!!」とハビーが狂喜を発する。パーカーのお兄ちゃんがニンマリ笑顔で答える。私は「出た」、と 心の中で一声をあげる。

並べられたツリーの間を縫い、品定めをしている私の後を小走りに追いながら、ハビーが耳打ちをしてくる。「いやー、あのピザはなかなかおいしそうだよ。どうだい、ひとつ今夜はピザをディナーにするってのは。」
そこにツリーの向こうから お兄ちゃんの声が。「ツリーは20ドル。でも 値段交渉、大いに受けるよ!」
それなら、ということで、値切り担当の私は、選んだツリーを掴んで、「ピザも買うし、ツリーも小さいから、15ドルにして」と頼む。ロックにノリノリのお兄ちゃんは、あっさりOKを出す。しまった、10ドルと言えばよかった、と舌打ちする私。背後から、ハビーが嬉しそうに顔を出す。
さて、どんなピザが好きかい?と聞いてきたが、メニューがない。どんなピザがあるのかい?と聞き返すと、なんでもできるよ、ベジタブルでもミートでも!と返ってくる。「何が好きかい?」「ベジタブルもミートも好きなんだけど、、、。」「オッケー、君たちが好きなのが完璧にわかった。僕に任せて!」と言って、ピザの生地をこね始めた。
どういうこと?と思っている私の横で、ハビーは興奮気味。楽しみでしょうがない、という風だ。
一見怪しいが、ようく見ると、ピザ生地や釜、ピザを出し入れするシャベルみたいなヘラも本格的だし、出来たピザを取り出して切るまな板もマーブルだったりする。手作りのソースも釜に入れた後、甘く香ばしい匂いを放ち始めた。

12月25日が過ぎた後、このお兄ちゃんはどうするのだろう。この空き地で、ツリーをとっぱらった後も、ピザ屋として商売を続けるのだろうか。それとも新たな地を求めて、この釜を引っ張って旅にでるのだろうか。

降り始めた雨のせいか、電気がショートを起こし、突然回りの華やかだったライトが消え、ロックの音楽も止まった。私たちのピザが入った釜だけが、オレンジ色の火を上げて 暗闇に浮き上がった。
お兄ちゃんは 焦りもせず、ま、こんな事もあるもんさ、という態度で直し始めた。私にはありえない人生観とイディオロジーを持った人達。そんな人達が、ポートランドには溢れているように思われる。

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2010年1月号

Sunday, October 23, 2011

おいしい話 No. 33「カオソイを尋ねて三千里」

人間というのは 自分の欲求を満たすために 果てしない努力をするものだ。人々はキャリアで成功して裕福な生活ができるようにと、日夜働きまくる。スポーツ選手は優勝のメダルを手にいれるために、永遠とも思われる練習に励む。幼い頃に母を失くしたマルコは、その母と再会を果たすまで、諦めることなく 苦難の旅を続ける。うちのハビーのカオソイ探しも、似たようなもんである。

真のカオソイをアメリカで見つけるまで、彼のそれを追い求める過酷な旅は終わらない。
タイ滞在中に、生涯に食べたことのないある料理に出会ったハビーは、帰国してからも、もう一度その一品に出会うために、なんとか本物に近い味をここアメリカで見つけるために、その探求の旅を始めた。
ハビーと出会った頃、幻のタイ料理の話してくれた。ヌードルスープなのだけど、普通のヌードルスープじゃない。カレーの味がするけれども、タイカレーでもないし、カレーうどんでもない。揚げた麺がのっかっているけど、もちろん 九州名物皿うどんでもない、と。私には その一品の想像がつかなかった。
アメリカではカオソイKhao SoiはPad Thai NoodleやGreen curryのように普及しておらず、タイレストランで見つけることはほとんど皆無だ、と当時のハビーは嘆く。通常Pad Thai NoodleとGreen curryしか頼まなかった私は、彼の悲痛な嘆きが全く伝わってこなかった。

そんな中、シアトルのBroadwayにある「Noodle Studio」(現在閉業)でカオソイがメニューにあるのを見つけた。アメリカで初めて見つけた!! そして、やっと私に伝説のその一品を見せることができる!ということで大興奮のハビー。運ばれてきた器に、こんもりと盛られた揚げヌードルを見てニンマリ。その喜び様は ヨダレが口の端から飛び出しそうな勢いだった。
箸をカレー色したスープにつっこんで掻き混ぜると中から卵麺が姿を現した。ズズズとスープをすすった後、ちょっと口をへの字に曲げながらうなずく。ズズズと麺をすすった後も またちょっと口をへの字に曲げてうなずく。「Yeah, it’s okey。 yeah, it’s okey。」を繰り返すハビー。私も片方の眉を吊り上げながら、味見の手を延ばす。なんとも説明できない味がした。
アメリカでカオソイを見つけることができたのは非常にナイスではあるが、何かが「Not quite right」だったようだ。
同じくBroadwayにあるRom Mai Thaiは、シアトルに住んでいた時の私のお気に入りのタイレストラン。アメリカでの カオソイとの初めての出会いに不完全燃焼なハビーは メニューに載っていないが、そこで働いているタイのお兄ちゃんに聞いてみた。すると、「もちろん知ってますよ。あなたのために特別に作ってあげましょう!」と軽快な調子でオーダーを取ってくれた。大喜びのハビーだったが、彼の情熱とは裏腹に、私はやっぱり その料理と味に強い印象は受けなかった。したがって、一緒になって追いかけ続ける思いなど生まれてこなかった。

ポートランドに移ってきて、暫くたったある日、パーフェクトなカオソイを見つけた!とハビーが大騒ぎで家に帰ってきた。DivisionにあるPok Pokがタイで食べたのと非常に近いカオソイを作るというのである。もうその頃には、カオソイと鼻息荒く語られても何のことを言っているのか、忘れていた私。
しかし、一度Pok Pokのカオソイを食してからは、まるでそのヌードルスープに初めて出会ったかのごとく、一揆に恋に落ちてしまった。そして ハビーの三千里の旅の後についていくようになってしまった。
Pearl districtのPeem Kaewのカオソイのスープはかなりいい味を出していたが、Pok Pokのように鶏肉を骨ごと煮込んだような深さが足りない。AlbertaのOne Thaiはスープが足りなく、麺が卵麺ではない。揚げ麺が多すぎてもダメだし、スープが少なすぎてもだめ。鶏肉は骨ごと時間をかけてスープと一緒に煮込まれてないとだめだし、カレー風味が強すぎてもだめ。
完璧への厳しい探求は続く。
同じくAlbertaのThai Noonはよく行くのに見かけたことがないと思ったら、オフメニューで注文があれば作るとか。高くて近寄らなかったSaim Societyもその一品をメニューに乗せていることを確認。BeavertonにあるRama Thaiの評判は高く、驚いたことにダウンタウンのSauseboxでも見つけることができる。
現在の時点で、Pok Pokが彼の言う本物の味に一番近いものを出しているとか。それでも「Not quite right」な評価を下す彼の旅は、果てしなく続いていく。

Kiki




Posted on 夕焼け新聞 2009年12月号

Thursday, October 20, 2011

おいしい話 No. 32「魔法の煮込みハンバーグ」

昔一緒に住んでいたルームメートが時々作っていた煮込みハンバーグが 突然、無償に食べたくなった。彼女のハンバーグは、1個でお腹いっぱいになるジャイアントサイズで、何をどうやっているのか 私が過去に作ったハンバーグより柔らかく、お箸で割ると 肉汁がじゅわーっと出てくる。そうとう煮込んでいるとみられるデミグラスソースのような洋風ソースは、こってりまろやか、ご飯が進む進む。
当時、彼女が台所に立って、この煮込みハンバーグに取り掛かっている時は、ろくに注意も払わず、カウンターの端にひじを乗せ、ワインを飲みながらボーイフレンドの話やゴシップを捲くし立てていたもんだから、作り方なんぞ 知る由もなかった。
アメリカにはデミグラスソースの缶が売られていない、とか ココアパウダーが隠し味なのだよ、驚きじゃない?とか 言っていたが、出来上がりを待つのみの私は ふ~ん、と相槌をうちながら、右から左だった。
彼女が遠い街に引越ししてしまった今、XXちゃんの煮込みハンバーグが食べたいなあ、なんて甘えても 作ってもらうことはできない。この収まるところのない欲求を満たすには、自分で取り掛かるしかない。ということで 彼女に緊急メールを発信した。
求む:煮込みハンバーグのレシピ。

翌日、彼女から 返信メールでレシピが送られてきた。こっそりそれを会社のプリンターで印刷し、仕事の帰りにマーケットに直行した。まずは ハンバーグの材料から、と ショッピングカートを押して 精肉コーナーに。分量を確認するために 例のコピーをかばんから取り出して開いた。「ハンバーグの材料:牛&豚 挽肉、玉葱、にんじん(お好み)、ニンニク(お好み)、卵、パン粉、牛乳。」分量が書かれていない。「煮込みソースの材料:ケチャップ、中濃ソース、赤ワイン、デミグラスソース(なかったら無糖ココアパウダー)、マヨネーズ、水、トマトピューレ、チキンブイヨン、塩コショウ。」ここにも分量は一切書かれていない。紙を握る手のひらに ジワリと汗がにじみ出た。
とにかく、大量に作ってお弁当用に保存するつもりでいるから、挽肉は大目に買っておこう、と判断し、牛と豚を合わせて2LB包んでもらう。だいたいの材料は家にあるけど トマトピューレがない。トマトソースのコーナーに行くと、「トマトペースト」はあるが「トマトピューレ」が見あたらない。「ペースト」と「ピューレ」の違いはなんなんだろう。しばらく悩んだが、「同じようなもんだ」という結論を出し、カートに入れる。「中濃ソース」ってどういう意味だろう。それって「とんかつソース」と同じようなもんだろうか。とんかつソースなら家にあるんだけど。ということで、これも代用決定。

家に帰って エプロンを掛け、材料を並べ、まずはハンバーグから、と例のコピーをまた取り出した。「普通のハンバーグの作り方と最初は同じ。作ったら、、、」と、彼女の作り方手順はそこから始まっていた。

ハンバーグってどうやって作るんだったっけ、、、。

一瞬硬直した私の体から手が伸び、電話を掴む。「あのさあ、みじん切りにした玉葱って炒めるんだったけ?」「う~ん、たぶん炒めると思う。私は面倒くさい時はそのまま入れちゃうけどね。」「パン粉ってどのくらい入れるの?」「う~ん、適当かな。」「煮込みの調味料はどのくらい入れるの?」「う~ん、それも適当かな。味を見ながらちょっとつづ入れていくと わかるよ、自分で。」
彼女の作り方手順は、ケチャップとソースは半カップぐらいかな、とかココアパウダーは2、3杯か もうちょっと、とか、ブイヨンは2個ぐらい、とか、アバウトな目安で最後まで通されていた。
「30分くらい煮込んだ後に、バターと小麦粉で炒めた玉葱とマッシュルームのスライスを追加して更に30分煮込む。」そして、「多分、こんな感じ。」と締めくくられていた。料理の経験があり、想像力豊かな人しか作れないようなレシピだ。私の唯一の頼みは、彼女の煮込みハンバーグを愛した我が舌のみ。あの味にむけて味見をしながら教えられた調味料を鍋に投げ込んでいく。

1時間後、2日くらい煮込んだのではと思われるような こってりソースの柔らかい煮込みハンバーグができあがった。あんなに適当に作ったとは思えない出来ばえに大感激。なんて大雑把で、簡単で、見た目が豪華な煮込みハンバーグなんだろう。そうかあ、だから彼女も 一緒になってワインを飲み、私のゴシップに大いに同調しながらも、余裕でこの料理ができたわけね。


Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2009年11月号

Sunday, October 9, 2011

おいしい話 No. 31「結婚と恋愛」

昔 もう何年も嫁に行ける機会も、暖かく心の広いオファーもなく、行き送れのレッテルを貼られ、自分は欠陥商品だと思っていた独身の頃、ありえないようなドラマチックな恋愛物語をよく夢想していた。障害に直面したり、トラブルに巻き込まれたりしながらも、最後には男前のお兄さんが現れ、そこからサラリと救い出してくれる。そして、当たり前のように恋愛が始まり、とんとん拍子に結婚に雪崩れ込む。
そんな夢を追いながらも、同時に、結婚したら恋愛はそこで終わる、とも思っていた。よく恋愛と結婚は別、なんて気取ったコメントをファッション雑誌なんかで見かけたりしたが、実は真実なんじゃないかと、冷静ながらも 半分脅されているような感覚で思っていた。
つきあっているボーイフレンドの話しをして盛り上がる独身女友達のことを羨ましいなあ、と思ったのは、たいがいその子が結婚式をあげて新婚旅行から帰ってくるまで。というのもボーイフレンドの話をする独身女の盛り上がり方は、勢いがあり、テンション高く、終わりがない。喧嘩をしただのなんだのと文句を言いながらも、イベントのプランは欠かさない。
しかし、あんなに恋愛に精を尽くし、盛り上がっていた女友達が、結婚という札を手にし、ハネムーンという壁をタッチして戻ってくると、テレビの前に横たわり、腹を掻きながら微動だにしない。ロマンチックで素敵だった王子様は、「うちの亭主」呼ばわりで、結婚前には聞くことのなかった欠点が延々と披露される。
こんなに独身人生が長いと、こういう現象を周りでみる回数も必然的に増え、早く独身おサラバしたいところだが、果たしてそれでいいのだろうか、という不安も間違いなく植えつけられた。結婚がゴールではない、という名言を吐いた人がいるが、実はゴールなのでは、と密かに思ったものだ。

そんな私もついにハビーと出会い、本当に100年待った気分で彼の白いタイツにしがみ付いた。あの手、この手を使いながら、やっと「めでたし、めでたし」で、本を閉じるところまできた。
さて、ここから、「ずーっと 幸せにくらしたそうな」というのを実現するにはどうしたらいいのだろう。
マリッジライセンスにサインをしてから早数年経つが、別ものとされている結婚と恋愛をブレンドするのには、かなりの努力が必要だ。ゴールのはずが、休んでいられない。継続は力なり、そして 愛なり!
私が思うに、夫婦で食事を一緒に取ることが、ひとつの秘訣じゃないかと。人間が生きるために、欠くことのできないのが食事であり、美味しいものを食べると至福の時を感じる。そして恋愛中のデートには、必ず、このひと時がプランに入っているではないか。

先日ハビーと仕事の後、待ち合わせをしてバーで一杯飲んだ後、チャイナタウンにあるPingという居酒屋風アジア料理の店に行った。ちょっとタイ料理の傾向がありながら、串焼きなんかもあり、ガラクタ屋から収集してきたような昭和レトロのオブジェやポスターなど、懐かしい感じのお店だ。おしゃれなんだけど、高架下のイメージで、最近の私のお気に入りである。
私のお気に入りということは、もちろん皆のお気に入りということで、木曜日の夕方とは言え、満員御礼がでていた。開いている席がないと言われ、口を尖らせながら恨めしげに店内を見渡すと、友人カップルが窓側の席に座っているのが目に入った。
すかさず駆けつけ、どうしてるんだ、と尋ねたら、ダウンタウンで働いている彼女が引けるころに、ビーバートンで仕事を終えた彼が、バスに乗ってにやって来て、一緒にご飯を食べに来た、というではないか。以前私が、Pingに来たら絶対飲むようにと、熱く語って勧めた芋焼酎のグラスが二人の手にあった。結婚8年目のこの夫婦、私に希望を与えてくれた。第一に 明らかに会話があり、新しい物に興味がある。そして 美味しいものを食べるという至福の時を喜んで分かち合っている。
ゴールだとか、別ものとか、そこに区切りや境をつけようとせず、出会った頃から継続していくもの、という捕らえ方をしたら、時間や食事をシェアしていきたいという気持ちも変わらず在り続けるのではないかな。花火のような盛り上がりの熱は下がったとしても、床暖房のように、変わらず、心地よい暖かさのある恋愛が、結婚の中に生存するはず。
結論:釣った魚と一緒に餌を食べるべし。

Kiki


Ping
102 NW 4th Ave.
Portland, OR 97209


Posted on 夕焼け新聞 2009年10月号

Tuesday, September 27, 2011

おいしい話 No. 30「ラブレター」

結婚して数年経ってもラブラブカップルのハビーと私は、毎日顔をつき合わせている今でも、Emailのやり取りをよくする。お互いの職場から 仕事が引けてからの予定を報告したり、借りているDVDを今日こそは見ようねと話したり、今夜はヨガに行くかと相談したり、切らした醤油と味噌を買ってきてねと頼んだり。
決して、ここだけで夫婦の会話を保っているわけでもなく、この機械文明が発達した世の中、携帯電話を持っていないハビーと Weekdayの昼間、唯一連絡が取れるのがEmailだから、という訳でもない。これは あくまでも電信恋文なのである。例え 亭主をちょいと使いに出させるような内容であっても。

一見 連絡事項に見える一行、二行のちょっとした文章に、「I love you a lot!」などを「敬具」の変わり入れるだけで、お願いも可愛らしくなり、読んでる相手に笑みを与えるわけだ。もちろんデートの誘いも電信恋文で 伺いをたてられると、ロマンチック度はさらに高まる。
「ハニー、今週の木曜日は仕事の後予定はあるのかい?前から話してたLe Pigeonに夕食を食べにいくっていうのはどうかな?」
こんなメールが飛び込んでくると、普段は「あー言えばこー言う」型亭主も突然愛くるしくなる。
そしてチャーミングな妻は、「ダーリン、それはワンダフルなアイデアだわ!」と興奮気味で返事を出し、「あなたがご馳走してくれるなんて!」という愛嬌も忘れない。例えその後ハビーからのメールが返ってこなくとも、ちゃんとデートの約束が成立したとみなされる。手紙って素敵。
数年前から 高い評判を聞いていて、いつかは行ってみたいね、と話していたLe Pigeonについに出かける日が来た。日本に居る時はフレンチ好きで、ボーナスが入ると必ず食べに行ってたが、アメリカに来てからは 結婚記念日にシアトルにあるRover’sというフレンチレストランに行ったきり。私のテンションは高まる。
私はフレンチレストランというと、エレガントで上品で、静かな雰囲気の店内を想像する。今夜は久しぶりにしっとりとロマンチックなデートになりそうだ。ここは一つ奢ってくれることになっているハビーに、おだての一つでも言ってやろうか、なんて思っていた。が、Le Pigeonはその期待感を見事に裏切ってくれた。

エントランスのドアを開けて一歩踏み入れると、まず驚いたのがその賑やかさ。小さな店内はタパス的なカジュアルさがあり、シアトルにあるHarvest Vineというスパニッシュレストランを思い出させた。たぶん 流行りなのだろう、ここにも大きなコモンテーブルを発見。いいのか、悪いのか、今ではどこに行っても、North West風というか、Portland的というか。Tシャツにジーンズというサーバー達に、私の持つフレンチレストランのイメージが静かに流れていった。私の着ていたワンピースが、めかしすぎているように映ってないか、気になった。
右肩側に一組のカップル、左肩側に5、6人のグループという席に向かい合うように座るハビーと私は、笑顔を作りながらも第一声が出ないままだった。隣のカップルの男性が不動産のうんちくを女性に語っている。反対側のグループはやたらに大きな声でしゃべり盛り上がっている。メニューを見つめながら、計画していたロマンチック語りはとうてい無理と判断。食事を楽しむことだけに専念するしかない。

ハマチの切り身のマリネ、フォアグラとアボカドのテリーヌを前菜に、ビーフチークの煮込みをメインとして、二人でシェアをすることにした。良点は、このカジュアルな雰囲気のお陰で、トラディッショナルなフルコースでなくタパス的に料理を注文できた事だ。ハビーのプレッシャーも少しは取り除かれ、内心ほっとしていたはず。
やや緊張気味に行ったRover’sで、盛りの少なさに思わず噴き出した二人だったが、カジュアルなLe Pigeonで、テリーヌに添えられたパンがトーストだったのにも目が釘付けになった。ウニも納豆も牛刺しも大好きなハビーがフォアグラが食べられなかったことには驚いた。本当に?信じられない!と言いながら ほとんど私が一人で平らげた。

「ディアー マイ ダーリン。昨日はご馳走してくれてどうもありがとう。どんな状況下でも、食事を楽しく美味しいくシェアすることができるあなたと一緒に居れて 私は世界一の幸せものだわ。是非 また行きましょう!Lots of Love。」- “送信”。


Kiki


Le Pigeon
738 E Burnside St
Portland, OR 97214
(503) 546-8796



Posted on 夕焼け新聞 2009年9月号

Sunday, September 18, 2011

おいしい話 No. 29「居酒屋ドリーム」

長らく日本に里帰りしていない私は、時おり日本に帰りたいなあーと思いをはせる。そんな時、頭の横にぽわーんと浮かんでくるのは、懐かしい家族や友人の親しみ深い顔ではなく、居酒屋の誘い込むような赤のれんと情熱の赤チョウチンの絵なのである。

のれんをくぐり、引き戸を開けて入ると、「らっしゃーい!」という元気のいい板前のオヤジの掛け声と、ネクタイを緩めたサラリーマンのおっちゃん達のご機嫌な会話が どどーっと狭い店内に響き渡る。カウンターの向こうから、炭火焼の煙がむくむくと立ち上り、香ばしい鳥の匂いが私の歩みを中へと促す。背中ごしに引き戸を閉めると、日常から別世界へと忍び込んだような感覚になり、瞬時に周りを観察。それでも 沸き上がる心の弾みは隠しきれず、にわかに笑みがこぼれそうになり、オヤジへの会釈へとごまかす。椅子に腰を下ろし、熱いお絞りで手を拭っていると、「今日は旨い鰹が入ってるよ」なんてオヤジがカウンター越しに声をかけてくる。厚い切り身の鰹の刺身をニンニクと醤油で頂きながら、冷酒できゅっといく。白子の網焼きや、ウニの紫蘇上げ、イイダコの酢の物に、桜海老の味噌和えなど、夜は長しとばかりに、酒の肴が選ばれていく。ほろ酔い加減も良く、人生について充分熱く語った後は、ネギトロと梅シソの細巻きで、ほんのひと時 静かに自分と向き合う。のれんを分けて表の通りに出ると、現実の世界に引き戻されたような感覚にはっとしながらも、「がんばるぞー」なんてこぶしをあげながら、千鳥足で信号3つ先の家路に向かう。

この手の妄想が日本を恋しいと思う度におこる。やっていること全てが中断され、よだればかり垂らして、全く能率が悪い。最近では背景の描写も細かく、ドラマ仕立てになってきた。
ポートランドにも居酒屋と呼ばれる店はいろいろあるじゃないか、というところだが、何かひとつしっくりとこない。味だったり、値段だったり、美味しいんだけれど「例の店ね」と 飽きずに通いたい店ではなかったり。
いや、正直、また来たい、おいしい!と思う店は数件ある。が、しかし いつも決まって問題なのは、位置的に、大決心しないと腰が上がらないような距離が私の家からある、ということだ。
私の妄想の最後の部分に注意を払ってほしい。「千鳥足で信号3つ先の家路に向かう」。まさにこれが、美味い居酒屋はさることながら、近所に居酒屋を持つご賞味なのだ。誰が 居酒屋に車で15分、20分かけて行き、帰りの運転を心配しながら、酒を飲める? 誰がわざわざ日本酒や焼酎と合う居酒屋ならではの料理を食べながら、ビール一杯で止めることが出来る? それは とっても酷というもんです!
先日のカナダ バンクーバーの旅は最高に楽しかった。ハビーと私、まさにグルメの旅を満喫したのだけど、特に最高に幸せだったのが、ホテルから徒歩3分の所に一軒の居酒屋を発見したこと。ダウンタウンにしゃれた居酒屋が何軒もあるのに驚いたが、私たちが入った店は私の妄想の絵に限りなく近い、「近所の居酒屋」感を出していた。
そして そこには 私の大好物の牛の刺身と酢牡蠣があった。欧米人のくせに私と同じものを好物とするハビーと そのレアな一品一品を争いながら食べた。カナダの大陸と比例して、旅の心も膨張し、焼酎オンザロックのお変わりも何ら躊躇無し。だって家路のホテルは 千鳥足3分のところなんだもの。

日本の居酒屋が恋しいというよりも、家の3ブロック先に居酒屋がないのが悲しいと言った方が、早いのかもしれない。探せばあるのに、ただ、近所にない、というのが たまらなく不満なのだと思う。
おいしい居酒屋は 遥かかなたにいつもある。日本だったり、カナダだったり、ヒルスボロだったり。ほろ酔い気分で ふらりふらりとベッドにたどり着ける距離にはない。
うちの大家がAlberta通り沿いに 新しい物件を買う度に、居酒屋をやれとせまる私。いくらAlberta通りも昨今賑やかになってきたとはいえ、借り手が見つからず空テナントとなっている物件や、閉業してしまった物件などがまだまだある。近所に一軒でいいから居酒屋ができてくれれば、私の日本を懐かしむ思いは 完全に家族と友人の愛くるしい顔ぶれにとってかわられるはず。


Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2009年8月号

Sunday, September 11, 2011

おいしい話 No. 28「男の手料理」

なぜ料理人には男性が多いのだろう。どこのレストランに行っても、キッチンで腕を振っているのは男性がほとんど。一方家庭では、亭主が台所に立つようになって来たとは言っても、それでも、家庭の食事は女房が作っているのが大半だと思う。なぜ男は外では はりきって人のために食事を作ることができるのに、家に帰ると女がしゃかりきになってご飯をつくり、子供に食べさせたりしているのだろう。そんな風に思考する時があるが、ウチのハビーを見ていると、その答えがにわかに見えたような気がした。料理に対するこだわり方が、男と女では違うのだ。
めったに料理をしないハビーがたまに思い立って料理をする気分になると、もう止められない。気まぐれにも 一度彼のコダワリの炎が燃え上がると、レシピにある上等な肉や魚、新鮮な野菜や異国のスパイスを探して西へ東へと走り回り、実際にキッチンに立つまでに半日が経つ。そして無造作にばら撒かれたレシートをかき集めてみると、家計破産寸前の数字が並べられているのだ。
ハビーのメキシコ魂に火がついたのはつい先日のこと(メキシコ旅行に行ってきたばっかし)。レシピと睨めっこしながら 材料のメモ書きをしている。ちゃんと冷蔵庫の中に何があるか 確かめてね、と口を出す。もう3本目の同じソースを置く場所はないよ、というのが私の言わんとしたメッセージ。じゃ、行ってくるから、と言って出かけたなり2時間ほど帰ってこない。Whole Foodsがすぐそこにあるというのに どこに行ってんだ?と不思議になってくる。やっと帰ってきたかと思ったら、両手一杯に買い物袋をさげて 「タダイマー」とかなりテンションが高い。やっぱ メキシコ料理だから 材料もメキシカン ストアーで買うだろと思って どこそこのストアーに行ったら、この料理にかかせないナントカっていう材料がなくって、どこそこのストアーにあるかと思って行ったら、そこにもなくって3件目に行ったどこそこのストアーにやっとあったんだ!とサクセスストーリーを興奮気味で話してくれる。
いやー 参った参ったあ、なんて言いながら買った品物を袋から取り出してカウンターに並べる。同時に私の検品の目が光る。「オリーブオイルまだうちにあるじゃない。」あれだけ家にあるものをチェックしていけと言ったのに、また同じもん買ってきた、と即座に私のチェックの声が入る。が、コダワリ男は余裕なのだ。「いや これはねVirginじゃなくて、ブレンドなんだよ、香りが控えめで、今回のマリネ用にはこれくらいが押さえ気味でいいと思ってさ」なんて、どこで覚えてきたのか そんなウンチクを並べた。「トマトもあったよ。」「いやこれはね、メキシカントマトなんだよ。」色も形も普通のトマトとかわらないのだけど。「肉も 店のメキシカンのオヤジがこれだといって勧めたやつだから、かなりAuthenticなカーネアサダができるはずだ、」と言いながら茶色い紙で包まれた重たそうな塊を冷蔵庫に入れる。そして、最後に「Look!」と私の気を一番引いて取り出したのが、銀色に光る「トルティア メーカー」。
平たく丸い円盤に テコみたいな取っ手がついているだけの簡単な物だが、その「メーカー」がないとトルティアがうまくできないらしい。「手で伸ばしてできないの?」という私の声も、彼のテンションには無駄な叫びとなる。

ハビーの大プロジェクトが開始されて2時間後、BBQセットでこんがり焼いたカーネアサダに、ポソレスープ、ライスとブラックビーンズのガイオピント、ワカモレー ディップに、パーフェクトに丸く、均等に薄い手作りトルティアがテーブルに並べられた! ハビーの食材と器具にこだわった手料理は、信じられないほど繊細で、美味であった。このAuthenticという言葉に近づくために、納得のいく材料を求めて町中を駆け巡る、そんな料理への情熱が、男の細胞に備わっているようだ。少なくとも、さっと買い物行って、ちゃっちゃっと食事の支度をする、という観念は男共に存在していないと思われる。
明日からは、ハビーが使い切らず、冷蔵庫に所狭しと埋まる食材を使った、主婦の簡単、早い、「あり合せ料理」がしばらく続くのだ。だって、ハビーのコダワリの炎は 今日で美しく燃え尽き、この次いつ火がつくかは、誰もわからないから。


Kiki




Posted on 夕焼け新聞 2009年7月号

Monday, August 29, 2011

おいしい話 No. 27「カンパニー ベネフィット」


大昔、営業なんていうものをやっていた時は、「接待」という名の残業があった。残業なんてちょっとネガティブな響きで言ってみたが、実際は大変おいしい思いをさせてもらった。接待する側、される側と、両方の立場を交互に回りながら、普通の給料で 普通に暮らしていては味わうことのない食事を楽しませてもらった。「経費で落とす」というこの魔法の言葉が頭をめぐると、両者の気分も大きくなり、安心してあれやこれやと、少々お高めでも注文することができた。高級霜降り神戸牛、フグ刺し、馬刺し、鯨刺し。伊勢海老の刺身に タラバガニやアワビの網焼き。マツタケご飯から土瓶蒸しまでのマツタケ三昧に、鱧や鯛、トロなどのお造り。貧乏家族に生まれ育った私が初めて行った寿司屋、中華料理屋、焼肉屋も接待だった。
時はバブル全盛期。私の友人の会社も例外なく羽振りがよかった。会社として一ヶ月に設定された経費の枠があり、それが使い切れてないと社員に「どこでもいいからメシ食って、領収書を持って来い」と特別任務が渡された。なんと嬉しい時間外労働であろう。そして持つべきものはやはり友、いつもその友人が、4万、5万の現金を手に「どこ行きたい?」と誘ってくれたのだ。お陰で、今月はここのフレンチ、来月はあそこの懐石、と庶民の私には近寄りがたい食事処に行かせてもらった。
しかし、バブル期崩壊は文字通り、私のグルメ期崩壊でもあった。経費の設定金額もガクっと下げられ、接待の内容も目的や詳細を明確にすることが求められ、大得意さんを相手としてもそんなに大盤振る舞いもできなくなり、その頻度もすっかり減ってしまった。もちろん、私の友人からのグルメの旅への招待もぴたりと止まった。自社、他社関係なく受けていたカンパニーベネフィットが もう受けられなくなってしまったのだ。
そこの追い討ちをかけたのが 私の渡米という行動。真の貧乏時代が始まった。学生で、アルバイトを渡り歩く生活をしていた私は、接待なんていう行事に関わることもなく、グルメから180度離れたところに居た。バブル崩壊から十数年、今だ不況が悪化していくことしか耳にしない中、接待という言葉は消えてしまったのでは、もう誰もそんなことをしている会社はないのでは、と思うようになった。
そんな中、私も長いブランクを経て、会社員として社会に再復帰した。そして会社でのあるお食事会に参加させてもらう機会があった。このお食事会、実は出張で来ていたあるお得意さんを招いて、おいしいものをご馳走しようという会だった。え、これはもしや あの幻の「接待」と呼ばれる行事では?
これが蓋を開けてびっくりした。まずは、この客人、自ら希望のレストランを指定。臆気もなく街で1、2を争う高級ステーキハウスを選んだ。加えてうちの会社のお偉いさんたちは、ちょっと怯んだ私の顔をよそに余裕な態度。それを確認するや否や、私の小心者魂が これはうまいものにありつける!というイヤラシイ期待の心に変わり、胃のあたりからワサワサ、ドキドキし始めた。
まずは軽く前菜から摘んで行きましょうと、生ガキ、甘エビ、キャビア、タラバガニ、毛ガニの盛り合わせが選ばれた。ビールの後はワインでも行きましょうか、と店に限定数しか置いていないピノ ノアールが選ばれた。そこにウエイターが通常の2倍の値段がするKobe beefがあと2枚で売り切れとなる、と報告してきた。ひえー 開店1時間半、$100近いステーキがもう売り切れになるってどういこと? と思っている傍で この客人が当然その1枚を注文。各人がそれぞれ注文をしている間、私は ”well marbled”(霜降り、と解釈)と説明されたステーキを注文してやると構えていた。いくら年の功はいっていても、私はあくまでも新入社員なわけだから、注文は普通のステーキ欄から(でもせっかくだからお高めを)選ぶでしょう、と思っていた。そしてとうとう最後に私の番が来た時、私の注文をしようとする言葉を うちのお偉いさんの衝撃的な一言がさえぎった。「その最後の1枚を注文しなさい」。
仰天して、耳を疑う私に、「遠慮しないで頼みなさい」と更なる余裕なお言葉。このお言葉が夢なのか、あのバブル崩壊が夢だったのか。私の長いブランクが嘘だったのか、不景気ニュースがガセなのか、ここには昔の接待習慣が健在していた。すると、じわーっと「経費で落ちるんですよね」という観念が蘇ってきた。
私のチョイスはあっさり変更され、そんなに強く勧められるなら、という建て前で、その最後の1枚のステーキを注文した。やっぱり年の功のためずうずうしさを抑えきれない新人社員。会社勤めも、いろんなタイプのベネフィットを考えると 辞められないもんですね。

Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2009年6月号

Sunday, August 21, 2011

おいしい話 No. 26「生春巻きに至るまで」

もうかれこれ3年ほど キッチンのPantryに生春巻きの皮の袋が眠っていた。自分で生春巻きを作ってみようなんて思ったことなど一度もないのに、購入した記憶も全くないのに、なぜか生春巻きの皮が同じ場所に腰を据えていた。キッチンのPantryなんて、毎日100回ぐらい開け閉めして 食料をあさっているのに、その存在を知ったその日から、ずーっと その存在を無視し続けてきた。なぜ生春巻きの皮を直視してきたかというと、学生のころに一緒に住んでいたルームメートが、生春巻き作りに挑戦し、何枚も一緒に茹でた皮にてこずりながら、ぼろぼろ、ぐちゃぐちゃになっていく春巻きを目の当たりにしたため、その映像がトラウマになっていたのだ。

ある日、ついにもう、暗闇に横たわるその存在を無視し続けることができなくなり、生春巻きを作ることを決意した。インターネットで「生春巻きの作り方」と検索し、注意深く どうやったらあの微妙なRice paperを綺麗に茹でることができるのか調べた。そして ほほーっ これは以外に簡単かも、とやる気が盛り上がってきたのは、Rice paperは茹でない、水で戻すのだと知った時。一枚一枚戻して、具を乗せて巻いていけば、あの破れかぶれな状態にはならないのだ。
皮の問題はひとまずこれで解決。さて具の一つである麺であるが、日本のサイトで検索した時に「ビーフン」と出てきた。「ビーフン」て、昔 学校給食なんかで炒めたビーフンを良く食べていた気がするけど、本当はナンなのだ?ここで 非常に私らしいのが、ここから先、疑問を深く追求して検索していくという行動をとらない。他のレシピにはRice noodleと書いていたので、そちらで行くことに決めた。まあ、自分でしっかり下調べをしない、という甘さが祟ったのは実際買い物に行った時。たまたま行った韓国系の店で、ついでだから例の麺を買っていこうと思い立ち、乾燥麺のセクションに足を運んだが、まったくどれを手にしていいかわからなかった。通りかかった店の兄ちゃんを呼びとめ、生春巻きに使う麺はどれかと尋ねた。居合わせた友人が、ベトナム料理のことを韓国人に聞くのはどうなんだろう、と指摘したが、まったくその通り。彼が自信を持って勧めてくれた麺は、茹でると透明な春雨の麺に変わっていった。
急遽 春雨サラダとなった夕食をすすりながら、ハビーが私の物事に対する詰めの甘さに深い溜息をつき、翌日、正真正銘のRice noodleを買ってきてくれた。さて これで 全ては整った。あの3年越しのRice paperがついにPantryから出される日が来た。他の材料と共にRice paperの袋を並べ、料理に取り掛かろうとすると、また たまたま居合わせた友人が、Rice paperにしては色が白くないね、という指摘をした。そのコメントにピクッと反応したハビーが、完全に流そうとしていた私を横に押しやり、その袋を掴み、裏返してIngredientsを読み始めた。
色がほんのりベージュだったのは 小麦粉のせいだったらしく、ハビーの更なる調査によると、小麦粉製は揚げ春巻き用であり、生でなんかでは食べれたもんじゃないと判明。生春巻きは 我が家では伝説の一品となっていきそうな雲行きだった。
たとえ詰めが甘くとも、くじけず、諦めないのが私の良いところで、ハビーに本物のRice paperを買ってきてもらい(安心)、なんとぶっつけ本番、ポットラックパーティー当日に生春巻きを作ることにした。本当のところは、何度もバジルやらパクチやらモヤシ、海老などを用意することに疲れてしまい、練習する気になれなかったのだ。
あの白く、繊細なRice paperは水に浸して戻すと、透明な色になり、つるつるとした感触になる。茹でたNoodle、新鮮な野菜に海老や豚肉を乗せてうまいこと巻こうとするけど、これが容易でない。巻き上がりが なんかゆるかったり、なかなか綺麗に海老が姿を現してくれなかったり、異様に長くなったり太くなったり。きばって春巻きを提供することを公言した手前、悪戦苦闘する私の額に薄らと汗が滲む。そうするうちにも皿がてんこ盛りになっていった。
皮がくっつき合うのを避けるため、レタスを飾り兼、仕切りに使ったら、なんだかとってもおいしそうに見えたからすごい。訪れた友人から十分にお褒めの言葉を頂き、縁も酣となった頃には、見事にレタスだけが横たわるのみという状況になっていた。ピーナッツソースまで手作りというところまで今回はいかなかったが、長い道のりを経て、達成感を得ることのできた生春巻き作りだった。
あのRice paperだと すっかり信じられていた例の袋は、またキッチンのPantryの暗闇に戻された。揚げ春巻きに至るまで、この後どのぐらいの月日を、じっと眠り続ける事になるのやら。


Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2009年5月号

Wednesday, August 17, 2011

おいしい話 No. 25「ステーキ屋さん」



ステーキって、どうしてあんなに高いんでしょう。ただちょっと厚みのある 1枚の肉を焼いただけなのに。
そりゃあ その肉が牛の体のどの部分から切り取られたか、その牛がどの地方で、どのように育てられたか、ということによって値段が変わってくるっていう、市場の価格状況があるのはわかるけど、和牛の完璧な霜降り肉でもないのに、基本的な味付けは塩コショウに赤ワイン ジュッ、っていう料理に対して、そんなに大層に 料金乗せなくても、と思ってしまう。

まあ ステーキは焼き方が命、なんていうのはわかるけど、実際 焼きにかかっている時間は少ない。ミディアムレアとかレアがいいなんていう注文には、労働時間はカットされる。
10歩ゆずって、たとえそんなシンプル料理にだって、一流の 腕のいいシェフが必要だとしよう。火加減だのひっくり返すタイミングだの、ウンチクを言い出すと限がないからね。特に老舗のステーキ店なんか 中途半端なシェフをおいておくと その名が立たない、なんてこともあるわけだし。
が、しかし、そんな給料取りの、コストの高い腕利きシェフを雇っておいて、サイドもついてこない、焼いたステーキをデン!と色気のない皿にの真ん中において出すような料理をよし、とするのはどんなものなのか。これが”America’s Favorite”と豪語していいものだろうか。

ステーキ屋に行って常に嘆き声をこぼさずにいられないのは、アートの心をまったく無視したプレゼンテーションの乏しさのせいである。先日行ったMorton’s Stake Houseでその悲しい確認をまたしてしまった。ステーキ屋ってどこに行っても同じだ、と無念な感に落ちいってしまった。
この1枚の肉に49ドル!? 神戸牛でも松阪肉でもないよね? 彩りに添えられるブロッコリーとかほうれん草のソテーとか、角を丸めたニンジンのグラッセル、ホクホクに仕上げた粉ふき芋はどこ? ほらちょっと気の利いたレストランでステーキ頼むと付いてくるじゃない? え、ブロッコリーが欲しいなら サイドで別にオーダーしろって? 
メニューを見ると、サイドディッシュとしてブロッコリー8ドル、マッシュドポテト7ドル、アスパラガス9ドル。大きさだげが自慢かのように横たわるステーキを見下ろしながら、これって、もし サイドディッシュをオーダーしないと、本当に肉だけを食べている状態だよね、と ちょっと野性的な気分になってきた。

このサイドディッシュ達がまた 怒りを引き起こす。まるで ただスティームしただけのブロッコリーや 茹でただけのようなアスパラガス(しかも あの長さのまま)、大量生産されたであろうマッシュドポテトがそれぞれ、これまた 色気のない皿にてんこ盛りになって運ばれてくる。それらのサイド達は もう洗練された料理と 何マイルもかけは離れている。
食は目から、なんていうけど、日本人からすると、逆に目玉が飛び出る、っていう感じかしら。愛でる目がいらないって感じ? こういうのって 逆にそそられない。Feedされてるって言った方が早いかも。やっぱり ここで文化の違いが表れている、ということなのだろうか。開拓時代の料理が そのまま高級な店内で気取って出されており、アメリカ人の大好物、そして その人気は不滅だ、ということなのだろうか。

この店の50ドルのクーポンを貰って行っておいて この文句の言いようはないだろうけど、まあ普通ならちょっと足すだけで おいしい料理が楽しめるだろうと思って行ったハビーと私。メニュー開いた時にその浅はかさが明らかとなった。「え、ステーキ一枚で もうクーポンが飛ぶわけ?」とメニューに顔を隠しながら目をキョロキョロさせた。
これが不思議なことに、店内が満員なのである。商売繁盛なのである。老若男女みんなステーキが大好きなのである。この値段がちっとも気にならないのである。

大きな切り身で出てきたステーキはあっという間に飽きてしまった。シェフの技や、美の心、繊細で細かい料理への施しはどこにもみられなかった。結局 プラス120ドルの出費に、胸もいっぱい、気持ちもいっぱい、で 残り物を詰めたプラスティックバッグを抱え、店を出た。
この120ドルの、いや170ドルの価値はどこに値するのだろうか。気の利いたプレゼンテーションでないことは確かです。




Kiki

Morton’s the Stakehouse
213 SW Clay St Portland, OR 97201
(503) 248-2100

Posted on 夕焼け新聞 2009年4月号

Saturday, August 6, 2011

おいしい話 No. 24「回転寿司」

回転寿司で一番思い出深いのは、何年ぶりかに日本に帰った時。大阪の大使館でビザをおろしてもらうというのが 大体の目的で、二日ほど大阪のホテルに滞在した。9月だというのにものすごい蒸し暑さで、NWの気候気分で軽いコートなんか着てった私がアホに見えたのは間違いない。関空に降り立つや、軽いコートがずっしーんと、すでにパンパンのスーツケースを引っ張る腕に重くのしかかった。湿気が壁となって私の行く手を塞ぐ。「なんや これぇ!」と大阪人でもないのに 大阪弁が連発で飛び出した。
この蒸し暑さに、すんなりビザがおりるか、という緊張で、気分は低迷気味。次の日に朝早く大使館に出向き、長いこと待たされて、入館した後も、自分の名前が呼び出されるまで、手に汗を掻きながら、はらはらドキドキと待ち時間は続いた。審査官に冷たく却下の宣告を受けた申請者達を何人か見た後は、もう地獄の審判を待っているような気分。「アメリカにあるアタシのアパートどうなるんだろう」なんて心配までし始める始末。
1日中座り続けて やっと自分の順番が来た時は、あっけにとられるくらいあっさりと面接は終わり、問題なくビザが下りた。
大使館を出た私は、緊張から溶けて へろへろな骨抜き状態になりつつも、空腹で喉もカラカラだということに気が付き、近所の商店街を当て所もなく歩いていた。すると、回転寿司屋ののれんが目にとまった。ショーケースに飾られている蝋で作られた見本の寿司がものすごく美味しそうに見えた。ここは ひとつ、お祝いということで ぱーっと寿司でもいこうか、と自分を盛り上げ、そののれんをくぐった。
「-ぇい、-らっしゃいっ!」という勢いのいい声が私の入店を迎えてくれた。席に着いた私は 当然のごとく 中生ジョッキを注文。さっき「1日中」と大袈裟に言っていたが、本当はまだ昼前だった。女一人 昼前からビールをぐびぐびいく姿に一瞬ギョッとした様子の おやじだったが、気を取り直して、私が不自由していないか尋ねてくれた。
回転台をぐるぐる回る寿司は 今やもう回転台をぐるぐる回る寿司ではなかった。そのりっぱなこと! 回転寿司が上等になっている! 回転寿司も知らない間に ここまでなったか、と思った。ほどよい大きさの切り身のネタに、軽く握られたシャリが上品に横たわり、へたな寿司屋に引けをとらない見栄えを放っていた。
好物のイカやハマチ、サバなんかを次々と掴んで頬張っていると、きりりと手拭を頭に巻いたおやじが 回転台の内側で手持ちぶさに突っ立っていることに気が付いた。なるほど、回転寿司屋といえども、回っている物だけしか食べれないわけではない。回ってない物は 頼んで握ってもらえるのだ。
というわけで、おやじを働かせるべく、白身の魚や、ウニ、イクラなど、まだ人入り前で出していない寿司を一つ一つ注文した。
この おやじが握って、回転台ごしに渡される寿司は、シャリがほのかに暖かく、本当においしかった。重い心配事が肩から降りたことと、ビールがまわってきたことと、久しぶりの寿司ということなのか、雲の上の天国にいるような気分だった。
あれから 無事アメリカの自分のアパートにも戻ることができ、様々な年を重ねてきた現在の私であるが、その後も、たまに 一人で回転寿司屋に出かける時がある。たいてい、無償に「寿司」と名の付くものを食べたい、でも貧乏、という状況の時なのだが、機械からこぼれ落ちるシャリにスライスの魚の切り身をちょこんと乗っける、という職人作業を見ないようにすることが鉄則。
そんな中、初めて行ったパールディストリクトにあるマリンポリスで、大阪のあの回転寿司屋を思わす、嬉しい体験をしてきた。閉店間近だったからか、回転台が空き々で、自分の食べたい物が回ってなかったため、メニューから注文をすると、日本人らしき職人さんがささっと握って出してくれた。これが繊細で美味かった。ウニ、焙りサーモン、ホタテと、一品、また一品と、カウンターが回っていることも忘れて、寿司を握ってもらった。そのうち「トロのこんなとこ入ってますけど」なんて、メニューにない物まで登場したりして、私の座るその一角が、普通の寿司屋に化していた。
回ってなくても、回ってる値段。流れている物を食べろと怒られそうだが、これが私のお勧め、回転寿司屋でのおいしい食べ方ということ。



Kiki

Marinpolice Sushi Land Pearl District
135 NW 10th St
Portland, OR 97209
(503) 546-9933



Posted on 夕焼け新聞 2009年3月号

Sunday, July 24, 2011

おいしい話 No. 23「ポットラックの意味」

「ポットラック」っていう言葉を知ったのは、本当にESL時代。Termの終わりにあの厳しかったGrammarの先生Annが、まだ英語がよくわかっていない生徒達をお家に招いてくれた時。ものすごい怖いオーラを出していたAnnなのだが、私は何やら興味を示しており、アメリカ人の先生のお宅拝見という、知らないもの見たさで、他の生徒と共にわくわくした。
そこで 「ポットラック」という新しいボキャブラリーのレッスンが始まった。由来の説明まで受けたかどうかは 忘れたが、とにかく会合に食べ物や飲み物を参加者がそれぞれ持ち寄る、ということ。その言葉の意味は 特別新しい事や珍しい事ではないはずなのに、さすが合理的で、公平さを主張するアメリカ人らしい趣向だと 関心したもんだ。世界各国からやってきたインターナショナルの生徒達が それぞれどんな文化料理を持ってくるか、ていうのが 実のところ狙いだったのかもしれない。本当にインターナショナルの生徒達が律儀に母国料理を作ってきたりしたら、ESLの先生って とってもおいしい職業といえるだろう。
と 言いながら、何を持って行ったらいいのか全くわからないまま当日が来てしまった。食べ物を持ち寄るっていうアイデアはわかるけど、お金と手間を掛けたくない、と思うと どうしても 気の利いた物が浮かんでこない。なんせ初体験なもんで 気も小さくなる。一緒に行く約束をしていたクラスメートの女の子と途中QFCを覗くことにした。スーパーマーケットの中をうろうろしてみれば、何かピンとくるものを見つけることができるかもしれない、ということで。
とりあえず 店内を一周してみたけど、これだ!という物が目に飛び込んでこなかった。美味しそうなものはあるけど、予算にあわなかったり、予算に合わせようとすると見掛けが貧相だったり。会合に集まるメンバーにご馳走を振舞う気もないが、明らかなケチ度が前面に押し出されないように気をつけなければならない、というわけだ。
悩みながら 空っぽの籠を手にスタート地点に舞い戻った時、アメリカサイズのスイカが山のように積み上げられて、赤札をつけてディスプレーされているのが目に付いた。1パウンド 39セント。友達と目を合わせる。表面を触りながらその大きさを実感する。軽く10人は食べさせられる。これか?
6月の半ば、スイカもいい時期だし、果たして何人の人達がアメリカにいて自らスイカなんぞ購入するだろうか。日本人は特に、キャンプやスイカ割りなど夏には欠かせないアイテムとして、子供のころから親しんできているわけだから、今 外国の地にいる彼らはこれを見てどんなに懐かしく思うことか、と他の日本から来たクラスメートを思った。よし、ウケも悪くない。
パンパンとその緑色に照る表面をたたいてみる。いい音だ。当てずっぽうで選らんだスイカを胸に抱えてレジに行く。スイカ用のネット袋なんかないので、底が抜けないよう プラスティックの袋を3重くらいにしてスイカを入れてくれた。その袋を持つ指にプラスティックがぐいぐいと食い込むのを感じながら 店外に出ると、太陽の痛い照りつけが直撃する。
友達に片方の取っ手を持ってもらい、二人でスイカを挟んで坂道を登り、バス停でバスを待ち、地図の説明書を片手に歩き回って、やっと Annの家を見つけるまでは、スイカなんて 自分の交通手段を無視した最悪の選択だったと後悔した。でも、私たちとその間にぶら下がるスイカを招き入れてくれるAnnと先に来ていた生徒達の丸々と見開いた目と共に、興奮の歓声を浴びた時は、「へへへ・・・」という照れ笑いを隠すことはできなかった。
正直、味に関しては あんまり考慮してなかったが、包丁を入れた時、スイカがはちきれんばかりにパリパリっと音を立てて、裂き目が走っていった。これは良い兆候だ。真っ赤に熟れたそのスイカはびっくりするほど甘かった。他の人が用意した品と被ることもなく、ケーキやクッキーなどと違う甘さのスイカは新鮮な喉越しを与えてくれて大人気。
ポットラック。自分の持参品がいつまでもテーブルに残り乾いていくこともなく、皆の手が延びて あれよあれよという間に売れて行くのを見るのが、一番の幸福、ということでしょうか。


Kiki





Posted on 夕焼け新聞 2009年2月号

Sunday, July 17, 2011

おいしい話 No. 22「Love Your Neighborhood」

2008年のクリスマスは 大雪のため どこにも出かけられなかった。クリスマス イブの朝、窓のブラインドを開けると、まだ がっつり積もった雪がすべての景色を真っ白にしたまんまで、「わーい これがホントのホワイトクリスマスだー」とワクワクしたけれど、同時に 「あれ、食料の買出し どうしよう」という不安も沸きあがってきた。

うちに2台ある車は山盛りの雪を被って ここ一週間使用されていない。チェーンはトランクに乗っかったまま。「どこにも出かけられなかった」というよりも、面倒くさがり屋のハビーと私は、チェーンを着けるという「大作業」をしてまで この大雪の中 どこかにドライブしようとは思わなかった、というのが真相。
が、しかし クリスマスだというのに、インスタントラーメンでしのぐのは味気ないではないか。なんとかして食料の買出しには行きたい。最初、某大型マーケットへ行くことを考えた。私のアイデアにノリの悪いハビーが、しぶしぶそこに行くまでのバスのルートを調べた。2本のバスが近くを走るようだが、今日は運行停止になっているという。ものすごい遠回りをするバスやMaxを乗り継いで 何ブロックか歩くルートならあるようだが、想像するだけでクタクタになった。 どうやら うちのNeighborhoodから出られそうになさそうだ。
そこで思いついたのが、歩いて20ブロックほど先にあるローカルのマーケットに行く、ということ。あんまり行くことのないそのマーケットの存在をすっかり忘れていた。うちとそのマーケットを繋ぐAlberta Streetにはバスが1本通っているから うまく行けばそれに飛び乗れる、という設定で、完全防備、リサイクルの買い物バッグを手に出発した。

見慣れたローカルの通りも、こうやって雪を被るとまた景色が違って見え、行き交う人々も この異常気象を楽しんでいるようだった。いつも行列が出来ているカフェやレストランも今日は、真の地元陣だけでゆったりと時間を過ごしているのが窓の外から窺えた。どこにも行けないAlbertaに住む地元人のために この通りの両側に立つビジネスがちゃんとオープンしているだ、と感慨。いやー、助け合いのコミュニティーとは いいもんだ。

そんなわけで 食料の買い物という大事なミッションがあるにもかかわらず、行く先々に誘惑の「オープン」サインが、私達を寄り道へと導く。まずは、炒ったコーヒーの香りと焼きたてのペイストリーの香りに誘われて、フレンチベーカリーに立ち寄った。クリスマスの朝に食べるペーストリーとデザートのパイを買い、試食用に出されたケーキのスライスを摘む。次は お茶好きな義理パパのために何か特別なお茶はないかと、ティーショップに入る。カウンターに立つお兄さんとお茶ッ葉についての語りに熱が入る。こんな雪の寒い日は やはり、暖かい部屋で映画鑑賞でしょう、ということで ビデオ屋に足を進める。3本借りると4本目はタダと言われて、店の隅で円陣を組み、真剣にDVDの選択が行われる。

朝食抜きで ここまで歩いてくるとさすがに腹も減ってきた。マーケットまで無事辿り着くには、腹ごしらえが必要、ということで、ハビーと私の行きつけのバーBinksに立ち寄る。ここのピザを考えると、もう食べないで通り過ぎるということは私達には不可能なのだ。このバーも普段は押し合い、揉み合いの混雑ぶりなのに、今日は近所の徒歩組みだけでリラックスした時間が流れていた。顔見知りのバーテンダー、Marthaが笑顔で迎えてくれる。毎回飽きもせず、同じみのグリークピザを注文。休みの特権だということで、午後1時、まだ果たされていないお使いミッションをビールで乾杯。

別にMarthaにビールを奢って貰ったからというわけではないが、自分のコミュニティーを愛することはいいことだなあ、と Binksを出た後、うまい具合に通りかかったバスに飛び乗りながら しみじみと思った。地元の人々とビジネスとの密着した相互関係がその町を強く暖かいコミュニティーにしていくんだな。そんなわけで マーケットに着く前にもう一軒、地元貢献の名の下に、リカーショップに立ち寄る。やっぱり、美味いウォッカ無しでは、雪に埋もれた長い夜は過ごせないでしょう。

Kiki



Binks
2715 NE Alberta St
Portland, OR 97211
Phone: (503) 493-4430


Posted on 夕焼け新聞 2009年1月号

Sunday, July 3, 2011

おいしい話 No. 21「食通の話」

ポートランドは ユニークで魅力的なレストランが本当に沢山あるところだ。ニューヨークから腕利きのシェフ達がこぞってポートランドにやってきて、新しいレストラン業なるものを打ち立て、クリエイトしていってる、なんて話しも聞いたことあるし、NWの新鮮な鮮魚、ローカルの野菜や肉、土地のキャラクターを主張するワインとビールの揃うポートランドは、シェフやレストランオーナー達の プロミスランドのような街なのではないか、と思ってしまう。
噂のお店をすべて 食べ歩きし、批評をしていきたいところだが、もちろん 自腹ではそんなことしょっちゅうできない。誰かが「おごってくれる」となった時に チャンス到来!とばかりに、胸元にずーっと暖め続けている「行きたい店」リストをこっそり見るのだ。これが あんまり知らない人だと このリストにあるファンシーな店の名を挙げるのに 少々ためらってしまうが、いかにさりげなくスマートに提案するかがカギとなり、この食い意地をあからさまに見せないワザが必要となる。しかし スイートなマイ ハビーが、「よおっし、特別だからディナーに連れていってあげる」なんて言った日には、一番大きくハイライトされたレストランの名前が遠慮なく提案される。
今回私が選んだのは NE にある「DOC」というイタリアンレストラン。ここもポートランドに数あるユニークな店のひとつ。まず、店の規模がとっても小さく、入り口を入るとそこはいきなりキッチンとなっている。右手には二人のシェフが料理に立ち回り、左手にはディッシュワッシャーのお兄さんが皿を洗っている。その真ん中で、「あのー 8時に予約入れてるもんですけど、、、」と 向かってくるサーバーに声をかける。そこから「Follow me!」と案内されるダイニングルームは半歩先。ダイニングにキッチンがあるというのか、キッチンにダイニングがあるというのか、とにかく、客とシェフが一つの部屋をシェアしている状態なのである。唯一奥にある一枚のドアは御トイレ用で、他は隠してるもの一切ナシ、という状態。それでも 白いテーブルクロスや、キャンドルライト、磨かれたグラスに注がれた赤ワインに しっとり流れるジャズと、ロマンチックな雰囲気はうまい具合にしっかりと演出されている。
満席の中、セットされた席は コモンテーブルで他の二つのグループと同席。一瞬二人用テーブルがよいなあ、なんて気持ちになるけど、座ってしまえば 何気に気にならない。人見知りをしないハビーが いつものごとく「それはナンですか?」と隣のご夫人に指を刺しながら聞くのもしょうがないと思える。しかしまあ、こんなロケーションの穴倉のようなところに よく人が集まってくるもんだ、と関心する。雑誌の紹介や口コミの影響力の強さは本当にあなどれないが、美味い店があると聞きつければ郊外の端まで駆けつける ポートランド人の根性はそうとうなものだ。レストラン側もクリエイティブ部門に力が入るというもんだ。
口コミの影響力といえば、そこに大きく加担しているのが うちのハビー。人にあそこの店はどうだ、とか ここの店はどうだ、とか語るのが大好き。そして、本人、他人からも簡単に影響される。「いやー 実によかったよ、あの店」なんて情報を得ようものなら すぐさま行きたくてうずうずする性質。
今夜も 同コモンテーブルに同席したカップルを相手に ハビーの強力な「お勧めレストラン」のトークが始まった。このカップルの男性も食好きを表していたが、ハビーが並べるレストランの名前に目を大きく見開いて聞き入っていた。行った事のある店から 行った事はないが良いらしいと聞いた店まで、相当なグルメ人を演じていた。この男性、「若いのにこいつは何者だ?」と思ったかもしれないが、妻の私も、年に1,2回こんなお値段のいい店に来れればいいくらいの経済状況で、よくもまあ その通ぶりが出せるもんだと、目がパチクリ。バックマージンが入るわけでもないのに、歩くConciergeとなり 人々にお勧めレストランを紹介することに情熱を抱くマイ ハビー。
私の行きたい店リストに入っていた「DOC」が、彼の必ず紹介したい店リストに移ったことは間違いない。こういう「知る人ぞ 知る」タイプの店は特に二重丸が入る。五つのコースからなる “Tasting Menu”に それぞれの料理に合わせた”half-poured wine” が私たちの選んだディナー。そして これが、ハビーの当店一押しメニューになることは間違いない。


Kiki




DOC restaurant.
5519 NE 30th avenue.
Portland, Oregon.
503-946-8592.

Posted on 夕焼け新聞 2008年12月号

Sunday, June 26, 2011

おいしい話 No. 20「サクセスストーリー」

移民または移民者達について学ぶクラスで、「アメリカでサクセスするって どういうことなのだろう」っていう質問を投げかけられた。さすがクラスのコース名が誘ったのか 机に座る生徒達は多人種で賑わっており、それぞれの国のバックグラウンド、そして生い立ちからなる価値観を持った上での、様々な「サクセスとは」という意見が交わされた。
私にとってのサクセスとは何なのだろう。ちょっと1年間だけ様子見して、もしかしたら日本にすぐ帰るかもしれませーん、といって渡ってきたアメリカ。のわりには、所持品全部売り払って旅費、学費、そして生活費の足しをこしらえたため、1年後に帰ってきても何にもないよという状態にしてしまったのは事実。人口33万人の小さな市で息絶える前に、境界線を越えて世界の広さを感じたい、自分を未知の世界に放り出して見えない可能性を感じたい、なんて独りよがりな考えに火がついて、長年お世話になった小会社の社長に辞表を提示し、退職金はしっかり頂いて、飛行機に飛び乗ったのだ。

まさに空っぽの部屋で唯一の家具であるダンボール箱を机として始めたアメリカ生活。日本に留まっていさえすれば 継続してそれなりの給料ももらって、それなりに贅沢もできてたのに、天と地がひっくり返ったような生活に、「私はいったい何をやってんだ?」と自分不信。自分がものすごい大失態をやらかした人間に思えてしょうがない時が何度もあった。そして同時に、このやっかいもんのせいで、日本に帰ってもまた壱からの出直しを強いられる事になるという状況も ものすごく怖かった、、、。

そんなディプレッションの中、似たり寄ったりの状況下の日本人達と苦労話を競い合いながら、心ではマジ泣きしている事情を笑いに変えて盛り上がりながら、戦闘士のように前進してきた。そんなイタい仲間の寄り合いからぽろりぽろりと抜け出して、裕福なお家にお嫁に行った人もいるし、ものすごく立派な会社に就職した人もいる。「羨ましぃーっ!」とハンカチに噛み付いていたもんだが、このコースのクラスメートの意見が最後に一致したように、個人によって「サクセス」の定義は違うんだ、という事を自分で認識してきたような気がする。

さて、私もこの十年、アメリカでまだのたれ死んでいない。まず これはすごいサクセスである。ESLを卒業する、カレッジを卒業する、BAを取る、と顔面に目標のアンパンをぶら下げて追いかけ続け、ひとつひとつそれに食らい付いて、食べ尽くしてきたのも立派なサクセスである。おっと、もちろん、ちょっと生意気だが かわいいハビーを捕まえたのも とってもサクセスフルだと言えよう。

先日、日本に一月ほど里帰りをし、戻ってきた友人から土産話を聞くべく、パールディストリクトにあるバー、Fratelliに腰を下ろした。この友人も 例外に漏れず、アメリカでのものすごい苦労話を語れる人物だが、そこに自己陶酔することなく 立ち塞がる壁をぶち壊して前進し続け、自分の力でキャリアを手に入れ、パールディストリクトに住もうかなあ、なんて言葉が出るほどのステイタスを築きあげきた。アメリカでサクセスを手に入れたまれにみる日本女性である。
私にしてみれば、わーい、めでたし、めでたしっ!というところだが、彼女はそこに甘んじない。次のキャリアアップをしっかり志している。そのチャンスが日本にあるなら、すぐ戻る心構えはある、と言う。彼女の中にはアメリカでなくてはならない理由はない。アメリカとか日本とか関係なく、自分が納得する人生とサクセスストーリーを作り上げていく事が 彼女の生き方なのだ。

アジアのどこかの国の移民一家をバックグラウンドに持っているように思わせるバーテンダーが 特別に作ってくれたエスプレッソマーティーニが、甘く、苦く、心に沁みていく。ほの暗い照明のもと、コーヒーの香ばしい香りが漂い、無謀に酔っ払わせることなく、しっとりと、真剣な話を促してくれる。
この完璧なカクテルが作れる彼は、サクセスフルなバーテンダーだと言えよう。
でも きっと、この彼も含め、私たちのサクセスストーリーは個人個人のシナリオと価値観のもと、死ぬまで New Editionとして出版し続けられるんだろうな。今では一軒家で物(ガラクタ)が溢れるような生活をしているが、自分に厳しい私は、もちろんそこで留まらない。新しいアンパンをぶら下げて 次のゴールに向かって走り出すぞ!

Kiki

Fratelli
1230 NW Hoyt
Portland, OR 97209
503-241-8800



Posted on 夕焼け新聞 2008年11月号

Saturday, June 11, 2011

おいしい話 No. 19「パン屋さん」

異国にいて 恋しいと思う母国の食はたくさんあるけれど、日本のスーパーマーケットで 買えない物が 少なくなってきているのは確か。レストランで直接味わえなくても、食材を購入して 自分で作ることが可能なのだ。それでも やっぱり、どんなに世の中便利になってきたもんだ、と言っても、入手できなくて、自分でも作ることができない、と悲しくなってしまう食品もまだまだある。その中のひとつが パン。
日本のデパートの地下食品売り場や、商店街の一角にあるような あのパン屋がここアメリカ、少なくとも ポートランドにはない。
私が言う「あのパン屋」とは 自分がトレイとトングを手に取り、並べられたありとあらゆる種類のパンを選び、レジにトレイを持っていって 精算、袋に入れてもらうというスタイルのパン屋だ。
パンは必ず そこで焼かれていなければならず、定番ものから創作パンまで その種類もそれなりにないとだめ。どれもこれも美味しそうに見えて、気が付いたら、自分が食べる予定以上の量がトレイにのっかっている、という状態になるような。
中国系などのパン屋で、そういうスタイルがあるのを見かける時がたまーにあるけど、ビニール袋にすでに入っていおり、あの焼きたての香ばしい匂いや、狐色に照るパンの存在自体の 強いアピールを直接的に感じられない。「わーあ!おいしそうなパンがいっぱいある!」という、掻き立てられるような感情が半減してしまい、ビニールに入ったパンをくるくるひっくり返しながら 冷静に選ぶ、ということになってしまうのだ。あの 裸のパンの、トングで触るともう最後、トレイに運ぶしかない、という緊張感のために、迷いきる、ということがないのだ。
菓子パン以外にも 厚切り食パンは 切なくなるほど恋しい。どんなに日本の食パンだという商品をこちらで見つけても 何かが違う。ふんわりモチモチとした食感は、どうしても味わえない。バターとかジャムとか塗らなくても、そのままで十分美味しいという食パンは、朝食の食欲があまりわかない私には とっても嬉しいアイテムなのだ。
しかし、なぜアメリカの食パン達はみんな薄切りなんだろう。サンドイッチ王国だからなのかなあ。

とにかく、日本のパン屋さんが 街の角々にできて欲しい、というのが私の願い。散歩がてら徒歩で行けるところにできてくれるとなお宜しい。と、言ってるところに、近所にパン屋さんができたという情報が入った。
日本のパン屋だという期待は最初からしていなかったけど、根っからのパン好きの私は、パン屋が近くにできたことはとっても喜ばしかった。
もちろん「Petite Provence」なんてしゃれた名前のboulangerie(パン屋!)に 私の描く卵パンとか、お好みパンとか、焼きそばパンなどはなく、フランス風のいわゆるペストリーというスタイルのパンが並べられていた。敷地の半分はカフェスタイルで、沢山のテーブルや椅子で占めており、大きく開け放たれたドアや窓が気持ち良い風を運び込み、焼きたてパンの匂いを店内いっぱいに広げていた。
ウインナーソーセージとかマヨネーズコーンとかの変わりに、様々なフルーツが乗ったペストリーがテカテカとした光を放ちながらディスプレイのトレイに横たわっている。ここのパンたちのアピール度も半端ではない、と確認。あの欲望に掻き立てられる感覚がものすごい勢いでわきあがってきた。思わずトングを掴み、手を伸ばしたくなるところだったが、パンと私の間に立ち塞がるガラスの仕切りがそれを防御。ま、トングとトレイが入り口に置かれていないこと自体、自分で取るなんてことは不可能なのだけど、ビニール袋と同じく、このガラスの仕切りが、なんでも掴みたくなる欲望を冷たく抑えるのだ。そして、次に襲ってくるのが 小さな恐怖心。パンのカウンターの向こう側に立つおねえさんが、「どれにしましょうか?」と私のオーダーを待っている。額に冷や汗を感じながら それぞれのペストリーにつっ刺さった札を睨む。手書きの筆記体で書かれた文字はものすごく読みにくく、フランス語の名前なんぞ付いていた時には なんて発音していいのやら まったく解らず、心臓の脈打ちが暴走しそうになる。
結局、「これとあれと、、」と人差し指を突き出しながら、オーダーするはめになる。ほんとうはいろいろ一杯買いたいのに「これ」とか「あれ」をずっと言い続けるのも恥ずかしく、それでいいです、と2、3個で終わる。
ああ 本当に、日本の あのパン屋さんが恋しいです。


Kiki


Petite Provence
Boulangerie & Patisserie
1824 NE Alberta St.
Portland, OR 97211


Posted on 夕焼け新聞 2008年10月号

Sunday, June 5, 2011

おいしい話 No. 18「夏の匂い」

最近ハビーの両親が、地元の農家と契約して ある金額を前払いし、毎週 その週に出荷されたばかりの旬の野菜を用意してもらう、ということを始めたらしく、毎週新鮮な野菜が食べれると喜んでいる。
この両親、特別太っているわけでもないけど 自身で気にしているらしく、二人そろって ダイエットプログラムに加入したりしていた。今では大量の野菜が毎週用意されるので、それらを無駄にしないためにも せっせと否が追うにも野菜を食べなきゃいけない状況になっている。
毎週どんな野菜が詰められているかわからないので、福袋のような楽しみがあるが、毎日料理のバラエティーを考えるのに頭を使うことになる。いつもお決まりの野菜炒めでは そのうち「もう野菜なんか見たくない」、という状況になりかねない。
先日私たちが訪ねた日も ちょうどこの契約農家から 取れたての とうもろこし、キャベツ、桃などをもらってきたばかりだった。パパがチキンのバーベキューを作り(アメリカ人の旦那はなぜかいつもBBQ係り)、ママがキャベツのサラダを作った。私だったらキューピーマヨネーズで和えて終わりそうなところを、賢いママは 料理の本を見て新しいドレッシングに挑戦。そして もう一つのサイドディッシュとして 茹でたとうもろこしが添えられた。

アメリカではしっかり野菜としての認識があるとうもろこしであるが、私の中のとうもろこしは夏の「おやつ」であって 夕食の一品としては考えたことなかった。始めてアメリカ人一家の夕食に招かれた時、お皿にゴロンと横たわる茹でたとうもろこしにナイフで取ったバターを塗りまくり、塩コショウを掛けてかぶりつく家族の人達を見て密かにカルチャーショックを受けたもんだ。
異国で長いこと生き抜くには、その国のいろんな習慣に身を投じるしかなく、倣ってやっていくうちに 自然にそれが馴染んでくるもんで、私もバターをしっかりセメントのように塗り付けて食べられるようになった。

その夕食の席で、とうもろこしにかぶりついた時、そのはじける甘い汁に 私の意識が遠い遠い昔へと回想されていった。
私の子供の頃は こんな改良に改良を重ねられたような甘いとうもろこしはなかった。近所のとうもろこし畑から刈り取られ、道端の無人八百屋で売られていたとうもろこしは 実が異様に詰まっており、砂糖のような甘さのまったくない代物だった。なぜ夏祭りで売られている焼きとうもろこしと甘さが違うのだろう、と小学生の私は不思議でならなかった。
学校から帰ると 母親が大量に茹でたとうもろこしが ちゃぶ台におかれている。その甘みのない田舎のとうもろこしがそれほど好物ではなかったが、それしかおやつとして置かれてない時は 仕方なく食べるしかなかった。ハエよけにかぶせられた手拭いをとると、まっ黄色にぷりぷり身をはったとうもろこしから どくとくの夏の匂いがただよった。それを一つ掴んで 縁側に座り、涼みながら食べたもんだ。
うちの母親のお陰できゅうりやトマトも野菜というよりも軽いスナックである、という認識が小さい脳みそに植えつけられた。さっと洗ったきゅうりやトマトも塩を付けて丸ごとかぶりついた。クッキーやショートケーキなどの変わりに 桃やイチゴ、イチジク、琵琶などが笊に盛られて台所に置かれていた。
お腹が痛くなるまで食べたスイカも含め、それらの一つ一つから むせ返るほと放たれていた匂いが、私の子供の頃の 夏の思い出のシーンを作り上げているような気がする。

そんな回想のせいで、猛暑が続いた今年のポートランドだけど、もっと夏を感じたくなって、自分でもとうもろこしを茹でてみた。足をぶらぶらさせて座る縁側はないけれど、ポーチにある椅子に腰をおろし、目を閉じてそっと匂いをかいでみた。
昔は オーガニックなんてファンシーな言葉はなかったが、普通にオーガニックの野菜が笊盛りで安く売られていたんだよね。今 オーガニック野菜がスーパーマーケットに再来しているけれども、値段がファンシー過ぎていけていない。トマトが1個2ドルするのはどうなんだろう。あの胴周りの太いきゅうりをそのままかぶりつきたいとは思わないしなあ。それより何より、あの独特な野菜の匂いが消えてしまったと思うのは 気のせいだろうか。それとも、自分が昔のように野菜と密着した生活をしなくなっているってことなのか。
パパとママが契約した農家から送られてくる福袋の中には、きっと夏の匂いが沢山詰まっていることだろう。



Kiki


Posted on 夕焼け新聞 2008年9月号

Sunday, May 29, 2011

おいしい話 No. 17「近所のバー・レストラン事情」

うちの近所に3年間放置されていた空き家があった。レストランのようなものを建てようとして 途中で計画が中止され、そのまま忘れ去られているような面持ちだった。引越ししてきた当時、大家から 最近その土地を誰がが買収した、という噂を聞いた。今でこそ 沢山のレストランやバーが立ち並び、賑やかなディストリクトになってきたが、たったの3年前は 暗く活気のない通りだったため、ハビーと私は、「お、これは歩いて1分もかからないところに いい店ができるかもしれない!」と喜こび、勝手な想像を膨らませていった。
やっぱり 酔っ払ってもふらふらと徒歩で家まで帰ってこれるからバーがいい。素敵なバーテンダーがいて、ゆっくり心地よく飲める場所だと、私たちの「行き着け」のバーになるに間違いない。近所にアナキスト系が集まるIrish barがあるが、そこは おしゃれでハイソな私のシーンではない。あ、居酒屋風日本食屋でもいい。ご飯は作りたくないけど ちょこっと日本食を摘みたい、もちろん飲みながら、なんていうのに、この場所はうってつけ! なんて 言っているうちに、その噂も いつしか火元が消え、3年が過ぎてしまった。
その間、ハビーと私は、「私のシーンではない」と言いながらも、やはり近所にバーがあることは 飲兵衛の二人には好都合なわけで、このIrish barで、破れたような黒い服に ごつい編み上げブーツ、大きな穴ピアスをした人達に混じって 普通に飲むようになった。

1年半前にうちの家の裏にあった中古車屋が立退いて、なにやらレストランのようなものが建設され始めた。今度こそ「私たちの店」が出来るかも!と興奮しながら、竹材を使ったり、大きな窓ガラスを入れたり、パティオを作ったり、といった建設過程を一緒に見守っていった。きっと今のブームに合わせたオーガニック系またはベジタリアンの食事を出すレストランかもね、なんて話していたが、蓋をあけてみると、ポートランドならではのヒップスター系チャリンコライダー達が昼間からビールを飲むために集まり始めるようなバーだった。これもまた 全く「私のシーン」ではなかった。音楽はうるさいし、バーメニューは少ないし、人が多すぎる。が、しかし、うちの12時に閉まるIrish barとは違って2時半まで酒が飲める。そんなわけで、夜中にふと ちょこっと一杯いきたいねえ、なんて時は、ハビーと私は、この新しいバーで ユーズドショップのヴィンテージ服にタトゥーをいたるところに見せる若者たちに混じって、安いウイスキーをすすっている。

そして 数ヶ月前、ついに例の放置されていた建物に人が出入りし始め、大掛かりな再建築が開始された。この新しいビジネスについての熱い予見討論が繰り返される。まず 第一に、もう近所にバーはいらない。もうちょっと違うタイプの客が来るような店がいい。ちょっとハイクラスなレストラン。静かで落ち着いた雰囲気のフレンチとか。この辺には まったく日本食がないから、(やっぱりまた)居酒屋とか、寿司屋なんてのもいい。かわいいベーカリー・カフェも嬉しいかも。私たちの 新しい店に対する期待は膨らむばかり。
工事は急ピッチで行われ、見る見る建物の造形が出来上がっていく。どうやら2階があるらしい。いや まてよ あの二階は吹き抜けになっているから、もしかしたら オープンデックになっているのかも。ガレージ風のドアも今時のデザインだよねえ。あれ、ここにもまた チャリンコ置き場が作られている、、、。こうやって観察に飽きない日々だったが、完成真近になって「Radio Room」というバー・レストランができることがわかった。
そして あっという間に オープンの日が来た。ウイスキーサワーだけで 偵察に入ったハビーと私は、店内、メニュー、客層をチェック。どれもが新品で、洗練されてはいるが、無理やりオープンしたという観がないではなかった。新しいサーバー達も慣れていかなきゃいけないし、メニューも当座のために作ったもので、もしかしたらそのうち本格的に変わるのかもしれない、そして 2階のデックも緑が足されて殺風景さが無くなっていくのかもしれない、なんていうことで 判定は1ヶ月後まで待つことにした。
「Radio Room」を出た時、通りを挟んだ向かいに、1年以上放置されて、新しいビジネスが始まるのを待っている空き地があるのが目に留まった。いったいこの土地にはどんな建物が建つのだろう。本当に またバーでないことを願う。できれば 居酒屋のような日本食屋が、、、。
「私たちの店」への思いは果てしなく続いていく。


Kiki



Radio Room
Alberta Arts District,
Alberta Street
Portland, OR 97211



Posted on 夕焼け新聞 2008年8月号

Sunday, May 22, 2011

おいしい話 No. 16「カクテルアワー」

いつからこんなにお酒好きになってしまったのかしらん。昔 父親の晩酌のビールを味見した時、こんなにまずいものをよく毎晩飲めるもんだ、どこが美味しいのかわからない、と思っていたのに、今では仕事の後や風呂上りは「まずはビール」と言って、ゴクゴクゴク、プハーッ、とやっている自分がいる。
すっかり父親(オヤジ)を模範する私になってしまったけれども、初めて社交の場で「カクテル」なんちゅうしゃれたものを口にした時は、アルコールと緊張でうぶな頬をぽーっとピンク色に染めたものだ。
青春時代に差し掛かった16歳、当時「フィズ」という得体のしれないカクテルが流行っていた。カキ氷に掛ける密のように甘くドギツイ色の濃縮液体で ストロベリーやピーチ、メロンやブルーハワイなどといろいろ味があり、ソーダ水で割るという飲み物だった。旅行中で両親不在の友達の家に集まった時、誰かがどこかで調達したフィズをみんなで作って飲んだ夜、大人の領域に一歩足を踏み入れたような気がして興奮した。
「お友達の家にお泊り」術を覚えた私が 友人と抜け出して出かけたディスコでは、マドンナのマテリアルガールを背に、気取って「メロンフィズ!」とウエイターに注文するのがお決まりになっていた。
18歳くらいになり、居酒屋なんぞに出かけるようになると フィズなんていうフェイクな子供の飲み物からは卒業、ということで ちょうど流行りはじめたチューハイに移行。カルピスハイに、レモンハイ、オレンジハイにコークハイとまたこれがバラエティー多くあるから楽しい。あんまりお酒の味もしないジュースみたな飲みやすさがすっかり気に入った。ビールのジョッキにでーんと入って出てくるのに安いのがまたいい。
二十歳を過ぎて、世間でいう「社会人」と呼ばれるようになった頃は、だんだん社会や人生の厳しさなんていうものに気付くようになってきて、接待で味わうあのビールの苦さも、ウイスキーのキツさも、これぞ人生の味だア、と言い聞かせながら ぐっと我慢して飲めるようになっていった。甘いものばかり選んで飲んでいられない、と悟ったわけです。

そうして 軽く風が吹くように 年も過ぎていき、「酸いも甘いも噛み分けて」といえる年齢になってきた今日この頃は、ビールやウイスキーが純粋に美味いと思うようになってきた。オヤジ化してきたと言われればそれまでだが、パールディストリクトあたりの おしゃれなバーでグラスを傾けている私を見ればそんな指摘は出ないだろう。
とにかく 一揆飲みの時代も終わり、上司やクライアントの圧力からも解放され、人気の女友達に対する憧れや、それによって発生するコピー意識も消滅した今では、自分の飲みたいものを、自分のペースで、楽しく飲めるようになってきた。お酒のチョイスも洋服のようにその日のムードで変わってくる。忙しく働いたその日の最後は もちろん冷たいビールに手が伸びるが、今夜はちょっと酔ってしまいたい、なんて時にはウイスキーの水割り、特別なディナーの前には ヴォッカのマーティーニなんかを頂きたい、てな具合。
そしてまた カクテル自体が、その日の私のムードを変えるときもある。Cheesecake Factoryの “Strawberry Martini”は 淡い恋をしているような とってもロマンティックな気分にしてくれるし、Andina Restaurantの “SACSAYHUAMÁN”はヴォッカに漬け込まれたハラピーニョの辛口が利いて情熱的な気分になるし、真夜中にVeritable Quandaryで飲む “Espresso Martini”は古いフランス映画のシーンの中にいるような気分にさせてくれる。
飲兵衛みたいに聞こえるかもしれないが、お酒って演出の小道具として、人生のいいエッセンスになっているような気がする。女友達と出かけても、同僚と出かけても、そして人生の伴侶であるハビーと出かけても、そこにお酒があるからこそ、話しに延々と花が咲いたり、真剣な話を腹を割ってできたり、ロマンティックな言葉が囁けたりする事もある。カクテルアワーは私にとって 非常に大事な時間なのである。
こんな風に 上手にお酒を楽しめるようになった大人の私は、次の日に昨日のことは覚えていない、とか、覚えているけど忘れてしまいたい、などと思うような事はなくなった。腕を腰においてしかめっ面をするハビーもしばらく見ていないもんだ。
「飲んでも飲まれるな」とはよく言ったもんで、飲まれるとおしゃれなカクテルもたちまち毒に変わり、いろんな意味で 喜ばしくない状況に雪崩れ込んでしまうので、要注意。いつまでも 美味しいお酒が美味しいままで、いいお友達がいいお友達のままでいられるような、そんな飲み方をしていきたいね。


Kiki


Cheesecake Factory
700 Pike St
Seattle, WA 98101
206-652-5400

Andina Restaurant
1324 NW Glisan
Portland, OR 97209
503-228-9535

Veritable Quandary
1220 SW First Ave
Portland, OR 97201
503-227-7342


Posted on 夕焼け新聞 2008年7月号

Sunday, May 15, 2011

おいしい話 No. 15「戻りたい店」

レストランで注文した料理の味が 想像と違っていた、とか 料理の仕方が期待いていた通りではなかった、とか 誰にでも経験があると思うけれど、その期待はずれが いい形で体験できれば、新しい経験ができたと、ポジティヴに終わることができる。たとえば 想像とは違っていたが、味は結構よくて、結局ぜんぶ平らげてしまった、とかね。しかし、想像とは違っているだけでなく、味もいただけない、ときたら もう気分の取り繕いようがない。が、小心者は ぐっと我慢して 葛藤しながらも とりあえずは食べる。たとえ小心者が気分を害したとしても、その表現は 無言のまま 皿にあからさまに残した料理に託すしかない。
そんな典型的な小心者の私とは違って ハビーはサーバーに客として「気持ちを伝える」ことをしないと気がすまない。いわゆる「それも彼らのビジネスのため」という信念から。けっして あわよくば タダにしてもらおうとか、おまけしてもらおうとか、そういうイヤラシ~イ下心からではない。

先日ダウンタウンにあるClyde Commonというレストランに出かけた私とハビーだったが、今風NW・Liberal料理のメニューのDescriptionに 二人の目はパチクリ。まったく想像ができない。闇鍋状態で 適当に前菜から注文したのだが、その中のひとつに 牛タンを使った一品があった。限られた想像能力では この料理のイメージをすることができなかった私の頭に浮かんできた絵は 焼肉屋で見る 薄くスライスした牛タンの塩焼きレモン添え。まさかこのレストランで牛タンの塩焼きが出てくるとは思ってはいなかったが、「牛タン=薄いスライス」の絵ははずすことができなかった。
アンチョビのフライ、ハリバットのサラダ、ホタテのマリネなど、次々にテーブルに置かれる皿を見ながら、わー こんな料理なんだあ、とその驚きと美味を楽しんでいたのだが、肉の塊をただボイルしただけのような一品が登場した時には、二人の呼吸が止まった。なんだこれは?しかもただボイルしただけのような大きな吸盤付き蛸の足姿添え。神経を払って創造豊かに作られたかのように見えた他の料理とうってかわったこの大胆シンプル料理。これが私の注文した牛タン料理だった。
日本じゃないんだから、いつでもスライスで出てくると思った私が間違っていたんだ、と自分に言い聞かせ、その塊にナイフを入れた。一口味見をしたハビーと私のさっきまで高まっていたテンションが急降下していった。味がない。口に残るのは独特の臭みだけ。薄いスライスにする理由が見えた気がした。いや まてよ、3日煮込んだ牛タンブロックのシチュウをよそのお宅で頂いた時は、ずーずーしく何度もおかわりするのを止めれなかったではないか。う~ん。ハビーと私の沈黙が続いていく。

嫌がらせではなく、ほんとうに我慢しても食べることができない、と皿を淵に寄せる私にハビーが「We should tell her」と提案してきた。えっ!と怯む私に「It’s ok」と余裕の笑顔の彼。これは「文句」ではなく、あくまでも僕たちの「感想」ということで、シェフの参考にしてもらえばいいんだ、との論理。せっかく こんなにいいレストランなのに、たった一品の料理のために イメージダウンになっていくのはもったいない、と正当化していく。ま、そういう風に相手側も受け取ってくれるといいんですけど、、、。
申し訳ありませんねえ、と半笑み顔を作る私の向かいでハビーがサーバーに「気持ちを伝え」てみた。すると どうだ。そのナイスなサーバーが、「To make up」ということで、デザートを運んできてくれた。ハビーと私のテンションは再び上昇! 彼女の心使いと、ホームメイドのグレープフルーツのシャーベットに、トークのエンジンも復活。こんなにすべてが美味しいのに、なんであれだけあそこで ミスったかなあ、と忙しくデザートにスプーンを運びながらコメントが入る。 が、しだいに それもシャーベットの甘さと共に溶けていった。はい、私たちの気持ちはすっかりMake upされました。

先にも述べたように、決して 決して おまけや割引を期待していたわけではない私だちが、デザートのサービスとワイン1杯分の割引を伝票で確認した時には、おおっ、と感銘の声をあげた。いやー 客の声を聞き、そして客の気持ちを大切にしようとするこの店はこれからも伸びていくね、なんて偉そうなことを言いながら店を出たが、本当の話、そういうところが、料理の良し悪しとは別に、戻っていきたい店になるポイントになるんじゃないかな。少なくとも うちのハビーと私には、そのように働くようです、、、。



Kiki



Clyde Common
1014 SW Stark St.
Portland, OR 97205
503.228.3333



Posted on 夕焼け新聞 2008年6月号

Monday, May 2, 2011

おいしい話 NO.14「幻のレストラン」


Alberta Street Oyster Bar & Grillは私にとって正体不明のレストランだった。同じAlberta streetに住んでいながら、この親しみある通りを 頻繁に車で走り抜けていながら、このレストランの看板を目にしたことがなかった。友達や食通たちがこのレストランの名前を持ち出せば、「あら、やっぱりあるのね」と確認していたが、やはりどこか私にとっては幻の存在だった。
去年の夏、Alberta street恒例の「Last Thursday Art Walk」に繰り出した時、込み合った群集の中に混じり 一緒にぞろぞろと歩いていると、なにやら涼しげに そして上品に 白いテーブルクロスをかけたテーブルに座って食事をしている人々が見える窓に差し掛かった。ポートランドに多く生息するピッピー系、ベジタリアン系といった風貌の若者達が蒸し暑い夕暮れ時に群れをなして歩いているのとは打って変わって、この窓ガラスを隔てた向こう側は、キャンドルライトと共に別の世界が描かれていた。
こんなロマンティックでハイソなレストランがこの通りにあったのか!と急いで看板を見上げた時、あの幻の名前をとうとう自分で目撃することになった。「Alberta Street Oyster Bar & Grillここにあったのね!」
と言ってみたものの、あのArt Walkの活気と、群集と、そして何軒かのギャラリーで 賞味させてもらったタダワインのせいで、そのロケーションの記憶が ぼやけていき、そのうち消え去ってしまった。
それから後も、何度もAlberta streetを通行しているが、このレストランを目にすることはなかった。そして、いつのまにか、自分が見かけないという理由だけで、あのレストランは閉業となってしまったと勝手に結論をだしていた。

すると2月の半ば過ぎ、ある知り合い関係からレストランのニューズレターがEメールで送られてきた。それは なんとAlberta Street Oyster Bar & Grillが新しいオーナーを迎えて新たに営業をスタートした、という情報だった。「あら、本当に閉店してたのかしら」と思いながらそのレターに目を通した。腕利きの若いシェフの紹介から、新作メニューのハイライト、そして 当レストランについてなどが書かれていたが、一番私の興味を引いたのが、“No Corkage”というサービスだった。毎週木曜日はお客がワインの持ち込みをしてもそれに対してチャージが付かない、ということ。通りを挟んで向かいにあるCorkというワイン専門店がある。そこに当レストランのメニューを備えてあるから、それを見ながら、ワインエキスパートに相談して ワインを選び、そのまま購入したボトルを持って食事にいらしゃい、というのが彼らの提案だ。レストランでワインをボトルで注文することを考えると、これはものすごく経済的で、プレッシャーのないサービスだ、と関心した。
さっそく、ハビーのママにこのニューズレターを転送した。ハビーのママは、グルメで新しいレストランに行くことが大好き。そして、寛大なことに、私たち貧乏夫婦も いつもお供として連れて行ってくれるのだ。そんな下心があったわけではない、と強くは否定できないが、一応情報としてね、と送ってみた。すると、さすが食好きのママ、すばやく興味を示し、是非行ってみましょう、ということになった。イエス!

当日、このレストランがつい最近まで何回か行ったことのあるLoloBernie’s Southern Bistroに挟まれていることに気が付いた。なぜに今まで気が付かなかった?向かいのワイン専門店だって何回か来たことあるのに、なぜ Alberta Street Oyster Bar & Grillだけが幻のまま所在不明だったのだろう?自分の注意の薄さに驚いてしまった。
さっそく シェフおまかせ5コースを頂くということで Corkにワインを選びに行った。どんな料理でも基本的に合うというRoseburg産、Tempranillo(赤)を薦めてもらい、レストランに持ち込んだ。サーバーの女性が、当店で注文したワインと変わらぬ扱いで、丁寧にコルクを抜いてくれ、グラスに注いでくれた。
フレンチとNW料理のフュージョンといった料理は5品ともシェフの創作能力の広さを伺わせた。十数年ぶりに食べたフォアグラはやっぱりうまかった。ハリバットのチークも貴重だったし、昔口に合わなかったエスカルゴも、今回はママの分まで手を出すほど美味しかった。そして なんと言っても、このレストランを幻と終わらせないどころか、いつまでも忘れることができないものにさせたのが最後のコースで登場した「Sweetbreads」。デザートではない。とっても柔らかいチキンの揚げ物のようなものだったが、初めての味と食感。不思議な感じはしたものの、美味しかったのでもちろん綺麗に平らげた私。そこに 待ってましたとばかりにママが一言、「さっきの 子牛の脳みそよ。」
いくら日本人はいろんな、アメリカ人にとっても「ゲテモノ」を好んで食べるとはいえ、さすがに「子牛の脳みそ」は来た。これもフレンチならでは?密かにショックを受けた私は暫く立ち直れなかった。
後に、Googleで、「Sweetbreads」は子牛の脾臓であることを知った私は、ちょっと救われた気がした。どこがどう違うのかと追求されると困るが、罪悪感が減ったのは確か。してやられたが、ママは本当に脳みそだと信じているのだろうか、、。とにかく、Alberta Street Oyster Bar & Grillはしっかりその存在感を私の中で打ち付けたのは間違いない。


Kiki



Alberta Street
Oyster Bar & Grill
2926 NE Alberta St.
Portland, OR 97211

Phone: (503) 284.9600
Fax: (503) 283.3200




 
Posted on 夕焼け新聞 2008年5月号

Saturday, April 23, 2011

おいしい話 NO.13「家庭料理」

子供の頃、うちの家庭で出る食事は きゅうりの酢和えや山芋のおろし、ナスや大根の煮物、鰤の煮付けや 鯵の塩焼きなど、地味な一品ばかりで、友達のハイカラ料理を作る若いハイカラママが羨ましかった。ハンバーグステーキや魚のムニエルなどの「洋風料理」は 小学校や中学校の家庭科の時間に習った私が台所に立って再現しない限り 食卓に見られることはなかった。
自分が作らないと 精進料理みたいなものしか食べられない、と悟った私は 料理の本を買い込み、美味しそうなホワイトソースがかかったチキンや、チーズがとろけているパスタ料理などの写真のページを広げては、じっくりその作り方を学んだ。(今でも私は仕上がり写真のない料理の本を参考にすることができない。)
忙しい母親を助けるという前提で、お金を貰い、スーパーに買い物に行き、幼い私の(といってもすでに中学生)洋風料理が出る家庭実現計画が始まった。
自分にとって未知の世界である味を、本に書かれている手順と共に作り、限りなく写真に近い見た目に仕上げていく、というプロセスは失敗を繰り替えしながらも 継続されていった。お陰で基本調味料「さ、し、す、せ、そ」以外のカタカナ系調味料やスパイスの種類も台所のキャビネットの中に並び始め、それらをどういう料理にどれくらい使う、という知識も増えていった。高校を卒業するころには、得意料理は そのシミだらけでぼろぼろになった料理の本を参考にすることもなく、作れるようになった。
毎日料理をしていると、いちいち計量カップで計らなくても「目安」で味付けができるようになってくる。うちの母親が酢の物や煮物を作る時と同じで、長年の腕と舌が味を利き分けるのだ。私の場合、いつしか料理の本からも遠ざかり、年を経る毎に、そして忙しさのせいで料理が面倒くさい、という感覚になる度に、料理をする頻度も減り、「目安」が「適当」料理に変わっていった。

あんなに洋食に憧れていた幼少の頃であったが、ほとんど洋食に囲まれている今は、あっさりとした和食、あの母親の素朴なシンプル料理が恋しくなってきた。(もしくは歳のせい?) 今でこそオーガニック野菜とかケージフリー卵とか取り上げられているけれども、当時は当たり前に八百屋に並べられていたもんだ。母親の家庭料理は実はとっても健康的な料理だったのだのに、私の洋風家庭実現計画がハイコレステロールの原因を作り出していたようだ。

先日ハビーの両親が食事にやって来る事になった時、ウン十年ぶりに料理の本を取り出してみた。日本人の私から「Authentic」な日本食を自然に期待する彼らだったが、日本食から離れていた私は ものすごいプレッシャーを感じ、料理の本を見ないと日本人としての信頼感を失いかねないという恐れがあった。
色あせた料理の本の 如何にも古い写真をめくりながら品目を選び、味醂大さじ何倍、お醤油半カップなどときっちり書き留めていった。
そのディナーの準備をきっかけに 私の料理への情熱に再度火がついた。今度は日本食に対する情熱。母親の素朴な和食を思わせる料理、生まれ育った家庭料理、私の原点に戻る料理。
料理の本がインターネットのページへと移行していった現在、ラップトップをキッチンのカウンターにおいて、スクロールダウンしながら、計量分量や手順を参考にしていく。ちゃんと計るとなるほど 確かにおいしい。そして 気のせいか、なにやら体の調子も最近良いではないか。
こうやって またいつか 和食料理も馴れてくると、味覚と個性が加わって、私なりの「目安」で作る家庭料理ができあがっていくのかもしれないな。そして それが、今から私が作る、私の家庭の味になっていくんだね。

Kiki




Posted on 夕焼け新聞 2008年4月号

Saturday, April 16, 2011

おいしい話 NO.12「日本酒」


一年ほど前に 近所に酒バーができたと聞きつけ、そんなに日本酒が大好きなわけでもないのに、新しい物好きということで オープン初日にハビーと友人の3人で覘いてみた。小さな入り口の看板にはカタカナで「ジラ」と書いてあり、どういう意味かはわからないが、日本びいきが 感じ取られた。
黒をメインにしたモダンですっきりとした内装。薄暗い照明の中で 塗り立ての壁やバーカウンターが漆のようにピカピカと照り返していた。小さな店内だけど 開店の宣伝が不十分だったのか あまり客がいなく、がらんとした雰囲気だった。日本酒なんか 子供のころ宴会で自分の父親を含み 親戚や近所のおじさん達が顔を真っ赤にして大声で騒ぎながら お互いに注ぎあい、白い割烹着を着た母親とそれぞれの奥方たちが台所でせっせせっせと追加のとっくりを鍋で沸かしているという光景によって、大人の飲み物、または おやじの飲み物、と私の中で分別化されていた。アメリカで「酒バー」なんてしゃれた事言い出すのは 本当の日本酒の飲み方をしらない奴だ、と思っていた。
宴会の現場で狂った親父たちを見て育ったため、日本酒はたしなむ程度で、どの種類がどうで、なんて薀蓄をいえるような教育はうけていない。実際、純米酒だの吟醸酒だのという種類の違いを、こっちの寿司屋で働いて初めて学んだという逸話付き。そんな私だが、ここは 転んでも日本人、ひとつセレクションの批評をしてやろうではないか、と棚に並ぶビンに目をやった。
漢字やひらがなで達筆に書かれた一升瓶がこれ見よがしに並んでいたが 量的に物足りない感じがした。メニューに目をやるとそれぞれの種類にきちんと説明が書かれていたが やっぱり「酒バー」だと言い切れる種類が揃っているように思えなかった。と偉そうに言ってみたが 苦学生には輸入された日本酒は 一杯の値段が持ち合わせと見合わず、結局オレゴン産の桃川を頂くことに。
暖簾をくぐって入った高架下の飲み屋でなく、アメリカのモダンなデザインのバーで白人のお兄ちゃんたち(ハビーとその友達)と肩を並べながら、酒をちびちびと飲み、“spicy ika” つまり 裂きイカをもそもそと食べる心境はちょっとヘンテコリンな感じだった。

あのオープン以来一度も立ち寄ることもなく、まだやってんのかしらん、という程度の気に掛け方だったが、日本人の友達が来たということで紹介がてらちょっと行ってみることにした。再度「ジラ」の看板の下をくぐり、小さなドアを開けて中に入ると、第一印象の殺風景な内装からは随分ちがった心地よさを感じた。ブースやカウンターにはゆったりと腰を落ち着けた客達が ちょうど行われていたライブショーを楽しげに聞き入っていた。壁に置かれた酒の種類も冷蔵されている酒の種類も気のせいか増えているように見えた。装飾が加わったせいなのか、壁やカウンターが酒の匂いや毎日やってくる客達の風でいい味を出し始めてきたせいなのか、カウンターの中で働いている人がこなれた立ち回り方をしているせいなのか、一年前とは変わって 居心地のいい雰囲気を出していた。

基本的にはメニューは変わっていないが、しっかり数えてみると50種類ほどの酒がリストされていた。ハビーはオープンの時からこれくらいの種類はあったと、私の記憶力の悪さを指摘。こんなにあるなら、ちゃんと日本産のよりどころの酒を飲まなければ、ということで11ドルのサンプラーを注文した。バーテンのお姉さんが全国3箇所の酒造を選んでそれぞれのカップになみなみと注いでくれ、それとあわせて名称のカードも添えてくれた。
ちょうどその時、このお姉さんが師匠と崇める男性が声を掛けてきた。マーカスと名乗るこの男性がどうやら日本酒の仕入れ人のようで しょっちゅう日本に行っては酒蔵まわりをしているとか。流暢な日本語で私の前におかれた3種類の酒の説明をしてくれた。
ひとつは広島県の今田酒造産の富久長「月川」、ここでは「Moon on the Water」。ちょっとミントのようなさわやかな味が舌に残る感じで、癖があるかな、と思ったけど、飲んでいるうちにその軽やかさが口当たりよくなってくる。次は 滋賀県の冨田酒造純米「七本槍」。これも樽の匂いというか、なにかスモーキーな匂いが鼻と舌にきて個性をみせたが、一番飲みが進んだ。そして最後は岡山県丸本酒造の竹林「かろやか」。とってもフルーティで甘みがある。辛口好きの私としては 最後まで残ってしまったけど 一般的にはこの三種では一番飲みやすい種じゃないかなと思った。
こんな風にじっくりと腰を据えて、寿司や鍋を囲むでもなく、こんな形で日本酒を飲んだのは初めてかもしれない。そして、まさかアメリカ人に日本語でお酒や酒造に使われる米や水の説明をしてもらうとは思ってもみなかった。なんだか常連になりたくなってしまった。
皆さんも偏見なしで 覗いてみてください。そして 私が酒に酔いしれて聞きそびれた「ジラ」の由来を探ってみてください。


Kiki



Zilla Sake House

1806 NE Alberta
Portland, OR 97211
(503) 336-4104


Posted on 夕焼け新聞 2008年3月号

Sunday, April 10, 2011

おいしい話 NO.11「嬉しいみつけもの」

ある週末、ハビーと私には珍しく お昼ごろ すでに外に出ていた。たまにはどこかで美味しい朝食を食べたい、と話していても、実際なかなかシャキっと起きられない二人は あんまり朝から元気に出かけることはない。なぜか 食べ物が理由ではなく(!)、私の車のバッテリー交換という目的のために その日の行動が早くから始まっていた。
バッテリー交換なんか自分で簡単にできるよ、と軽く言い切ったハビーを信じて 最寄のRadioShackを訪れた。適応する商品を確認するためと、リサイクルの理由で古いバッテリーを持ち込もうと考えていたにも関わらず、駐車場がなかったのか なんなのか、不思議な事に 3,4ブロック離れた所にハビーの車を停めた私たち。いやー 車のバッテリーって結構重いのね。たくましいハビーに抱えてもらい 店までその数ブロックを歩いた。
新しいバッテリーを抱えて店から出てきたハビーが、額に汗を掻きながら近道を提案してきた。これはある意味 運命だったのかもしれない。来た道とは違う道を通ろうとある角を曲がり、その一角の通りを歩いていると 非常に美味しい匂いに突入した。
朝からなんにも食べていない二人は ちょっぴり狂乱状態で 頭をぐるぐる回しながら匂いの出所を探した。いったいこの美味しい匂いはどこから来ているの!? 結構殺風景で味気ない建物が並んでいるこの界隈にレストランらしきものは見当たらない。一件だけ 目にはいったレストランがあったが、閉店中。どこかのお家のお昼ご飯か?と思ってもそれらしき住宅もない。
警察犬よろしく鼻の穴を全開に広げ、フンフンと音を立てながらその匂いを辿っていくと、古いアパートのような 廃業になったホテルのような建物に行き着いた。その建物の入り口であろう両開きドアの片面だけが通りに向かって開かれており、美味しい匂いはそこから流れて来ていた。
看板もないし、まったくレストランがあるように見えないこの建物を調査するために、二人揃って汚れたガラス窓に顔を押し付けて覗き見行為に入った。私たちがそこで見たものは、地下室のような場所で たくさんの人々がテーブルを囲んで楽しそうに食事を楽しんでいる光景だった。宴会?寄り合い?共同食堂? これはもうこのまま帰ることはできないぞ。
開かれたドアから中に入り、階段を2、3段下りて 廊下を奥に入っていく。飾り気のない白い壁にがらんとした廊下。相変わらずサインなど何もない。右に曲がると奥からがやがやと賑やかな音が聞こえて来る。こっちだ。バッテリーを抱えたままのハビーの額から更なる汗が滲む。
まるで迷路に迷い込んだ後に、不思議の国の広場に行きついたかのように、私たちの目の前に色鮮やかな週末のフィーストが広がった。それはまさにシークレットを発見してしまった、という感じだった。
お皿を運んでいる人を呼び止めて、一般公開されているレストランなのか、と尋ねてみると、金、土、日の週末しかオープンしておらず、日曜日はブランチのみ、ディナーは予約のみで営業しているとの返答が。すっかり興奮しきっているハビーと私の心は一つ。さっそくテーブルをとってもらった。
ほとんどが、6人から10人用の大きな長方形のテーブルで、少人数の客達は 同じテーブルに一緒に座ることになるのだが、客層なのか、店内の雰囲気なのか、不思議なことに 見ず知らずの人とテーブルを共にすることが気にならない。
店内の賑やかさの一旦を担っていたのは今流行りのオープンキッチン。それもいいとこで キッチンとテーブルのあるフロアとの間に仕切りというものがまったくない。廃業になったホテルの(勝手な想像です)元調理場を再利用しているかのようの大きなキッチン。そこで料理をしている人はもちろん、そこに置いてある物が 床から天井まですべて丸見え。ここはキッチンの中にあるレストランだ、と言ったほうが当たっているかも。
地元の農家から仕入れたオーガニックの野菜や新鮮な肉に卵を使った料理は繊細だけれども ボリューム有り。私が注文した「フライドチキンとワッフル」のワッフルは外が香ばしく、中がふんわりとしていて、季節の果物のソースと共に頂き、最高に美味しかった。
Emailアドレスを入り口の紙に書いておくと、シェフから毎回違った週末のディナーメニューが送られてくる。それを見て メールや電話なりで その週末の予約をする、というのがこのレストランのシステムのようだ。人々が、文字通りアンダーグラウンドで、毎週こっそり集まっては美味しいものを食べていたのだ。
Simpatica、偶然にも、すっかり匂いに誘われて、思いもよらない素晴らしい発見をしてしまった。シークレット同盟の一員に加わったような特別感が沸いて来ると共に、誰かにすぐに教えたくなるような喜びも抑えられない。迷路も入って見ると 面白いことがあるもんだ。

ところでハニー、あなたの車どこに停めてあるか覚えてる?

隣の床に座らせているバッテリーをじっと睨むハビーの額にまた汗が光った。

Kiki

Simpatica Catering & Simpatica Dining Hall
828 SE Ash st.
503-235-1600



Posted on 夕焼け新聞 2008年2月号

Monday, April 4, 2011

おいしい話 NO.10 「ワインの価値」


私の場合、冬になると赤ワインの消費飲量が多くなる。暖炉の傍に腰掛ながら ゆっくりとワインをすすると 心も体も暖かくなっていくような気分になるし、リラックス効果となって ほんわかと息がつける。
コーヒーやビールと同じで いつしか 大人になるにつれ 苦味や渋味が美味しいと思えるようになってきた。誰かが赤ワインは体にいいなんて言うもんだから、後ろめたい思いもなく量が増えていく。薬も過ぐれば毒となる、とはもちろん後の祭り。

忘れもしない、あれはクリスマスイブ。女友達3人でご飯を作って、プレゼント交換をしようと集まった夜、テーブルの上に白ワインが一本置いてあるのが目に入った。友達の一人がその夜のために買ってきたのだ。おうちで食事しながらワインを飲むなんて! ワインなど飲んだこともなく、そんなしゃれたアイデアも浮かんだこともなかった私は密かに「やられた!」と思いながらも 興奮を抑えきれなかった。ドライでちょっと渋味もある中 ほのかな甘さが口の中に広がるあの感じはキラキラとした映像効果と共に今でも鮮明に覚えている。
そのトキメキの体験から ワインといえばフランス産でしょ、という観念でワインの世界に入門した私。ワインを飲む頻度が高まる中、しだいにドイツ、イタリア、スペインなど体験範囲を広げていき、あらゆるヨーロッパ産のワインを ラベルは読めないがデザインがいい、ということで購入していった。当時でだいたい1500円くらいが相場だった。
そのうち日本でもワイン作りが盛んに行われていることを知り、東北の方のワイン協会みたいなといころと購買契約をし、毎月地方のワイン6種類セット8000円を6ヶ月送ってもらって飲んだこともあった。日本のワイン農家もなかなかやるではないか、と関心した記憶がある。
オーストラリアに会社の慰安旅行で行った時に オーストラリア産もいける!となぜか感動した。特に白ワインが新鮮な魚介類と合って 飲食が止まらない勢いだった。チリ産のこってりとした赤ワインを飲んだ時も 同じ反応だった。おそらく それらの国で ワインが製造されているという“イメージ”がなかったためだろう。しかし外国の空の下、違う空気の中で飲むワインは格別に美味しかった。
アメリカに渡って初めてワイナリーを訪れた。製造の過程をツアーで見せてもらったり、ブドウ畑のど真ん中で苗の品質についてや、成長した実の良し悪しについて オーナー直々説明してもらったりもした。正しい試飲の仕方を教えてくれた時は目から鱗がおちた。大きなグラスに1/5ほど注いだワインをぐるぐると回して空気に触れさせると グラス中に香りと味が膨張する! ワイン自身が最大限にその熟された味を主張している感じ。これはただの気取った行為ではなくて ちゃんと意味があったのね。さっそく大きなワイングラスを購入しに走った。
どんなに家庭の経済が悪くとも、ワインをこよなく愛する気持ちは抑えることができないもので、Safewayで5ドル前後の赤い値札を付けて一番下の棚に並んでいるワインを手にする。当たり外れはあるものの、結構イケるもので、庶民に優しい味の利き手になったつもりで、10ドル以下ワインのジャーナルを1ヶ月ちょっと書いてみたりもした。
最近ワインの教室に通い始めた飲めない友人が教養をつけるために、2545ドルくらいの高いワインばかりに目をつけている。たまには高いワインを飲まないと味の違いがわからないからね、という彼女のコメントに、にんまり笑顔で答えてボトルを開けるのに付き合っている。あ、このラベルなんだかおいしそうだよ、という私なりの意見も忘れずに提供して。

ワシントン州に住んでいる時は ワシントン産のワインをひいきにしていたが、オレゴン州に住んでいる今はオレゴン産ばかりを選んでいる。初めてのワイン体験から ずいぶんと年数も経ち、私もいい熟し加減にきている今日この頃。ワインというものの奥の深さや 味の範囲の広さに これはこうだと定義づけできないものを発見してきた。土地や水や空気や太陽でどんなに成長し、どんなに熟し、どんなに年を重ねていくかが変わり、蓋を開けた時の味が変わってくる。必ずしも値段の高いものが決まって旨いわけでもなく、安いものが評価に値しないわけでもない。手にしたワインを自分がどう賞賛するかで その価値が変わっていくだよなあ。人間のあり方にも通づるもの有り、ですかね。(熟された意見。)



Kiki



Posted on 夕焼け新聞 2008年1月号